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暗黙知について

中禅寺明彦(30歳、京都府、会社員)

 

 言葉はいくらでも誤魔化すことが出来るというのは政治家もしくは官僚の嘘、デマを耳にすれば大方察しがつくことであります。従って言葉に騙されないためには暗黙知が必要となります。マイケル・ポランニー(一八九一~一九七六年)は暗黙知について次のように述べています。

 ある人の顔を知っているとき、私たちはその顔を千人、いや百万人の中からでも見分けることができる。しかし、通常、私たちは、どのようにして自分が知っている顔を見分けるのか分からない。だからこうした認知の多くは言葉に置き換えられないのだ。(『暗黙知の次元』)

 巧みに言葉を用いて鮮やかに他人を騙す人間が世の中には存在します。そういった輩に対処するにはまず顔で判断するのは有効な方法であります。こんなことを云うと人間を顔で判断するとはけしからんと云われそうですが、人間は言葉で説明不可能な多くのことを認知することが出来ます。そして人間の顔には言葉で説明出来ないあらゆる情報が内包されているのです。小林秀雄(一九〇二~一九八三年)も言葉よりも顔を重視しており、彼は肖像画家について次のように云っております。

 画家は成る程雑念を混ぜず物を見る習練を積んでいる筈だし、物の形や色の純粋な関係を感ずる喜びをよく知っているだろうが、肖像画家が、モデルに捕えねばならぬものは、モデルの個性的な表情であって、この表情は、線や色の純粋な関係だけでは出来ていない。その人の内的な生に関係しているから、自らその人の性格を現す象徴的な色や線でもある筈だ。これを習練によって鋭く捕えて描くという処に肖像画家の技術がある。(『近代絵画』)

 それから小林は、私達は、皆、凡庸なものであろうが、肖像画家の目を持っていると云います。すなわちこの肖像画家の目こそが悪を感知し、悪を増長させないためには必要なのであります。然し乍ら現代ではこの目がまったく機能していない人々で氾濫しております。その上そういった人々は合理や理性を妄信しており、巧みに嘘をつく人間に騙されております。而もテレビや新聞、雑誌を見聞し合理的な判断を行い騙されているのであります。これは恐るべきことであります。なぜなら嘘に騙される人間が自ら無自覚のうちに悪に加担し、社会に害を与えてしまうからです。騙されて悪の増長を許容してしまったことで野蛮が生み出されるのが近代社会であります。
 現代日本では戦後の認知的不協和の蔓延と冷戦後の思考停止により、すっかり悪の存在を感知出来なくなりました。かつてバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇年)が、現在では、いちばん狂気に陥りやすいのは理性だと述べております。つまり理性や合理を絶対的なものとして推進すればかならず不都合が生じ、理性的にあらゆるものを裁断してしまい現実を歪めてしまうのであります。その末路についてはフランス革命後の蛮行や第一次、第二次世界大戦をみれば明かであります。残念ながら現代日本人は伝統や歴史を軽視するのみならず、理性すらも機能不全に陥っている状況です。これは大衆社会の帰結であり、この国の末期的症状に他なりません。ホセ・オルテガ・イ・ガセット(一八八三~一九五五年)は云います。

「大衆」とは特に労働者を意味するものではない。わたしのいう大衆とは一つの社会層を指すのではなく、今日あらゆる社会層の中に現われており、したがって、われわれの時代を代表するとともに、われわれの時代を支配しているような人間の種類あるいは人間のあり方を指しているのである。(『大衆の反逆』)

 宣伝と暗示の対象及び無責任極まり、さらには最低の意識水準に生存する大衆は今日の政治家や官僚、学者、有権者の内にみられるのであります。そういった大衆がいまや日本の表舞台に跋扈し、我国の解体にいそしんでいるのでありますから、絶望的な状況は否定出来ません。暗黙知を重視し、価値判断が出来ない大衆を表舞台から遠ざけることが国家を存続し、デマゴーグの擡頭や民意の暴走を阻止するためには必要不可欠であると云えましょう。