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【仁平千香子】記憶なき場所に故郷を探す①ー自分こそが「劣等民族」だった

仁平千香子

仁平千香子

今回は、『表現者クライテリオン』のバックナンバーを二編に分けて公開いたします。

公開するのは、仁平千香子先生の新連載「移動の文学」です。
第二回目の連載タイトルは「記憶なき場所に故郷を探す」。

菅義偉,政治,

表現者クライテリオン』では、毎号、様々な連載を掲載しています。

ご興味ありましたら、ぜひ最新号とあわせて、本誌を手に取ってみてください。

以下内容です。

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「日本のカミュ」

 かつて引揚者と呼ばれた人々がいた。第二次世界大戦終戦時に外地から内地に引き揚げた人々である。

引揚者の中には、戦後日本の文化界に大きく貢献した人物も少なくない。

五木寛之、日野啓三、赤塚不二夫、三木卓、別役実、山田洋次、後藤明生、なかにし礼、安部公房など例を挙げればきりがない。また橋田壽賀子、小澤征爾など外地で生まれ、教育のために日本に「帰国」した人物の戦後の活躍も珍しくない。

彼らは外地で生まれ(または幼少期に移住し)、意識形成の重要な時期に引揚げや「帰国」を経験した。彼らはかつて「日本のカミュ」とも呼ばれた。

旧植民地アルジェリアで生まれ、祖国のフランス本土では違和感や疎外感を感じ続けたアルベール・カミュの経験は、日本に引き揚げて来た元外地人の経験に重なる部分が多かったからだ。

 小林勝も外地生まれであるが、植民地支配に対する贖罪意識を持ち続け、生まれ故郷である朝鮮の側に立つことに固執した点で他の引揚者たちと一線を画す。

朝鮮人を差別する日本人への憎悪を隠すことなく、その作家人生を日本非難に費やしたと言っても過言ではない。

 本稿では、小林が一九五七年に発表した短編「フォード・一九二七年」を通して、移動がもたらす作用について考えてみたい。

前回は、日系二世アメリカ人の作品を通して「祖国」と「故郷」の齟齬がもたらす自己認識への影響について語ったが、今回はそれを外地生まれの日本人の作品から読み解きたい。

小林の政治的立ち位置の作品への影響は濃くあるが、外地で生まれ育ち、戦後日本で暮らした小林の視点は、移動がもたらす子供への影響を深い洞察力をもって描いているという点で重要である。

あこがれのトルコ人、禁じられた朝鮮語

 主人公は小林と同じく朝鮮生まれの日本人である。

彼は中国の戦場で肺病に倒れ、付き添う衛生兵に少年期を語り始める。それは少年の町に青い眼のトルコ人一家が新品のフォードに乗ってやって来たという話から始まる。

当時どんな大地主であっても自家用車を持たないその町で、唯一自家用車を持つこの呉服商のトルコ人は異質の存在だった。トルコ人は山を一つ買い上げ、鉄条網を張り巡らし、山の天辺に大きな西洋館を建てた。

その煙突から煙が吐き出されると、日本人たちには「どこか遠い、西洋の国」のように映った。日本人たちはトルコ人について様々な推測や噂を立てるも、誰も西洋館に行って確かめるものはいない。

日本人がトルコ人に近づかなかった最大の理由は、朝鮮人の存在だった。トルコ人の父親は毎週日曜日に朝鮮人をフォードに乗せて町を一周するのを習慣にしていた。

「朝鮮人なんかと友達づきあいをしているトルコ人のところへ行くのは、わざわざ朝鮮人と対等関係になろうとするものだ」

という懸念から、日本人はトルコ人を避けた。朝鮮人という「劣等民族」と自分たちの間の力関係を崩してはならないという自負から、トルコ人への密かな憧れは否定されなければならなかった。

それでも朝鮮人を乗せてフォードが町中を走るたびに、日本人は「誇りを傷つけられた」ように感じ、朝鮮人への恨みを高めるのだった。

 少年にとってもトルコ人と西洋館は興味の対象だった。

ある日、トルコ人に流暢な日本語で話しかけられ、ドライブに誘われる。少年は興味を引かれるも、朝鮮人と一緒に乗ることで予想される様々な面倒を想像して断る。トルコ人は少年に断られるも、小さい娘がいるから、一度家に遊びに来るよう誘う。

 少年は、他の多くの日本人の子供同様、朝鮮人との交流も朝鮮語の習得も忌避されている。

当時の外地では、現地語を話すことは劣等民族の証とされ、日本人のほとんどは朝鮮語を解しなかった。外地においてバイリンガルであるのは主に朝鮮人で、被支配者の立場を強調するものであった。

作中の少年にもまた朝鮮語を学ぶ機会はない。それは現地の朝鮮人の子供たちとの交流を妨げるものであり、日本人の子供たちは子供の共同体内においても、外部と内部の壁を意識させられていた。

 トルコ人と西洋館への興味を捨てきれない少年は、夏休みに姉が寄宿舎から帰るのを待って一緒に行くことを決める。もちろん両親には内緒である。

姉弟は西洋館に着いて早々、朝鮮人の隣で遊ぶ金髪で青い目の女の子を見つけ、その可愛さに目を奪われる。

しかし、驚いたことに少女は日本語を理解せず、朝鮮語を使って朝鮮人と会話をしていたことを知り衝撃を受ける。少年は止むを得ず、知っている朝鮮語の単語を駆使して質問を試みる。

─きみの家に自動車があるだろうか?

(中略)すると、ぼくの言葉が終るか終わらぬかに、じっとぼくの口もとをみつめていた少女の顔に笑みがみなぎった、そしていとも鮮やかに、こういったのである。

─チャドンチャ、イッソ!(自動車、あるわ)

(中略)ところでぼくは朝鮮語で会話をはじめた以上、やりつづけねばならなかった、しかし、ぼくは、朝鮮語をろくに知らなかった、そこで自分でも馬鹿気ていると思われる質問をせざるを得なかったのだった。

─君の家に(と、ぼくは次の単語を発音するのに躊躇した)汽車はあるか?

むろん汽車なんてある筈はないではないか、ぼくは悲しくなってしまった。(中略)

─汽車、あるわ!

そしてむくむく太った足を日の光に反射させながら家の中へかけこんでいった。しばらくして出てきた彼女の両手の上には、ぼくのうる覚えの朝鮮語がしめした、まぎれもない汽車がのっかっていた!─木製の。

そこでは、下等民族が権力を持っていた

 その時、ぼくは、山の下の小っぽけな町の中でこそ朝鮮人を馬鹿にして暮らしているが、しかし、この山の中では、ぼくと姉とは、自動車と汽車という単語二つよりほかに何の居場処もない、遠い外国に来てしまったような気がしたのである。

 少年が朝鮮語を口にした途端、少女との交流が始まる。しかし少女ともっと話したいと思うほど、少年は自分の朝鮮語の拙さに愕然とする。

憧れのトルコ人の空間においては、それまで「汚れた」言語として禁じられてきた朝鮮語こそが共通語であり、自分が下等民族と教えられてきた朝鮮人こそが言語能力(すなわち権力)を保持しているのだと知らされる

そして自分こそが空間に闖入してきた「外国人」であるのだと気づくのだ。自分が言語的劣等者であることを知らしめられ、その苛立ちはより下等の存在を探す衝動に繋がる。

そこで目に入るのが汚れた野良の子犬であった。子犬の登場に喜ぶ子供たちに合わせようと、少年は子犬に近づくが、子犬は少年にだけ歯を剝き出して威嚇する。

みすぼらしい子犬にすら受け入れてもらえないことで、少年の疎外感は増し、それは敵意に変わる。そして少年は携帯していた空気銃の銃口を子犬に向け、引き金を引く。

しかしその瞬間に悲鳴をあげたのは子犬ではなく、誤って当たってしまった少女であった。少女の白い足には鉛の弾がくいこみ、悲鳴をあげている。

少年は恐ろしくなり、姉と急いで逃げ出す。自分に待ち受ける非難と罰を想像しながら、丘を駆け下りるも、追いかけてきたフォード車に止められる。後ろの席には泣きはらした少女と朝鮮の子供たちが乗っている。

しかし少年が叱られることに恐怖する間もなく、トルコ人の父親は「何でもありませんでしたよ、ほんの少しのけがです」と微笑さえ浮かべて話すのだった。

そこには少年を怖がらせまいとするトルコ人の気遣いさえ感じさせる。さらに父親は一緒にドライブに行こうと姉弟を誘いさえする。少年は涙を堪えきれず、泣きじゃくる。ようやく顔を上げた時には、フォードはすでに去っている…(続く)
 
〈参照〉

小林勝「フォード・一九二七年」『小林勝作品集1』白川書院、一九七五年
Scannell, Leila & Robert Gifford. Defining Place Attachment: A Tripartite Organizing Framework. Journal of Environmental Psychology 30(1) :1-10, 2010.

(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)

 

 

 

続きは近日公開の第二編で!または、『表現者クライテリオン』2021年1月号にて。

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