施光恒さんの新著『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)を読みました。
日本人は周囲に流されやすく、自律性や主体性がないというのは本当なのか。欧米に比べると「お上」意識が強く、権威に弱いというのは本当なのか。こうした疑問に、さまざまな比較文化研究の成果を踏まえて答えてくれる良書です。
ルース・ベネディクトの『菊と刀』に始まる典型的な「日本人論」を批判の俎上に載せながら、日本文化の中にある主体性や自律性の理念に、施さんなりの言葉を与えていきます。読みやすい文章で書かれているので気づきにくいかもしれませんが、これはかなり野心的な本です。
本書を読むと、日本文化の特徴は教育に現れているとの思いを強くします。日本の家庭教育、学校教育は、他者への「思いやり」を重視し、子供たちに他者の視点から自分の行為を「反省」させようとする。ごく当たり前のことに思えますが、これは、日本に特徴的な教育文化のようです。
世間には、日本文化は権威主義的で、欧米文化は民主主義的だという強力な固定観念があります。しかし、この二分法は本当なのか。本書にもたびたび引かれている例ですが、欧米の家庭教育では、親が子供に有無を言わざる命令する、という場面がよく見られます。大人としての「権威」に訴え、断固たる口調で子供の行動を改めさせようとするのです。
本書の第五章に、アメリカの小学校の道徳教科書に登場する、幼い姉妹の物語が紹介されています。
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ある仲良しの幼い姉妹がいました。夏休み、お姉さんは海辺で開かれる「砂のお城づくりコンテスト」に参加します。妹は手伝いたがりますが、飽きて壊されたりすると嫌なので仲間に入れてもらえませんでした。
懸命にお城づくりするお姉さんですが、目を離した隙に、誰かに壊されてしまいます。犯人は、仲間はずれにされたのに拗ねた妹でした。
妹は謝り、「手伝わせて」と頼みますがお姉さんは「ダメ」と一喝。そのままお城をつくりなして一等賞を取ります。その夜、浜辺で花火大会が開かれますが妹の姿はありません。お母さんが妹に罰を与え、楽しみにしていた花火を見せなかったのです…。
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姉は自分から謝ってきた妹を許さず、母親も妹に厳罰を与えた。この話を聞くと、日本人の多くは、まだ幼い妹に厳しすぎるのではないか、と答えるはずです。母親が妹に「反省」させ、ダメなことはダメと教えた上で、最後は家族一緒に花火を見るという結末を好むでしょう。事によると、妹だけでなく姉にも「反省」させ、姉なのだから妹の気持ちも考えてあげなさい、と言うかもしれません。
だから日本人が好む道徳物語は、(施さんが述べていることを私なりに書き直すと)次のようなものになるはずです。
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ある仲良しの幼い姉妹がいました。夏休み、お姉さんは海辺で開かれる「砂のお城づくりコンテスト」に参加します。妹は手伝いたがりますが、飽きて壊されると嫌なので仲間に入れてもらえませんでした。
懸命にお城づくりするお姉さんですが、目を離した隙に、誰かに壊されてしまいます。犯人は、仲間はずれにされたのに拗ねた妹でした。
妹は泣いて謝ります。お母さんは、妹を叱りますが、姉にも「あなたもお姉さんなのだから、妹を仲間はずれにしないの」と言ってたしなめます。姉妹はお互い反省して、一緒にお城づくりをすることにしました。
その夜、浜辺で花火大会が開かれます。そこには仲直りした姉妹とお母さんの笑顔がありました…。
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こう書き換えると、日本人の大多数は納得するでしょう。ところが、アメリカの基準で行くと、これは妹に甘すぎる、となるはずです。
実際、この話を私の回りの学生にしてみると、欧米からの留学生は全員が、「アメリカ版」の方が普通だと答えました。一方、日本の学生は「日本版」のほうがしっくりくると言います。(中国の学生は、この二人が姉妹なら「日本版」が正しいが、兄弟なら「アメリカ版」でいいと答えるようです。)
この違いはどこにあるのか。物語が伝えようとする道徳の「内容」(ルールの遵守、他人への配慮)は大きく変わっていません。ただ「アメリカ版」では親の権威を、ルール破りした妹への罰を与えることに使うのに対し、「日本版」では親の権威を、姉の「責任」や姉妹それぞれの「役割」を自覚させることに使うという点に、違いがあるように思えます。
どちらがいいと言うことはできません。ただ、どちらが「しっくり」くるかという違いは残ります。感覚的に「しっくり」くるものを文化と呼ぶなら、文化は家庭や学校の教育において、はっきりと現れるものなのでしょう。
同時に次のことを思います。欧米の識者はよく、日本(やアジア諸国)を権威主義文化だと言い、自分たちの民主主義文化と対比させようとします。しかし、この二分法は本当に正しいのか。一見したところ権威主義と見える日本文化の中にも、それぞれの立場や役割を尊重する民主主義の要素が確実に含まれているのではないか。
逆に民主主義に忠実と見える欧米文化の中にも、規範を命令し、規範から外れるものを容赦なく排除するという権威主義の原理が隠されているのではないか。民主主義と権威主義は、ふつうに考えられるほど截然と分けられるものではなく、相互に補完的な関係にあるのではないか。そのように思えるのです。
比較文化論は、それぞれの文化がどのような特徴を持っているかを知るためだけでなく、各文化に共通した「構造」を正しく把握するためにも必要なのだと思われます。『本当に日本人は流されやすいのか』は、日本文化を理解するためだけでなく、よく引き合いに出される欧米文化を正しく理解するためにも、また両者の重なり合う部分に目を向けるためにも、必読の本として幅広い読者にオススメできます。
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