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【公開(続)】表現者賞受賞作・岩尾俊兵「文学的経営学序説」

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

2022年2月16日に発売『表現者クライテリオン』最新(’22/3月)号

今回は最新号で掲載されている、第4回表現者賞受賞作となった岩尾俊兵先生の「文学的経営学序説」の後半を公開いたします。

なお、岩尾先生は22年度表現者塾の講師としても登壇予定です。

是非、ご一読ください!

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文学的経営学序説
文学と経営の対立の誤りを正す

慶應義塾大学専任講師 岩尾俊兵

(前回からの続き)

 まず、文学が持つ文脈の力は、個人の意思決定前提に入り込み、注目の分布を変化させる。文学作品の存在により、大多数の人にとって辺縁にあったものへ注目が振り向け直され、普段は無視されていた情報を人々に取り込ませ、それをもとに何らかの目標を設定した意思決定を導く。『意思決定と合理性』は「情報が過多になった社会において、希少資源となるのは注目である」という視点から、社会の中で情報処理する個人という視点に拡大・拡張した議論をおこなっているのである。
 人間の合理性・計算能力には一定の制限があるという、限定合理性仮説という現実的な仮定の下では、人間は社会にあふれた情報のうち何に注目するかを決められないと何も行動できない。そして、それゆえに、注目によって最終的な意思決定が方向づけられるというのである。
 このときサイモンは、文学作品が社会に果たす役割は、様々な悲劇への注目を(再度)引き起こすことにあるという。すなわち、情報が溢れる社会において、すぐれた文学作品は、その中で重要なものについて語りかけてきて、我々の注目を引き出し、意思決定を変化させる力を持つというのである。
 たとえば、SNSの普及によって、そこら中に文章が溢れている世の中で、文学はそれを編集して物語ることができる。この物語るという特性は、すでに文学の特徴として述べた通りである。そして物語は、注目を通じて、日常の雑多な情報を一時的に淘汰してくれる。それによってたとえば社会全体が忘れかけている記憶を取り戻させてくれる。
 物語が持つこうした力は、たとえばある日のニュースからもわかる。
 痛みに身を悶えさせ、鼻血を出し、ときおりうめき声が上がる。カメの映像だ。そして、そこにはカメを苦しめる状況についてのテキストが付され、文脈が与えられる。苦痛の表現は種の違いを超えて伝わる。カメを苦しめていたのは、鼻の奥深くまで刺さった一本のプラスチック製ストローだったことが判明する。
 この情報は、こうした文脈とともにSNS経由で拡大され、一大スキャンダルとなり、その流れを受けてスターバックス社がプラスチック製ストローを廃止するに至った。私自身も、本音をいえば便利なプラスチック製ストローを使い続けたい気持ちもあったが、この映像と文脈に触れた後では、それを堂々と使い続ける気にはなれない。
 プラスチックストローに苦しむカメ以外にも、たとえばホロコースト、冤罪、貧困など様々な社会問題がこれまでセンセーショナルな文脈を与えられ、すなわち物語となって、我々に届けられてきた。
 こうした物語は、日常様々な情報を処理する我々人間の意思決定の優先度を変更する。「明日の行動予定」を変える力を持つのである。もしもセンセーショナルな文脈を届ける物語、文学がなければ、我々の生活は日常の些末な意思決定で支配される。今日の夕飯は何か、仕事帰りに牛乳を買っていくか、といった具合に。
 スターバックス社のCEOにとっても、ストローの素材の変更など、元々はコーヒー豆の選定よりも優先度が低かっただろう。だが、この文脈が社会に共有された瞬間に、ストロー素材選択意思決定問題が、まさしく経営問題として、緊急の課題として処理されたのである。
 こうして、センセーショナルな物語は、我々を驚愕させ、注目させ、その問題の解決へと駆り立てる。そうして、日常の意思決定に支配されていた我々は、わずかな間、社会を自己の問題として考えなおす。そしてそれは何らかの行動変化に結びつく。センセーショナルな物語に触れる教養の力、感受性は、こうして世の中に行動をもたらし、意味を持つのである。
 無論、カメとストローとをめぐる物語は、多分に編集され作り上げられたものである。いわば一種のフィクションですらある。だがそれは、現実に触れた誰かがそこに問題を感じ、情熱をもって物語に仕立て上げたわけである。文学はまず、文脈を構成する力によって、個人の意思決定に入り込み、注目の再配分を可能にするのである。
 しかもそれは、作家の感受性に基づいた創作でもよいのである。だからそれは、事実の証明を必ずしも要求しないという点で、即時性を持ちうる。科学よりも文学の方が素早く問題提起を可能にし、それによる社会の新たな問題解決行動を導きうるのである。
 もちろん「飢えた子供」を前にして、サルトルほどの傑出した感受性があれば、それを文脈からほとんど無関係な形で、あるいは文脈を自ら即座に想像(創造)して、同情の念や義憤の念を引き起こすこともできるだろう。だが、通常の想像力を持つ人間にとっては、文学によって、物語によって、文脈を提示されて初めてこうした同情の念が湧くということも考えられる。こうした力が文学にはある。
 経営学的に見出される文学の力は、これだけにとどまらない。
 ここまで、文学が個人の内側で、注目の配分を変化させることで、意思決定の優先度を変化させ、それによりこれまで取られなかったような行動を導くと指摘した。文学は、社会問題への注目を引き出し、個人の目標を変化させ、個人の行動を変化させる可能性を持つのだ。
 しかも、文学はまた、必然的に読者という他者・外部を必要とする。自分のために書かれた文学でさえ自分という読者、その瞬間他者の役割を果たす自分を想定している。だから自分にも他人にもなんびとにも読まれることをまったく意識しない文学はありえない。そして、これこそが文学が社会において持ちうる第二の力についての考察の出発点である。
 ある物語によって注目箇所が変化させられ、意思決定前提すなわち目標を変更した個人は、次にどのような行動をとるだろうか。もちろん行動もまた、サイモンが用いたテーブルの例のごとく、様々な案として立ち現われてくる。この中には、「この物語の存在を他者に知らせる」という行動も選択肢としてありうるだろう。
 こうした行動は、その物語が書かれた本なり雑誌なりの売上増加という極めて経済的・現実的な帰結をもたらす。そして、この売上の増加が一種のシグナリングとなって、書店においてこの文学・物語が占めるスペースが増える、メディアで取り上げられる、といった状況が連鎖的に起き、ますますこの物語自体が注目を得る。それにより、別の個人もまた、この物語によって忘れていた注目を取り戻すことになる。
 文学は、本質的に、他者とのコミュニケーションの可能性をその内部に持つ。だからこそ、文学によって生まれた個人内の注目の変化は、他者にも同様に伝播していき、しかもこれが経営学的な原理によって増幅されながら、時間とともに社会全体の注目の変化となりうる。これによって、何らかの社会課題に対して問題意識を持つ人間が同時に現れ、それが大きな声、大きな行動となって、課題解決していくという効果を、社会の中で持ちうるのである。
 ここまで、こうした文学の作者の役割について語ってこなかった。ここで作者は、文学が社会に対して持つ三つ目の役割、すなわち注目の配分箇所と密接な関係を持ちうる。次に述べるように、経営学的には、作者は「その時点の社会において不足している視点、忘れられつつあるもの、解決されるべき事」に注目を配分した作品を生み出す確率が高いと予想されるのである。
 経営学的視点からは、文学はありふれた主題をありふれたやり方で描いたとき「陳腐」とされ、そうでないとき「斬新」とされるだろう(価格の交差弾力性)。そして、ありふれているかどうか、すなわち経営学でいう「差別化(交差弾力性≒0)」は、他に似たような作品があるかどうかで決まる。すると、あくまでも確率的には、その社会において不足している視点、不足している描写、忘れられつつある視点、忘れられつつある描写、だけれども社会にとって重要なもの、を扱った文学がより高い評価を得ることになろう。
 もちろん、こうした評価をすべて無効化するほどの天才の仕事もありうる。また、作家の意識が常に「社会において不足している視点」に集中していると主張しているわけでもない。しかし、前述のメカニズムから、平均的にはこうした論理に従うと考えられるのである。そしてこうした影響が、個別の作者に対して平均的に考えうるとすれば、それは全体に対して今度は確率的に影響することになる。そのため、やはりその時代に即した文学が生まれ世に広まる確率が高まることになるだろう。
 だからこそ、震災が起こりつつも震災文学が不足している時代には、そうした主題の傑作の頻出が予測されるし、戦争の記憶を忘れた世代が増えてくると、戦争文学の魅力が復活してくる。感染症と社会変化の関係を再考する必要が生まれると、カミュ『ペスト』に再度注目が集まり、『ペスト』を扱った評論が増加するのも同様の原理である。
 このように、文学は、社会において不足しつつあるが重要な部分、忘れられた不条理、忘れられた悲しみへと、人々の注目を(再度)導くことができる。これにより、社会全体の記憶を呼び覚ます効果、問題提起する効果、日常を人間の頭の中から一時的に締め出し、社会課題解決へと人を駆り立てる効果、多数の人々が協働して社会を漸進させる効果がある。
 文学は、世の中に存在する問題を作者の感受性において抉り出すことができる。しかも、その問題意識は、経済原理によって必然的にその時代の社会に不足したものである確率が高く、さらに同じ原理によって社会全体に増幅されつつ伝播される。そして、その伝播の過程において、文学は人間に対して注目の在りかを変化させ、最終的な意思決定を変更させる力を持つ。しかも、それがまさしく物語であることによって、必然的に他者との共有可能性を持つために、社会的な運動となる可能性をはじめから持つ。
 このように、経営学的には、文学は人間を可能にするのではなく、人間性を可能にする。平均的な人間は、飢えた子供を単純に知らないのである。あるいは、知ってもなお、自分の生活空間に入ってこないのである。だからこそ、誰かの感受性が世の中の不条理を読み取った時に、それは文脈として再構成される必要がある。そしてその文脈が、文学として社会システムと相互作用しながら、平均的な人間の意思決定さえも変化させる必要がある。これによって、社会がよりよいものになる必要がある。これを可能にするだけの力を文学は持つのである。
 しかも、これは科学や技術では不可能なことである。それは、科学や技術が「客観的事実」を必要とするためであり、世の中の不条理を扱うにはデータの入手可能性と適時性との点で不都合があるためだ。そしてこの二つの限界は、実学としての経営学が社会に対して果たしうる役割を大きく減じてきた要因でもあった。
 世の中に確かに存在している不条理であっても、それを裏付けるデータが揃うまでには時間がかかる。また、諸事情によってデータが入手できない場合には、科学は沈黙するしかない。それどころか、ハンナ・アーレントが各所(たとえば『全体主義の起源』など)において示唆的に論じているように、強大な暴力は、ときにデータさえも消し去って、あるいは改竄して「なかったこと」にできてしまう。たとえばそれはホロコーストですべての証言者が消し去られるという形である。
 しかし、アーレントが希望を見出しているのと同じく、この世からすべての感受性をなくすことはできない。ただ一人でも不条理を感じ取れば、その一人によって文脈が作られうる。しかも文学は、証拠の欠如を想像と創造で補って物語にする資格が最初から与えられているのである。それゆえに、物語性を帯びた経営学=文学的経営学によって、科学的経営学の限界を補うこともできよう。
 文学は何ができるか。この問いが経営学的におこなわれたとき、その中に含まれていた否定的立場は、自らのよって立つ土台である意思決定理論自体により、突き崩される。文学と経営の対立は、もとより経営の側が自らの論理的矛盾に気づかずに生みだした、疑似問題だった。
 経営学の立場を突き詰めると、文学は社会の中の自律神経として、ただ一人から可能という意味で末梢神経として、その時代の社会に必要な視点・記憶を思い出させてくれ、それによって社会を健全に保ち漸進させることが理論的に予測できる。それどころか、文学の持つ物語性は、科学への接近を志向してきたゆえに身動きが取れなくなった現代経営学の限界を乗り超えるカギともなりえた。
 文学は「飢えた子供」の存在をあらしめることができる。だからこそそうした不条理を社会から取り除くための行動を導く。サルトルが飢えた子供に同情し、『ル・モンド』誌にて問題提起し、座談会開催に至ったこと自体、彼の感受性が飢えた子供をめぐる物語と文脈とを感じ取り、彼の意思決定が変化させられた証左とも考えうるのだから。

(『表現者クライテリオン』2022年3月号より)

他の連載などは『表現者クライテリオン』2022年3号にて!

『表現者クライテリオン』2022年3月号 「皇室論 俗悪なるものへの最後の”反(アンチ)”」
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