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【書評】「愛の源」 薄井大澄

薄井大澄

薄井大澄

エーリッヒ・フロム 著 鈴木 晶 訳 『愛するということ 』紀伊國屋書店/2020年9月刊 の書評です。
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 「人間のもっとも強い欲求は、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である」とエーリッヒ・フロムは言う。ただ生きてあることの堪え難さ。自分が自分であることのどうしようもない息苦しさ。どんな人間も死んで行く、最後の最後、己の死を引き受けるのはひとりきりだという事実。「どの時代のどんな社会」においても人間はこの「牢獄」からの解決を求めた。救われる道はあるか。ある、それこそが「愛」だと彼は言う。
 では、「愛」とは何か。それはなによりも「与えること」である。何を。「自分自身、自分のいちばん大切なもの、自分の生命だ」。そう彼は言う。しかし、この「与えること」は、何かを「あきらめること」、「剝ぎとられること」、「自分自身を犠牲にすること」とは全く違う。「犠牲を甘んじて受け入れる行為」こそが「美徳」だという考えなど彼は信じない。何故か。そこには「喜び」がないからである。「与えること」とは「自分のなかに息づいているものすべて」、すなわち、「自分の喜び」、「興味」、「理解」、「知識」、「ユーモア」、さらには「悲しみ」までも含めた自分の「生命」=「いちばん大切なもの」を与えることである。そして、この行為そのものこそ、他者を「活気づける」だけでなく、なにより自分自身を生き生きとさせ、「喜び」を実感させる。この「喜び」のないところに「愛」はない。他者を愛することができるのは、自分自身を心から愛することができる者だけだ。
 愛する者に愛された者もまた、己自身の「生命」に気付かされる。「愛」は決して依存関係ではない。「愛」とは「ふたりの人間がそれぞれの存在の本質において自分自身を経験し、自分自身から逃避するのではなく、自分自身と一体化することによって、相手と一体化するということ」であり、この「中心と中心の関係」=「人間のいちばん奥にある芯」と「芯」との触れ合い=魂と魂の触れ合いこそ、人間がなにより求めて止まない「真の欲求」だと彼は言う。本書で言及される(わずかであるが)「伝統」という概念もまた、この「中心と中心の関係」によって生まれる「愛が愛を生む力」の「伝承」に基づいている。
(続く)

(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)

続きは本誌でお楽しみください!

『表現者クライテリオン』2020年1月号
「菅義偉論 改革者か、破壊者か」
https://the-criterion.jp/backnumber/94_202101/

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