【橋本由美】『カッサンドラの日記』1 宴のあと 〜広島サミットの残したもの

橋本 由美

橋本 由美

『カッサンドラの日記』1 宴のあと 〜広島サミットの残したもの

橋本由美

首相は被爆者を何に利用したのか

 広島サミットが終わった。
 被爆地を舞台にしたスーパー歌舞伎の主演俳優はゼレンスキーだった。岸田首相は各国首脳の出演交渉に世界中を飛び回り、スター俳優の効果的なサプライズ登場を演出して、世界中の注目を集めた。慰霊碑への献花や原爆ドームを背にした各国首脳の写真が大きく紙面を飾った。注目の的になったことに気をよくした日本のメディアは、広島サミットを好意的に扱い、日本の役割が増大したと、どこか満足気である。

 この舞台のプロデューサーはバイデン政権である。多額の資金をつぎ込んでいる興行を失敗させないために、デフォルトの危機にも拘らず広島に来た。その広島は被爆地である。アメリカの核によって被爆した。けれども、サミットでクローズアップされたのはロシアの核であり、中国や北朝鮮の核であり、これから使われるかもしれない核の脅威である。参加国首脳の原爆資料館への招待は、日本人の被爆の痛みよりも、ロシアの核の脅威と恐怖を強調するものになった。核兵器が使われるのは、追い詰められたときである。追い詰められてもいないのに核兵器を使ったのは何処の国だったでしょうか…などと、誰もそんな話を持ち出さない。プロデューサーを原爆資料館の中に引っ張り込むのが精いっぱいで、余計なことを言えば核保有国のいるG7に亀裂が入る。演出家としては、プロデューサーの顔に泥を塗れない。

 広島サミットは、ウクライナへの武器供与の増強を決めた。兵器の補給が続く限り戦争は終わらない。軍需産業にはチャンスだが、ウクライナとロシアの兵士が倒れ、アメリカ市民は安全だが、ウクライナ市民は爆撃で被災する。提供する兵器はどんどんエスカレートして、結局、広島サミットは、戦争終結のための和平交渉の模索ではなく、戦争を続行して敵を追い詰めることを宣言した。
 嘗て核兵器を放棄させられたウクライナは、国土をめちゃくちゃにしたロシアも、じわじわとロシアを追い詰めたアメリカも許さないだろう。どのような形で戦闘が収まっても、ロシアとウクライナの亀裂はもう修復不可能だ。戦争終結後に隣国ロシアにいたぶられ続けないために、ゼレンスキーはとことんアメリカとNATOに食らいついて責任を取らせようとするだろう。アフガニスタンやイラクのようにはなりたくない。
 プロデューサーの忠実な演出者である岸田首相は、日本を本格的にウクライナ戦争の当事国に格上げした。NATOのアソシエイトメンバーになったつもりで、まんざらでもなさそうである。

 

対中国で何も出来ない”迷”演出家

 習近平はいつも何かを企んでいる。グローバルサウスやユーラシアの資源を狙い、中東に出没して基軸通貨としてのドルを切り崩して弱体化させようと、G7サミットに構っていられないほど忙しい。プーチンとはお互いにオトモダチを演じて、まるで抗米「国共合作」の再演である。中華帝国の栄華のために、着々と独自のシナリオを実践しているようだ。「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」で、彼のシナリオは敵国の策士マッキンダーを研究し尽くしているように見える。ウクライナへの関心は、かの地を中華版シナリオにどう位置付けるかという点にある。
 ゼレンスキーの登場で、対中よりも対露が印象付けられたサミットになった。G7各国は対ロシアでは結束しても、中国との距離感は微妙に異なる。ロシアはヨーロッパにとって第一次大戦以来の脅威だが、中国は遠い。フランス製品を爆買いしてくれる中国を見れば、内心ちょっとマクロンが羨ましい。地理的に近い日本とは深刻度が違う。G7の対中意識のずれがかえって浮かび上がってしまった。中国はお見通しである。報道官の威圧的なG7批判は国民向けだろう。G7に勝手なことを言わせておいたら国民の不満を招く。国民には西側諸国を敵と印象付けなければならない。G7がどう決議しようが、中華版シナリオを着々と遂行することに余念がない。
 グローバルサウスはG7に冷ややかである。ゼレンスキーのサプライズ出演で、ワイドショーの雛壇に並ぶために集められたような気分になったかもしれない。日本では、G7の結束を確認したというが、結束は「排他性」を伴う。非西欧国家は、シラケている。

 

それでも浮かれる幼稚な日本人・・・

 日本では、サミット効果で政権支持率が上がっている。ゼレンスキーが来日したと喜んで、スナク首相がサービス精神で履いて見せた赤いカープソックスを購入する人たちが支持率を上げているらしい。メディアが何をどう報道するかで、国民の評価が変わる。民衆の好みに合わせて報道のトーンも変化する。派手に扱われる写真や映像の与える印象は強い。そこには意識するしないに拘らず世論形成が関与している。世論形成の意図があるかもしれないし、漂う世論に阿るものなのかもしれない。報道に中立は困難である。報道されなかったことはなかったことになる。
 スーパー歌舞伎の幕は下りた。「国際情勢の難しい話はよくわからない。だけど、ゼレンスキーというスター俳優が飛んで来て、世界中が注目した。広島サミットは大成功だった!」

 日本人は何も考えなくなっている。休日のニュースはたいていスポーツかイベント行事で誤魔化される。金太郎飴のような地域興しのイベントに人が群がる。旅行先はテレビドラマの舞台やロケ地だったり、アニメの聖地だったりで、行き先は「提供商品の中から三択でお選び下さい」みたいになってしまう。みんなが行くところに行く。クーポンが使えてポイントが溜まる「お得な」観光地なら尚結構だ。これが、選挙で「重い」一票を持っている有権者の行動だ。
 「権威主義」対「自由と民主主義」の戦いと言われるウクライナ戦争だが、わがニッポンのデモクラシーは心許ない。デーモスにもなり切れないお子様ランチの国家には、ネピオクラシーとでも名付けてみようか。
(ネピオスnepios (νήπιος)=幼児)

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