※映画「ジョーカー」と「ブレードランナー2049」の重大なネタバレを含みますのでご注意ください。
執筆現在上映中の映画「ジョーカー」という作品の評価が高く話題になっています。私も様々な点で魅力的であると思うと同時に、しかし一方で非常に受け入れがたい作品だと感じました。2017年に公開された「ブレードランナー2049」という作品が、このジョーカーで描かれるものと深く共通しながら、同時にある種の対極にあり、私はその差異によりどうしてもジョーカーを認める事はできません。
それぞれの舞台は、かたやアメコミ原作の1980年代の物語、かたや小説原作の近未来SF、と表層的には全く毛色の違う作品ではありますが、両作品の深くには類似したコアを持ちながら、また一方である種対極的でもある、そんな作品だと感じます。以下比較のため両作品の粗筋をまとめます。ネタバレにご注意ください。
■「ジョーカー」
映画「ジョーカー」はバットマンシリーズの悪役であるジョーカーが誕生するまでの前日譚を描いた作品です。主人公アーサーは病気の母ペニーの介護をしながら二人で暮らし、コメディアンとしての大成を夢見ながら、大道芸を請け負う小さな会社の社員で道化の仕事をしています。自身も精神疾患を抱え、また道化として社会から理不尽な鬱屈をぶつけられ、同僚や上司との軋轢、会社からの解雇、行政サービスの削減による病気のカウンセリングの打ち切り……と、様々な「悲劇」をその一身に受けアーサーは社会への絶望を深くしていきます。
物語が進み、アーサーは母親が書いた手紙に、自身がトーマス・ウェインという大富豪との私生児である事が書かれているのを盗み見します。アーサーはそのトーマスと直接会い、自分があなたの息子であり「困らせたいわけではない、ただパパのハグが欲しいんだ」と告げるものの、それらはすべて母親ペニーの妄想であると否定されます。記録を調べると、トーマスの私生児どころか母親とも血縁のない養子である事や、養父からの虐待とペニーのその黙認、そして自身の疾患もその頃の虐待が原因と判明します。自身の出自の希望も儚い幻に終わり、そして唯一の肉親の母親にまで絶望します。
その後、憧れのコメディアンからテレビ出演の招待を受けるものの、彼も己をあざ笑うために招いたのだと知り、結果ついに彼は社会へ仇なす「ジョーカー」へと成り果ててしまいます。
映画「ジョーカー」はそんな歪な社会と、彼の絶望と、そこから生まれる狂気を描いた作品と言えると思います。
■「ブレードランナー2049」
前作「ブレードランナー」は小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が原作のSF映画の金字塔です。労働や戦争のために人間に酷使される「レプリカント」と呼ばれるアンドロイドが普及した世界で、逃げ出したレプリカントを処分するブレードランナーと呼ばれる刑事デッカードを描いたものです。
続編「ブレードランナー2049」はそれから30年後、レプリカントでありながらブレードランナーでもある主人公「K」の物語です。物語冒頭で、Kは逃亡したレプリカントの一人を「解任」した際、彼らレプリカントのグループが、かつて子供を出産するという「奇跡」が起きた事を知ります。
アンドロイドは子孫を成すことが出来ず、それが「人」と「レプリカント」を隔てる壁となっていました。レプリカントは人間から強烈な差別を受けており、Kも通りすがりの同僚警官にまでただアンドロイドである事を侮蔑され、それを誰も気に留めないほど。Kの上司は、人とレプリカントを区別するその「秩序」が崩壊してしまう事を恐れ、生まれた子供を含め全ての痕跡を消す事を命じます。その過程でKは自身が持つ記憶と、奇跡の子の記録が合致する事や、自身の記憶の検査などから「自分がそのレプリカントから生まれた奇跡の子なのだ」と考え始めます。
Kは奇跡の子の父親である前作主人公デッカードを探し出します。一方でレプリカントを製造している科学者ウォレスは、レプリカントの出産という奇跡の再現のため、デッカードを連れ去ります。Kは女性型ホログラムAIであるジョイを唯一の心の支えとして生きていましたが、そのジョイもウォレスの戦闘員達との戦闘で破壊されてしまい、K自身も負傷します。
Kは奴隷からの開放と革命を目指すレプリカントのレジスタンスに救助され、そこで奇跡の子は自分ではない事を知ります。レプリカントはその精神を安定させるために製造後に記憶を移植され、Kの記憶はその奇跡の子のものであり、自分は特別な存在だと抱いていた希望を失います。
奴隷であり同族殺しでもある過酷な日々、心の支えであるジョイの喪失、出自の希望とその否定。Kは幾度も幾度も絶望を重ねます。しかしそれでも己の成すべき事を見い出し、Kはウォレス達の元からデッカードを命がけで連れ戻し、本当の奇跡の子と再会させます。そしてKはその際の負傷から静かに息を引き取ります。
■両作品の類似性
この二つの作品の主人公、これらの物語でのアーサーとKには多くの類似する境遇があり、大きく次の点があげられます。
アーサー:自身の疾病への社会の無理解や、道化が受ける鬱屈した社会からの侮辱
K:奴隷であるレプリカントであり、かつ同族殺しのブレードランナーは、人間からもレプリカントからも虐げられ嫌われる
アーサー:唯一心を許せる母親とその喪失
K:唯一心を許せるホログラムAIのジョイとその喪失
アーサー:虐待された過去と幸せな家庭という記憶の欠如
K:自身のものではない移植された記憶とその自覚
アーサー:本当の自身の出自は恵まれた幸せな家庭だという期待とその否定
K:自分はレプリカントから生まれた奇跡の子だという期待とその否定
という点など。それぞれ、社会への絶望、最も身近な人物(AI)への絶望、自身の境遇への絶望、自身の存在への絶望と、「社会や環境」から「恋人や家族」そして「自分自身」と描かれる絶望が推移していきます。彼らが日々どれほど懸命に生きようとも、社会から迫害され、心の支えを失い、最後に縋った希望も否定されます。
■両作品の対極性
そんな両作ですが、「ジョーカー」は高い評価を受け興行収入も高く、一方「ブレードランナー2049」は公開直後から相当な「がっかり」した作品であったと酷評を受けていました。何がこれほど評価を分けることになったのでしょうか。
可能性の一つは、このように似た境遇にありながら、物語の結末は対極的、対照的に異なる点です。アーサーはジョーカーへと成り果て、Kは自身の成すべきことを見い出し命がけで果たします。ラストシーンは象徴的で、アーサーはピエロのお面を付けた群衆に祭り上げられジョーカーと化し、Kはただ一人静かに雪が降り積もるなか息を引き取る、と対照します。
もう一つ、ジョーカー制作陣が合意したアーサーの内面として「激しいナルシシズムがある」というインタビューがありました。作中では序盤から彼の妄想と現実がシームレスに交錯し、どこまでが現実で、なにが彼の妄想なのか不明瞭になっています。比べてKはただ淡々とひたすらにその強烈な人生を、その残酷な現実を、生きていく様子が描かれます。
そんなブレードランナー2049が評価されずに、妄想で現実を欺瞞するジョーカーが評価される事は、この我々の基底現実こそが欺瞞した妄想で満たされ狂気に満ち満ちている事の証左な気がしてなりません。
■絶望の果てに
村上春樹の「ノルウェイの森」の長沢という登場人物のセリフに「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」という有名なセリフがあります。彼もまた人として闇を抱えた人物ではありました。それでも外交官を目指すエリートとして、自身の行動規範を「紳士であることだ」とし、「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」と言います。きっと長沢先輩なら、妄想と自己愛が過ぎるアーサーを「下劣」と評価するでしょう。
夏目漱石の「こころ」に登場する、奇しくもブレードランナー2049と同じ「K」と呼ばれる人物の有名な台詞に「精神的に向上心のない者はばかだ」というものがあります。潔癖のあまり自殺した彼も狂気を湛えた人物です。しかし破壊的破滅的な悪にまで至ったジョーカーは、「道」を追い求めるこころのKにはきっと「ばか」だと見えたでしょう。
レジスタンス達は人間への隷属からの開放を目指し、その闘争のためKを勧誘し、加えて拐われたデッカードから組織の存在が露呈する事を防ぐため、彼の抹殺の依頼までします。しかしKはレジスタンスへの加入も、デッカードを殺害することもなく、ただ彼を救い出して娘と再会させました。その行動によって狂った社会が正せるわけでもなく、奴隷であるレプリカント達を救済することもできないKは、決してヒーローには成りえません。しかし、監督自身がインタビューでピノキオとの比較を挙げているように、「skinner(人もどき)」と侮辱されていたようなアンドロイドこそが誰よりも人間らしくあったという、この物語は美しい童話のようです。
アーサーの陥った境遇に対して、深い同情と強い共感をいだいてしまう感情を私も否定できません。そして私には彼を「下劣」だとか「ばか」だとか批判するような資格はなく、彼のような存在を踏みにじってきた社会に属する者であり、同時にピエロの仮面を被って街を破壊してまわる者の一人です。アーサーは「狂っているのは僕か、世界か」と言います。我々の社会が絶望に満ち満ちているのは紀元前の哲学者が残した言葉からもとっくに明らかであり、もし人にそれでも何か残されたものがあるとするなら、絶望の果てに狂気に身を委ね狂った社会に祭り上げられる事ではなく、幾重にも絶望を重ねようとも「強靭」に立ち上がるその意志の美しさではないかと思えるのです。
私はそんなKのようにありたい、と己を強く戒めます。
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