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ひとつのペン―蒼き果てにて―

七里正昭(35歳、福岡県、団体職員)

 

「蒼き季節の果てにて/空白なる紙を前に坐[すわ]る/綴るには遙かに多き量にて/わずかな人生にても我等ゴミにあらず/人でありしことに愕然とする」(矢島正雄・弘兼憲史『人間交差点』)
 時給は八三〇円だった。九年前、失業した私は次に行くあてもなく契約社員になった。交通費は支給されなかった。社会保険料を引かれると月収が十万円を割ることもある。身を寄せる実家があるという「運」に私は支えられていた。実家がなければネットカフェか路上に行くしかないのだと気づかされた。
 時給を上げてくれとは言えなかった。同じ時給で私の倍の業務をこなす者がいた。私の時給より百円高いだけの「班長」と呼ばれる者たちが七~八名の労働者を統括していた。
 その会社は行政から業務委託されていた。ひたすら紙資料とオンラインデータを突合し、差異がないかを確認する仕事だった。働く私たちには厳しい守秘義務と職業倫理が課せられた。
 大人数が働く業務空間に持ち込めるのは所定の透明バッグに入れた飲み物だけ。業務用ふせんに「食事に行こうよ」といった同僚への私信を書いた者、部外秘である職場の所在地を親に連絡して忘れ物を届けさせた者、パソコンで業務と関係ない画面を誤って開いて報告しなかった者。そうした者たちが例外なく、いつの間にか姿を消した。
 以前、非正社員のほうが正社員よりも職業倫理意識が高いという調査結果を見たことがあった。当時は理解できなかったが、自らが同じ立場になってよくわかった。職業倫理を徹底遵守し続けなければ雇用契約が更新されないのが非正規労働なのだ。会社自体が行政から業務を請け負う「非正規」であり、労働者に少しでも甘くすれば業務委託を解消されかねないという構造があった。
 働き続けて半年が過ぎ、こんな仕事にもささやかな喜びが芽生えたことに、私自身が驚いていた。業務試験に向けて老若男女の班員全員で協力した。バレンタインデーやホワイトデーにはスーパーの格安の菓子を配り合った。恋に落ちている男女がいた。彼と彼女の進展が私たちの日々に彩りを与えた。
ある日、本社から役員が来て、説明会が開かれた。「この事務所を閉鎖します」と発表された瞬間、誰もが絶句した。「こんなこともありうると労働契約書に記してあるので」とおどけて話す役員の笑顔が印象に残っている。私たちは席に戻り、黙々と働いた。
 最終出勤日の夜、初めて班で飲み会を開いた。会費は数千円。私たちにとって「最後の晩餐」にふさわしい贅沢だった。今後どう働き暮らすかを互いに話しながら、私たちはようやく心から笑い合えたのだった。
最後に、班長が班員に贈り物を手渡した。一人一人の名字が刻まれた「シャチハタ」の印鑑が付いたボールペン。ひとつが班長の時給に相当するはずだ。こみ上げる熱い感動をこらえながら私は「今まで本当にありがとうございました…」と言うのが精一杯だった。
 現代日本に二つのイデオロギーが跳梁している。「巨額の過料を国民に払わせて自粛させろ」という観念と「都市封鎖してゼロコロナを達成せよ」という観念と。二つの観念は激突しながら、やがて斉唱となって「補償なき過剰自粛の長期化」という他国に類例なき最悪の「緊急事態」を生成していることを後世の子孫たちに伝えておきたい。
 あのころの私たちなら、声を呑むしかなかっただろう。過料も都市封鎖も、瞬時に私たちから日々の仕事のささやかな喜びを奪いとり、私たちを失業と路上生活に追いやるに違いないのだから。
真っ白な紙にポンと押すと、今なお鮮やかな朱印が映える。このペンは、あの労働の日々が確かに存在したことを教えてくれる。あのころに戻りたいとは思わないが、かつての仲間たちへの決して届かない手紙を、私は今こうして綴っているのかもしれない。