「ペパーミント・キャンディー」ともリンクする日本国家と個人の歴史

羽田航(53歳・派遣・埼玉県)

 

 初めまして。最近5月号から読み始めた羽田航祐と申します。早速ですが「ペパーミント・キャンディー」の映画を題材にしたトークを拝読し、直感で「これは観ておかないといけない」と思い、つい今し方見終わったところでまだ激しく動揺しております。文中に「個人の歴史を振り返ることがそのまま国家の歴史と重なってくる」という表現がございましたが、これは韓国に限らず、日本人にとっても必ずしも他人事ではないような気がしております。

 以降はネタバレになってしまうので、これからご覧になる方は読み飛ばして頂いても構わないのですが、この映画の冒頭で主人公が自死を決意した時、誰かを道連れに殺すにしても、誰を殺したらよいか迷っているシーンがありました。私の場合も同じような思考に陥った経緯があり、それはビジネスで圧力をかけてきた取引先であったり、父親を追い詰めた保険外交員であったり、さらに遡ると小学校の頃のイジメの主犯格であるのかもしれません。しかし私はプロの殺し屋ではないので技術的にも一人が限界ですし、仮に成功したところで、現実には次から次へと別の敵が現れ、それこそ「シーシュポスの神話」の如くキリがないのです。ただそれでも日々の生活を守るためにマイナス要因を一つひとつ排除し、振り返ればそれをひたすらこなしていく人生だったと思います。

 話を映画に戻しますが、主人公が初恋の相手と後の妻にあたる食堂の姉ちゃんにも「刑事になるなんて貴方らしくないわね」と言われたシーンにこの映画の言わんとしていることが集約されていると感じます。私も幼少期から虚弱体質でなおかつ音楽が趣味であることから親からも優しい少年と言われたものでした。しかし最初のイジメを経て敢えて冷徹な自分を演じる訓練をするうちに成人する頃には次第に周囲からもミステリアスで恐れられる存在だと言われるようになっていきました。恐らく好意を寄せてくる女性も何人かはいましたが、自分が生きていくだけで精一杯で、きっと彼女達からは私を冷徹な人間だと受け取られているでしょう。

 特に私の場合は氷河期世代で高度経済成長期には上の世代に「努力すれば報われる」とよく言われたものでしたが社会に出た直後にバブルが弾けたため就職浪人となりアルバイト生活を余儀なくされました。しかし職場ではまだバブルの余波が残っていて上の世代がフワフワ遊んでいる光景をみつつ、いつか自分も報われる日を夢に雑用をコツコツとこなしたものでした。就活も定期的に行ってはいましたが収入を増やすには起業するしか選択肢はなく大学院に進学し幾つかのスキルを磨いてきました。しかし四十歳を過ぎた辺りから状況は一変し、就活では学歴よりも職歴、起業したことよりも大企業の正社員という肩書きを世間では評価されるのだという現実に絶望し、そこから一気に体調を崩しはじめます。

 現在は派遣をしながら一回り下の世代の正社員の方々と仕事をすることが多くなってきましたが、状況は私の若い頃と何も変わらず雑用がメインです。一部の旧世代の人からは氷河期世代は能力がないと言う人もいましたが、若い世代の人の中にも態度で内心そのように思っているのが分かります。しかし何社も経験してみると8割方どこも似た様なもので、揉め事を起こさず彼らと上手くやっていくには、会社の人たちが抱えている数々の難題を解決するスキルがあっても敢えて口出しをせず能力がないフリをするのが上手くやっていくコツだと心得ています。そういう会社ほど数年後には無くなっていますが知らぬ存ぜぬです。それよりも親の介護なども追い討ちをかけ、ここまで歪になってしまうともう個人のスキルや努力ではどうにもならず日本人でも社会構造の犠牲にならざるを得ないのだということをこの場を借りてお話しできれば幸いです。