【仁平千香子】与えることができない大人たち

仁平千香子

仁平千香子

最新刊、
『表現者クライテリオン2025年5月号 [特集]石破茂という恥辱ー日本的”小児病”の研究』から特集論考をお送りします。

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握りしめれば握りしめるほど人は不安になる。
与える喜びを知らない不機嫌な大人たちは、サンタクロースにしか笑いかけない。
そこに日本的「小児病」の根がある。

 日本人の多くが指導者たちの無責任な言動に憤りを感じている。それは彼らの言動や政策が、国民の利益を第一優先に考えた結果とは到底思えないからであろう。言いかえれば、「どうしてもっと国民に与えるための政治ができないのか」という憤りである。

 政治家の多くが保身を目的にしていると言われる。包括的に見れば国の危機を救うと考えられる政策であっても、身の安全を危機に晒す可能性のある行動はできない。しかし保身に関心が高いのは政治家だけではないだろう。私たちの誰もが、与えられた安心を手放すことには抵抗がある。たとえ国の未来がかかっていたとしても。日本の不確かな未来への不安を政治家のせいにするのは容易であるが、その政治家が権威ある地位に立ち続けることを可能にしているのは、日本中でそれを傍観する大人たちである。日本人全体の幼稚性を置き去りにして政治家の幼稚性を語ることに説得力はない。

 私たちはどうして国の未来のために与えられない大人になってしまったのか。本稿ではそんな問いを考えたい。ここでは日本人の幼稚性について考える材料として芥川龍之介の「蜜柑」(大正八年)を取り上げる。

不潔な田舎娘への苛立ち

 外套を着たひとりの男が二等客車に腰を下ろした。男以外に乗客はいない。男は「疲労と倦怠」で夕刊を読む元気すらない。

外を覗くと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。

 「檻に入れられた小犬」と自分を重ねる様子から、男は何らかの不自由さを感じていることが予想できる。

 発車の笛が鳴ると、「十三四の小娘」が男の客車に走り込んでくる。向かいの席に座った娘の手には「三等の赤切符」が握られている。娘を眺めながら、男は「不快」で仕方がない。

 男を不快にさせるのは、主に娘の「田舎者」臭さである。「油気のない髪」、「皸だらけの両頬」、「垢じみた」襟巻、膝の上の「大きな風呂敷包み」、「霜焼けの手」、「下品な顔だち」、「不潔」な服装、「三等の赤切符」で二等客車に乗る「愚鈍な心」。これらすべてが男を「腹立た」せる。

 目の前の不快な光景から目をそらせようと、夕刊をひろげるが、「やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた」。男は田舎者の娘と、平凡な記事の数々が、「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」でしかないと、さらに憂鬱を高める。

 うつらうつらしていた男は、いつのまにか娘が自分の隣に席を移して、重い硝子戸を開けようとしていることに気づく。トンネルに近づく汽車の窓をわざわざ開けようとする娘の意図が男にはわからない。トンネルに入ると同時に硝子戸が開くと「煤を溶したやうなどす黒い空気」が室内に入り込み、男は咳き込む。娘を叱りつけようと思ったときには、汽車はトンネルを抜け「或貧しい町はづれの踏切り」に近づいている。そこには「頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐる」のが見える。

するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。

 娘が見送りに来た弟たちに蜜柑を投げる光景に、男は「或得体の知れない朗な心もち」を感じる。そうして作品は次の文章とともに閉じる。

私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

どうして苛立ち、どうして癒されてしまうのか

 男はどうしてこれほどまでに娘の身なりに注目するのだろうか。どうしてみすぼらしい身なりが男を苛立たせるのだろうか。男はまるで娘の貧しさを探しているかのように娘を見る。そしてそれらを見つけては不快感を募らせる。

 快であれ不快であれ、感情が揺さぶられるとき、それは目の前の他者が自分の鏡像として現れていることを示唆する。不快なのは見たくない自分の一部であるからだろう。娘が過去の自分を思い出させるからなのだろう。つまり男は貧乏から抜け出して外套を着て二等客車に乗ることに成功した人物ということだ。きっと大変な道のりだったはずだ。だから、その大変な過去を思い出させるみすぼらしい娘が嫌なのだ。

 もう一つの問いがある。、、、続きは本誌にて…


<編集部よりお知らせ>

7/1(火)、早稲田大学公認の保守系政治学術サークルである国策研究会の主催で、藤井聡先生の講演会が開催されます。
以下に開催概要を記します。ぜひご一読のうえ、ご参加ください。(※予約優先とのことです。)

 ━━━━━━━開催概要 ━━━━━━━

■講師:藤井聡 (京都大学大学院教授/元内閣官房参与)
■演題:「天下布道〜国土を巡る国民国家の現象学」
■日時:7月1日(火)17:00〜18:30(開場16:30)
■会場:早稲田大学 小野記念講堂(東京都新宿区戸塚町1丁目103-18)  
地図:https://maps.app.goo.gl/Aa9zarQCcR8iCHfv7
参加費:無料・一般公開(学生に限らず、どなたでも無料でご参加いただけます。)
■予約:予約優先(当日参加も可)
↓予約フォーム↓
https://forms.gle/hUoEEdawwYKw8vox6
※座席数に限りがございますため、「予約優先」とさせていただきます。ご予約のない方も、座席に余裕がある場合は飛び入り参加が可能ですので、当日直接お越しいただいても構いません。事前質問も受け付けておりますので、ぜひこちらからお寄せください。

 

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◯毎月第2土曜日 17時から約2時間の講義
◯場所:新宿駅から徒歩圏内
◯期間:2025年4月〜2026年3月
◯毎回先生方を囲んでの懇親会あり
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講師(敬称略)
高市早苗、藤井聡、川端祐一郎、納富信留、鈴木宣弘、片山杜秀、施光恒、與那覇潤、辻田真佐憲、浜崎洋介、磯野真穂ジェイソン・モーガン、富岡幸一郎、柴山桂太

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