【藤原昌樹】「内輪の論理」で褒め合うだけでは「報道への信頼」は得られない ―「『君が代調査決議』に関する報道」への「疋田賞」授与をめぐって―

藤原昌樹

藤原昌樹

2025年度「新聞労連ジャーナリズム大賞」及び「疋田桂一郎賞」

 

 2025年度の「新聞労連ジャーナリズム大賞」と「疋田桂一郎賞」に沖縄の新聞社の記事が選ばれました(注1)

 日本新聞労働組合連合(新聞労連)は全国の新聞社の労働組合でつくられる団体で、毎年、「平和・民主主義の発展」「言論・報道の自由の確立」「人権擁護」に貢献した記事・企画・キャンペーンに「新聞労連ジャーナリズム大賞」(以下、「大賞」)を、また、「人権を守り、報道への信頼増進に寄与する報道」に「疋田桂一郎賞」(以下、「疋田賞」)を授与しています。

 今年度は『沖縄タイムス』編集局による「沖縄戦80年 鉄の暴風 吹かせない」キャンペーン報道と「自民党 西田昌司参院議員の『ひめゆりに〈歴史書き換え〉発言の特報』」がセットで「大賞」に選ばれ、共同通信社の「在日米軍核訓練問題」にも「大賞」が贈られました(注2)

 また、「疋田賞」には、『沖縄タイムス』「人口格差」取材班の「人口格差 振興策を問う」と『琉球新報』八重山支局の「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」が選ばれています(注3)

 その他、『北海道新聞』や『秋田魁新報』、『信濃毎日新聞』『愛媛新聞』などが「優秀賞」や「特別賞」に選ばれていますが、今年度の「大賞」と「疋田賞」には、いずれも「沖縄」をめぐる報道が選ばれたのです。

 

「報道への信頼増進」に寄与したのではなく、信頼を損ねたのではないのか?

 

 「疋田賞」の選考評では、「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」について「石垣市議会が児童・生徒を対象に国歌「君が代」を歌っているか調査を求める決議を可決する中、市教育委員会にアンケート実施を見送らせた報道の力が評価された」とし、「教職員が『恐ろしい時代になった』と憂えるなか、『子供たちの内心の自由を侵害する』などと真正面から論陣を張り、教育委員会を動かした意義ある報道だ」と絶賛しています。

 石垣市議会が児童・生徒を対象に「君が代を歌えるか」の調査の実施を求めたことを報じて石垣市民のみならず沖縄県民に広く知らしめたことが評価されたこと自体について疑義がある訳ではありませんが、その理由として「市教育委員会にアンケート実施を見送らせた報道の力」が挙げられていることへの違和感を拭うことができません。

 しかも、『琉球新報』が「疋田賞」を受賞したことを受けて、石垣市教育委員会が1月21日夕方に記者会見を開き、その受賞を報じる記事について「市民に誤解を与えるものであり、事実誤認である」との見解を表明しました。『琉球新報』の報道については「市教育委員会の意図と違う内容が積み重なっている。誤解されたままではいけないため、今日の発表になった」と述べており、会見で公表した文書を琉球新報社に送付するほか、新聞労連にこれまでの経過などを説明する方針を示しています(注4)

 果たして本当に、その「疋田賞」の受賞理由として挙げられている「報道の力」なるものが「人権を守り、報道への信頼増進に寄与」したと言えるのでしょうか。

 石垣市議会の「君が代調査決議」については、私自身も昨年の記事で論じています(注5)

 これまで機会あるごとに、『琉球新報』『沖縄タイムス』をはじめとする沖縄のマスメディアの報道について「極端で非現実的な『平和主義』に傾倒しているのではないか」「沖縄で活動する過激な反戦平和活動家たちのスポークスマンと化している」「『報道しない自由』を行使しているのではないか」などと批判的に論じてきました。

 『琉球新報』による「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」が、我が国の「国旗・国歌」である「日の丸」「君が代」を否定する偏った思想・信条を有する、沖縄県民の中でも極めて少数の反戦平和活動家たちに同調し、報道機関に求められる「公平・公正」「不偏不党」の立ち位置や「常識(コモンセンス)」から乖離していることは明らかです。当の本人達が気づいているのかどうかは定かではありませんが、このような「常識(コモンセンス)」からかけ離れた報道を続けていることによって、沖縄のマスメディアが「報道への信頼」を増進するのではなく、県民からの信頼を失うことに繋がっていることは間違いありません。今回、同時受賞とはなりませんでしたが、『沖縄タイムス』の「君が代調査決議」に関する報道も同様です。

 そもそも「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」と、その報道に対する「人権を守ることに繋がった」という評価は、「『日の丸』『君が代』を教えることが児童・生徒の人権を侵害することになる」という前提(主張)に基づいているものですが、その主張が、児童・生徒から我が国の「国旗・国歌」である「日の丸」「君が代」について学ぶ機会を奪い、子供たちの「学ぶ権利」「知る権利」を侵害することに繋がりかねないということについて、あまりにも無自覚であるように思えます。

 しかも、石垣市教育委員会が「事実誤認である」として報道の内容を否定したことにより、「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」が「事実」をありのまま伝えるのではなく、「日の丸」「君が代」を否定する偏ったイデオロギーに基づいて「事実」を捻じ曲げて報道したのではないかとの疑念が生じてしまっています。

 この『琉球新報』による一連の報道に対して「疋田賞」を授与されたということが、沖縄のみならず、全国のマスメディア(特に新聞)の「内輪の論理」が「常識(コモンセンス)」から乖離し、しかも、報道に従事する彼ら自身がそのことに気づいてさえいないということの証左であるように思えてならず、残念でなりません。

 

「解散に大義はない」との大合唱-「内輪の論理」で騒ぎ立てるオールドメディア

 

 高市早苗総理が1月23日召集の通常国会冒頭で衆議院を解散することを決め、19日夕方の記者会見で27日に衆議院議員選挙の公示、2月8日に投開票を行なうことを正式に表明しました。それに対して、立憲民主党と公明党が選挙に向けて合流し、新たな政党「中道改革連合」(略称:中道)を結成するなど、既に政界全体が選挙モードに突入しています。

 高市総理の「通常国会において早期に衆議院を解散する」との意向が明らかにされたことを受けて、『産経新聞』など一部を除くマスメディアの多くが「国民の暮らしを顧みず、解散を強行しようとしている」「大義は見当たらず、禁じ手に近い」「権力の乱用だと言わざるを得ない」「究極の“自己都合解散”だ」などと解散を決断した高市総理を非難することに終始しています。

 しかしながら、『表現者クライテリオン』の藤井聡編集長が明確に指摘してくれているように、「現在の高市政権は、国民の直接的な選択によって成立した政権ではない」「現在の国会議員たちは、与党にせよ野党にせよ、“石破政権”が与党であるという前提の下で選ばれた議員たちである」「とりわけ自民党の議員は、(高市政権の政策ではなく)『石破政権の政策』の実現を国民に確約している状態にある」「しかし実際には、リベラル・緊縮志向の石破路線から、保守・積極財政志向の高市路線へと大転換がなされてしまっている」のであり、「事実上の政権交代」が起きている以上、その是非を国民に直接問うことは、民主主義の原理から見て不可欠であり、現状において、むしろ「選挙をしないこと」が不当であるということは明らかです(注6)

 確かに、高市総理に「今なら選挙で勝てる」という打算(計算)があることは間違いないでしょう。しかし、それとて民意を調達して、政治的エネルギーをつけることにより、自身が考える正当な政治を断行するためであるのだとすれば、それが私益や党利党略であると断ずることはできません。現在の高市総理の高い支持率は、その政治に対する国民の期待が背景にあり、それは石破政権の時と比較にならないのですから、自身の政策を自身に対する国民の支持のもとで行いたいと考えることは非常に筋が通っているように思います。少なくとも「民主主義」を奉ずる立場の人はこのことは否定できないのではないでしょうか。

 いまに始まったことではないのですが、高市総理の「衆議院を解散する意向」が明らかになって以降の報道が、改めて「オールドメディアが『常識(コモンセンス)』や『輿論』からかけ離れてしまっている」という事実を端的に顕しているように思います。

 改めて言うまでもないことなのかもしれませんが、「常識(コモンセンス)」とは「不変の真理」などといったものではなく、時代や文化、人々の価値観や社会の変化によって変化するものです。そして、時代や社会の変化によって「旧弊」や「因襲」と化してしまった「旧い常識」を糺すのは、何らかの政治的イデオロギーなどではありません。その理念や意見が良いか悪いかを判定する基準は、結局、常識(共通の感覚)でしかあり得ないからです。「常識を糺すのもまた常識」なのです。

 もちろん、ジャーナリズムが「既存の権威や権力」を監視・批判する責務を背負い、私たちが見過ごしてしまいがちな社会的矛盾を白日の下に晒し、社会的弱者の権利を守るために、「輿論」に働きかけることなどを通して、社会に対して「報道の力」を行使することを求められる場面があるということは、その通りだと思います。

 しかしながら、この度の衆議院の解散総選挙をめぐる報道が、その典型的な例の1つであると言えるのだと思われますが、ジャーナリズムが「常識(コモンセンス)」ではなく、偏ったイデオロギーや思想・信条に寄り添い、偏狭な主張に基づく報道が繰り広げられるケースが広範に見受けられます。

 決して少なくない数のジャーナリストが自らに課せられた責務、期待される役割に真摯に向き合っていることを疑うものではありませんが、オールドメディアがメディア業界の内部でしか通用しない「内輪の論理」に基づき、「反権威・反権力」のスタンスから正義を振りかざし、「常識(コモンセンス)」から乖離したイデオロギー、偏った思想・信条を主張する報道を続けるのであれば、彼らが衰退していくのは当然の成り行きです。

 この度の解散総選挙が、高市政権が「国民の信を問う」ものであると同時に、オールドメディアに対して「社会の木鐸としての責務を果たす意思はあるのか」との問いを突き付けていると言えるのではないでしょうか。

 沖縄のみならず、全国のマスメディアで報道に従事する人々に対して、この度の解散総選挙を「報道への信頼増進に寄与する報道とは何か」「社会の木鐸としての自らに課せられた責務」について改めて考える好機としていただきたく思います。

 

 

 

(注1) 2025年度新聞労連ジャーナリズム大賞、専門紙・スポーツ紙賞、疋田桂一郎賞決定 | 新聞労連(日本新聞労働組合連合)

(注2) 沖縄タイムス編集局「沖縄戦80年 鉄の暴風 吹かせない」

(注3) 「石垣市議会の『君が代調査決議』に関する報道」『琉球新報』

(注4) 石垣市教委 琉球新報社の報道「事実誤認が積み重なっている」 児童生徒への君が代アンケート巡り見解表明【教育長の見解全文】 | 沖縄タイムス+プラス2026年1月21日

(注5) 論理的な意見を交わそう ──「日の丸掲揚・君が代斉唱問題」再考 | 表現者クライテリオン|表現者クライテリオン

(注6) 藤井聡「解散に大義はない」のか──いま問われるべきは、むしろ“選挙をしないこと”の不当性である | 表現者クライテリオン|表現者クライテリオン

 

 

(藤原昌樹)


 

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