国家制度について

中禅寺明彦(30歳、京都府、会社員)

 

 現代日本人はすっかり無知と忘恩の徒になり果ててしまい、とうとう先人達が積み重ねてきた歴史と伝統を古くさいものといってスポイルするようになってしまった。この現代日本人の思考の浅薄は格別恐るべきものである。かつてフリードリッヒ・ニーチェ(一八四四~一九〇〇年)は国家制度について次のように述べている。

 

「すなわち、伝統への、権威への、向こう数千年間の責任への、未来にも過去にも無限にわたる世代連鎖の連帯性への意志がなければならないのである」(『偶像の黄昏』)

 

 現代日本における政治家は東日本大震災後の消費税の増税、種子法の廃止、水道事業の民営化、TPPの推進、入管法の改正、二〇一九年一〇月におけるデフレ下での一〇パーセント消費増税など後世の日本国民のためにはならず、むしろ後世の日本国民を地獄にたたきおとすような制度ばかりを推し進めるという非人間的なことをなんの躊躇もなく行っている。畢竟、現代の政治家は制度に対して向こう数年間の責任すらも放棄し、その場しのぎの偽善に陥り、自己の保身しか願わなくなってしまったのである。もちろん、そんな政治家ばかりではないだろうが、先ほど述べた政策や制度がまかりとおっている以上、ほとんどの政治家は思考停止あるいは、自己の保身しか考えていないと言わざるを得ない。さらに、日本国民を徹底的に貧困化させ、日本を他国に切り売りし解体することにいそしんでいる現在の自民党政府ならびに自民党に迎合する政党を多数の国民がいまだに支持しているというのはまったくグロテスクな状況である。すなわち国民側も完全に思考停止に陥っている。そして、思考停止した国民が悪の存在を放置し、知らず知らずの内に悪に加担し、悪を増長させてしまっている。エドマンド・バーク(一七二九~一七九七年)は言う。

 

「かれらにとって、ものごとの古いしくみをこわすことは、それが古いものだというだけでじゅうぶんな理由をもつのである。新しいものについては、いそいでたてた建物の永続性にかんして、かれらはなんのおそれももたない」(『フランス革命についての省察ほか』)

 

 このエドマンド・バークの言葉は現代日本人をきわめて正確に言い当てている。つまり、現代日本人は歴史と伝統を軽視し、社会をリセットし徹底的に改革すれば理想社会が訪れるという幼稚で浅はかな考えに毒されて非人間的になってしまったのである。

 そんな現代日本人をみていると、人間には暴力性が容易に備わることが見受けられる。そして、人間に暴力性が備わるからこそ、法や道徳といった社会制度をつくり、それを制御してきたのである。つまり、人間性の恐ろしさが解放されないために国家制度や伝統は存在している。それを惜しげもなく捨て去ろうとしている現代日本人はやはり思考停止であり現実が直視できていないと言わざるを得ない。あらゆる賢人たちは大衆社会が自壊に向かって進んでいくと言っていたがまったくその通りになっている。現代日本人は自我が膨張しすぎてしまい、他人の意見を認めて耳を傾ける謙虚さを失い、理解しようとする忍耐力を失い、すぐれた人間を認めなくなってしまった。そんな野蛮な人間が社会に氾濫するようになり、法や道徳といった社会制度は解体されていき、とうとう日本は法治国家ではなくなってしまったようである。というのは、最近話題になっている「桜を見る会」での問題がそれを如実に表しているからである。地元支援者を接待したという証拠は山のようにあり、公職選挙法違反であるにもかかわらず責任をとって議員辞職をしない。そして、それを批判しない日本国民たち。ほんとうに日本人の人間性の崩壊、道義の頽廃は深刻な様相を呈している。残念ながら日本が亡国となる日もそう遠くないのかも知れない。