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9月入学という愚策

山口泰弘(36歳、東京都、サラリーマン)

 

 新型コロナ肺炎の流行に伴う9月入学導入の議論が今年4月から5月にかけて盛んになったが、幸いにも見送りになった。この議論が出て来た際、お決まりの「グローバル・スタンダードだから」という推進派の声が大きかったが、政府・与党が結果として現実的・合理的な判断をしたということである。ただ、最も本質的な学習・研究への影響の観点が正面から論じられていないことは憂慮すべきである。

 児童・生徒の学習への影響に関し、推進派は、インフルエンザが流行り大雪で交通インフラが止まる2月の入試を、9月入学で避けることができる、とメリットを挙げていたが、推進派の主張するように夏に入試を実施すれば、真夏の猛暑の時期に体調を崩す受験生が続出するであろう。確かに、インフルエンザによって勉強どころでなくなる可能性はあるが、インフルエンザ予防は個々人の努力で対応可能であるのに対し、冷房病になったり、冷たい食べ物や飲み物でお腹を壊したりと、暑さ対策で寧ろ体調を崩すこともあり、夏バテ対策も含め、健康管理は夏の方が冬よりも難しくなるのではないか。特に近年は夏の顕著な猛暑が日本列島を遍く襲っているのである。

 そこで、推進派には、7月や8月ではなく、6月に入試を実施すればよいと主張する向きもあった。確かに、猛暑の時期を避けられるので、前述の懸念は回避できる。しかし、従来、中高一貫でない高校では、3年間の履修範囲を、卒業年の1月までかけて習うことが珍しくない。理科・地歴であれば、入試の出題可能性がある範囲を、ギリギリの時期でようやく終えるのであり、いわば高校入学から34ヶ月の期間で教科書の最後まで到達するのである。ここで、もし9月入学に移行し、入試を6月に実施するとすれば、5月には終えておく必要があるから、約33ヶ月で授業を完了する必要があることになる。要は、入試実施月から大学入学月までの空白期間が、9月入学の方が長くなることで、必然的に授業日数が減るのである。そうなると、履修範囲を減らすしかない。だが、9月入学でグローバル・スタンダードに合わせることで、所謂「ゆとり教育」への逆戻りは本末転倒である。ゆとり教育で履修範囲を減らしたことは誤りであったことが社会的に合意されている筈なのに、今回、学事日程を変えようという議論において、社会制度全般への影響という観点以外で最も重要な学業への影響が注目されていないようである。単に、教育現場の混乱を招くから、という理由では、将来に再び9月入学を求める声が息を吹き返すのではないか。

 また、推進派は、海外から優秀な留学生を招くことができることも根拠に挙げていたが、そもそも日本の研究水準の向上にどれだけ役立つのか疑問である。推進派は、優秀な留学生に来てもらい、日本の学術発展に貢献してもらおうと期待するのであろうが、そもそも日本人研究者を育成して成果を出せる環境を整備するのが優先されるべきである。推進派に言わせれば、日本人研究者を育てても成果が出ないから優秀な外国人に頼るべきだというのであろう。しかし、日本人研究者が成果を出せない劣悪な環境であれば、外国の優秀な若者が日本に来てくれる筈もないのであり、学術振興の切り札に優秀な留学生を招こうとするのは、自国民の手による現状打開から目を背けた亡国への第一歩であり、外国人観光客依存の経済成長と同じくらいの愚策である。

 このように、9月入学は日本の学校における教育・研究についての根本的な考察が社会的に深まらないまま見送りとなった。今回は9月入学を阻止できたから良いものの、制度を変えること自体が目的化した無責任な「改革派」の声が大きい現状では、再び、無責任な議論が起きてしまい、我が国が衰退に近付く危険があるのではないだろうか。