表現者クライテリオン2024年1月号【特集】「政治と宗教」を問う --神道・仏教からザイム真理まで
より巻頭の特集座談会を一部公開します。
12/15発売の本誌にて全編お読みいただくことができます。
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藤井▼今回、『表現者クライテリオン』では「『政治と宗教』を問う」を特集テーマに掲げています。
このテーマは、今日的な話題においては安倍元総理の銃撃事件を契機にクローズアップされている統一教会──現在は「世界平和統一家庭連合」という名称ですが──の問題があります。特定の政治組織、政党が宗教団体に選挙協力を仰ぐ一方で、その宗教団体に何らかの便宜が図られていた疑義があるというような、いわゆる癒着関係が露呈し、信者の献金問題や家庭内での信仰の強要などが問題視され、統一教会に対する解散命令が請求されている状況にあります。
しかし「政治と宗教」は日本では十分に整理されておらず、一方では宗教を語ることそれ自身がタブー視され、日常や社会の中で宗教を論じることそのものが、何か不適切なことであるかのように扱われています。
しかもその背景には、戦前に対する反省に基づく政教分離の思想が、過剰にあらゆる側面に適用されてしまっているという現実があるようにも思います。つまり、島薗先生がこれまで多くの論文や著作でご執筆されてきたように、国家神道と軍国主義化が深く結びつけられ、戦後それを回避するために政教分離が過剰に意識され、その結果、政治において宗教が全く語られなくなってしまったわけです。
しかし一方で、政教分離とはいっても、特定の宗教団体を国家や政府が奨励することを禁止する、という意味でなら理解できるとしても、特定の宗教団体ではなく精神的、文化的な宗教性を政治には反映させないという話は、全く賛同できません。むしろ宗教性、つまり「俗なるものから距離を置く」「真善美を求める」という精神性は、政治の現場において禁じられるどころか奨励されるべき必要不可欠なものだからです。
こうしたことまでがタブー視される社会では、あらゆる規範において宗教性が軽んじられることとなり、皮肉にもその必然的帰結として、特定政党と特定宗教団体との「癒着関係」が蔓延するに至ったと考えられます。政治家においてそういう真の宗教性があれば、そんな俗世の癒着関係などは最も忌避されるべきものとして忌避されるからです。
また一方で森永卓郎さんのベストセラーである『ザイム真理教──それは信者8000万人の巨大カルト』(フォレスト出版)が指摘しているように、財務省のやっている緊縮財政は政策論として間違っているにもかかわらず、多くの日本国民に対して「財政破綻するぞ!」というウソ話で脅しながらそれを信ずることを強要し、結果、多くの国民もそれが正しいと信じてしまっている、という意味で、もはやカルトと呼ぶべき状況となっています。
こうした部分まで含めた、政治と宗教、宗教と社会の在り方をどのように考えていけばいいのか。宗教学者の島薗先生をお招きして、施先生、柴山先生と共に、この問題について論じていきたいと思います。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
島薗▼よろしくお願いいたします。
現在の日本における政教分離というものを考えるにあたっては、「政教分離の再検討」が必要と理解しています。今は統一教会の問題がありますが、その前には一九九〇年代末のオウム真理教の問題があり、政治との関係で言えば公明党を擁する創価学会の問題、さらには日本会議や神道政治連盟の機能といった、実際に政治と宗教が密接に関係している結構生々しい問題があります。これをどう扱っていくかというのは実に難しい問題です。
世界的に見れば、ロシアのウクライナ侵攻においても、プーチン大統領とロシア正教会の問題は気になるところです。ウクライナ側もロシア正教会との関係が変化しつつあります。また二〇二三年十月から一気に事態が悪化したパレスチナ問題も、宗教の歴史がいかに深く関わっているかを抜きにして考えることはできない。なぜこういうことが起こるのかという問題の起源からして宗教が政治に関わっていて、しかもどちらかと言えばよくない方向に働いていることを意識せざるを得ません。
こうしたマイナスの事例を目の当たりにしている今、政教分離の問題をどのように再検討すべきなのか。世俗主義という、ある意味では近代の偏りの中で沈められてきた、必ずしも適切に理解されなかった問題を考え直さなければならないところに来ているのだと思います。
しかし一方で、アカデミックというか知識人、教養人、有識者といった人たちが、宗教に対する深い理解を持たなくなってきていることも確かです。『表現者クライテリオン』の前身である『発言者』や『表現者』で、西部邁さんや佐伯啓思さんたちはそういう点に警鐘を鳴らしてきて、私も共鳴するところがありました。
一般大衆レベル、社会の多数の人たちの間で、宗教がどのように機能しているかという問題を捉え直していかなければならないという見取り図で、「政治と宗教」という問題に臨んでいこうと考えて仕事をしてきたわけです。
施▼私も政治と宗教、宗教と公共空間という問題への関心を強く持っています。例えば、政治というものを批判するにも批判的な基準や視点が必要ですよね。必ずしも宗教と言えるかどうかは分かりませんが、ある種、超越的な視点や価値みたいなものをどこかに見出せなければ、政治を見る際の視点が現世利益的なものとずるずるべったりになってしまって、政治が堕落するということは大いにあり得ると思うのです。
一方で、統一教会が政治に近づき、自分たちの教義に沿うものを政策として実現させようとしてきた点が批判されています。しかしこれは必ずしも全否定されるべきではありません。例えば統一教会が重んじる伝統的家族という価値観について、これを教義や教団の利益という形ではなく、「非信徒の一般の人たちにとっても幸せに生きるための確かな価値であり、必要なものなのだ」と理論づけることが可能であれば、一概には否定できないと思うのです。
例えば仏教団体やキリスト教団体が、反核運動や環境問題についてのアピールを行うことがありますよね。これは信仰から出てきていることであったとしても、人類全体の利益に合致するはずだという形で主張されている。特定の宗教団体だけが得をしたり救われたりするものではないと考えられるから、政治の範囲に影響が及ぶとしても、宗教団体の行動として社会的に許容されているのだと言えます。
このように、宗教団体が主張している価値であっても、公共の利益に合致する部分があり、そういう論理展開ができるのであれば、公共空間や政治の場面で議論してもいいものなのではないかと思うのです。というのも、私は政治学・政治哲学専攻で、主に現在のリベラリズム論を専門にしていますが、現代のリベラリズムの主流の理解とは、「善き生の特殊構想が公権力・政治権力の正当化事由になってはいけない」というものです。つまり、「人間はどう生きるべきか」という問いの実質的解答を与えるような価値に基づき政治権力や公権力が正当化されてはいけない、ということです。
では逆に公権力が正当化されるのはどういう事由に基づく場合なのかというと、「一人一人が自分にとって善い生き方とは何か」を問うて、それを探求していく際に、その探求を行っていく公正な共通条件を構成するものを実現するために公権力の使用が必要だと言える場合だと思います。
しかし難しいのは、「善き生とは何か」を探求する際の共通条件というものは文化や時代によって解釈が異なってくるものであり、本来は宗教的なものから始まっているけれど、現在は文化的、習俗的、伝統的なものになっている場合もありますよね。
統一教会の場合は、かなり伝統主義的、家父長制的な価値観や教義を「家庭を重視する」という言葉に言い換えたことで、自民党の保守派が共鳴した部分があるのだと思います。しかしこれが「こうした教義を信じなければ幸せになれない、地獄に落ちる」というものであれば否定されるべきです。日本全体、人類全体の利益につながるという立論ができなければ政治的議論としては許されるべきではありません。教義上の言葉を用いず、広く社会に納得してもらえるものにしなければならないのです。
政教分離の問題で言えば、政治との癒着によって霊感商法に対する捜査に影響を及ぼしたり、政治による被害者救済が滞ったりするようなことは絶対にあってはなりません。しかし今の政教分離の問題は、ここが必ずしも明確に切り分けられていないのではないでしょうか。「自民党と統一教会が癒着した」とは言われるものの、どこまでが政教分離の問題に抵触するのかが曖昧なまま、解散命令という話にまで至ってしまっているように思います。
柴山▼そうですね。施さんがおっしゃったように、政治という世俗の世界を批判する際には、どこかに世俗を超えた基準──まさに「クライテリオン」──がなければならないと思います。道徳もそうですね。何が良くて、何が悪いか、その判断基準は歴史から来るとしか言いようがなく、その歴史には宗教の要素が色濃く反映されていると思うんです。
日本人の自己理解として、無神論だ、無宗教だと言われることがありますが、それはちょっとあり得ない。道徳の中に宗教的なものがあるはずですが、しかし、それが一体何なのか、日本人自身よく分かっていなくて、だから無宗教だと言ってしまう。保守派も参照すべきものがないから、道徳というとすぐに「教育勅語」や戦前の修身に帰ろうとする。
しかし、日本が本来持っていた宗教や道徳の歴史はもっと幅広いものであったはずです。教育勅語ももちろん日本の歴史の一部ですが、今読んでも儒教色がかなり強くて、それだけが道徳の出発点と言われると違和感がある。かといって、一般によく言われる「八百万の神々がいて……」とか、「一神教ではない、多神教の国だから」というだけでは、日本人の宗教意識をアイデンティファイしきれていないようにも思います。この辺りはどのように捉えるのがいいのでしょうか。
島薗▼例えばマックス・ウェーバーは世界の諸宗教の救済理論を比較研究しました。しかし、その後の宗教社会学ではあまり受け継がれていませんし、他の分野でも取り組まれていません。宗教学というと、やはり個別、あるいは限定的な宗教伝統や文化の枠組みで議論している例が多いと思います。
日本では、例えば公共空間の議論をする時に、「やはり西洋と違うよね」という話になれば、おのずから世界の諸宗教を見渡しながら、日本の宗教の在り方を問うという視点があってもいいと思います。それは仏教・儒教・神道があり、もちろんキリスト教の影響もあり、しかしアニミズムこそが日本の宗教性の特徴だという人もいる。しかしそういう概念をつまみ食い的に使うのではなく、それなりに正面から取り組む姿勢が必要なのではないかと思うのです。
施▼島薗先生の論文で、岩波書店の『思想』に一九七九年に掲載された「新宗教における生命主義的救済観」を読んだのですが、これが非常に面白くて、自分の論文にも引用させていただいたことがあります。
この論文は日本の十一の新宗教の共通の教義を抽出することで、日本の民衆の素朴な宗教観が見て取れるのではないかということで書かれたものですが、その共通項を「生命主義」とおっしゃっていますよね。これが私はかなり重要だと思っています。
島薗▼生命主義的救済観とは、近代化の中で伝統的結合が解体されたことに対し、ではどうやって他者や自然との連帯を行っていくかということに新宗教が答えようとしたものだったと言えると思います。そこでは現世利益や自助努力、世界の全体と人間そのものに神性を感じるような生命主義的救済観が魅力を持って受け入れられたのですが、かといって伝統的な仏教の救済観が消えてしまったわけではありません。
例えばキリスト教、特にアメリカでは死者と生者というのはきっぱり分かれていますが、日本ではそうではないですね。死んだらまたあの世で会える、というような感覚も根強くあります。それが仏教と結びついて保たれてきているわけですが、知識人は現世に視野が偏りすぎているところがあり、それが儒教的な視座の影響を受けていることに無自覚だったりします。
施▼何か制度を作る時にでも、こうした素朴な宗教観を知っているかいないかでは結果が大きく違いますし、また変なふうに政治や宗教団体に悪用されることもないのではないか、と思うのです。 …
(明日配信の記事に続く)
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明日配信の記事で続きを一部公開します。
12/15発売の本誌にて全編お読みいただくことができます。
https://the-criterion.jp/backnumber/112/
◯座談会参加者紹介
島薗 進(しまぞの・すすむ)
宗教学者。上智大学グリーフケア研究所客員所員、大正大学客員教授、東京大学名誉教授、NPO法人東京自由大学学長、日本宗教学会元会長。48年東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。主な研究領域は近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』『新宗教を問う』(以上、ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『教養としての神道』(東洋経済新報社)など多数。近著に『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』(朝日新聞出版)。
施 光恒(せ・てるひさ)
71年福岡市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。現在、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。政治哲学・政治理論専攻。著書に『リベラリズムの再生』『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』『本当に日本人は流されやすいのか』。編著に『ナショナリズムの政治学』『「知の加工学」事始め』。共著に『「リベラル・ナショナリズム」の再検討』『成長なき時代に「国家」を構想する』『現代社会論のキーワード』『TPP 黒い条約』『まともな日本再生会議』など。
〈編集部より〉
最新号『表現者クライテリオン2024年1月号』の特集タイトルは、
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12月15日に本誌編集委員の浜崎洋介先生が早稲田大学でご講演なさいます。
入場無料、予約不要ですので皆様ぜひご参加ください。
主催:早稲田大学國策研究會
講師 : 浜崎洋介氏(文芸批評家)
演題 : 「保守言論人の歴史と現代」
日付 : 12/15(金)
時間 : 18:00開演(17:30開場)
場所 : 大隈記念講堂大講堂
詳細は早稲田大学國策研究會のX(旧Twitter)等でご確認ください。
https://twitter.com/wkokusakuken
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