最近、前回の記事(注1)をはじめとして、普天間飛行場の辺野古移設を巡る政府と沖縄県の対立の問題など所謂「沖縄の基地問題」について論じたり執筆したりする機会が増えたということもあり、いろいろな場面で、ウチナーンチュ(沖縄人)ではないけれども「沖縄の基地問題」に関心を持つ人達から「ウチナーンチュは日本国もしくは日本人に対してどのような思いを抱いているのか」「ウチナーンチュは自らのことを日本人だと思っているのか(=どのような自己認識を抱いているのか)」「ウチナーンチュと日本人とは対立せざるを得ないのか」「ウチナーンチュの人達は沖縄が日本から独立することを望んでいるのか」「ウチナーンチュが思い描く望ましい沖縄の、そして我が国の将来像はどのようなものなのか」などといった問いを投げかけられることが多くなっています。また同時に、「ヤマトンチュウ(日本人)である自分が沖縄の基地問題について口を出す権利があるのかとの躊躇いがある」との思いを聞くことも増えてきました。
これまで機会あるごとに論じてきたように、「沖縄の基地問題」の本質は我が国の「防衛・安全保障の問題」であり、本来であれば、日本国民全てが当事者意識を持たなければならない問題です。沖縄から遠く離れている本土で暮らす大多数の日本国民にとって「沖縄の基地問題」が他人事になってしまい、そのことについて話をしたり意見したりすることに躊躇いを感じるようになってしまっていることや、その一方で、ネット空間などにおいて匿名で語られる「沖縄を誹謗中傷する言説」が拡がってしまっている現状が憂慮すべき残念な事態なのであり、所謂「沖縄ヘイト」と言われるような根拠がない思い込みに基づく誹謗中傷が許されないのは当然のこととして、全ての日本国民に「沖縄の基地問題」について当事者として論ずる権利があることは疑う余地がない自明の理だと思います。
ここ10年程の間に、現在の「沖縄の基地問題」に限らず、沖縄や琉球のことを話題にするときに「アイデンティティ」という言葉を耳にする機会が増えてきました。以前にも拙稿(注2)で沖縄における「アイデンティティ論」や「琉球・沖縄独立論」について論じたことがあるのですが、その際に示した「『アイデンティティ』が重要な概念であり、ウチナーンチュに限らず全ての人のアイデンティティを尊重することに努めなければならないことは論を俟たない明らかなことであるけれども、沖縄問題について論ずるに際して、沖縄のアイデンティティを強調することは問題を解決に導くための必要条件ではなく、かえって問題の解決を遠ざけてしまう要因になりかねない」との認識は現在も変わっておりません。
当時、私は下記のように論じています。
現在、沖縄には140万人を超える人々が暮らしている。その中には、ウチナーンチュとしてのアイデンティティを有する人達もいれば、そうではない人達もいる。いずれにせよ、沖縄で生活している以上、彼等は、現在沖縄が直面している米軍普天間基地の辺野古移設問題の当事者であらざるを得ない。すなわち、好むと好まざるとに関わらず、沖縄問題の当事者たらざるを得ない人たちの中には、いわゆる沖縄アイデンティティを有していない人達が数多く含まれているのである。翁長知事が沖縄問題を語る際に「イデオロギーからアイデンティティへ」と言って沖縄のアイデンティティを強調することで、彼等の中に「果たしてウチナーンチュではない自分には沖縄の問題に主体的に関わる権利があるのだろうか」との疑念が生じてしまうのではなかろうか。勿論、いわゆる活動家や運動家といった自らの政治的思想を満足させるための場として沖縄を利用しようとする輩や、現在、沖縄に大勢潜り込んでいる「地域のために、平和のために」と言いながら違法行為をするなどして周辺住民に多大な迷惑をかけるような不届き者は断固として排除しなければならない。しかしその一方で、たとえ沖縄にアイデンティティを有していなくとも、沖縄の問題を自らの問題として真摯に捉えようとしている人達が数多く存在していることも忘れてはならない。
先に触れた対談(寺島実郎×翁長武志「沖縄はアジアと日本の架け橋となる…辺野古からアジアの平和構築を」『世界』2015年5月号)(注3)の中で、翁長知事は安倍首相に対して「安倍首相がおっしゃる『美しい国日本』『日本を取り戻そう』の中に沖縄が入っていますか」と疑念を投げかけているが、沖縄アイデンティティを強調し続けると、それと同じように「翁長知事が語る『オール沖縄』の中に私達は含まれていますか」との疑念を投げかけられることになってしまうのではなかろうか。
現在の沖縄が抱える基地問題の本質は日本の防衛問題であり、「沖縄を含めた日本全体の防衛をどうするのか」ということを置き去りにしていては問題解決の糸口さえ掴めない。決して沖縄だけで解決できるものではない日本全体の問題である。すなわち、沖縄問題においては、ウチナーンチュのみならず日本国民全体が当事者なのである。
沖縄問題を解決するためには、「アイデンティティ論」の陥穽に陥ることなく、「オール沖縄」の問題から「オール日本」の問題へと転換し、日本国民全体が対峙していかなければならない。それ以外に沖縄問題が真の意味での解決に至る道筋はありえないであろう。
約8年前に執筆した文章なのですが、いま改めて読み直してみても「『沖縄問題』を論じる際の『沖縄のアイデンティティを強調すること』の危うさ」「『アイデンティティ論』の陥穽」について修正すべき必要を感じることはありません。
沖縄において「沖縄アイデンティティ論」が盛んに論じられるようになったのと時を同じくして「琉球・沖縄の独立」に関する議論も活発化しています。琉球王国(1429~1879)という独立国としての約450年間もの長きにわたる歴史を有しているということがその要因の1つのであると言えるのかもしれませんが、昔から沖縄には「酒が入って元気になった時に語られる(琉球・沖縄の)独立論」という意味の「居酒屋独立論」という言葉があり、また、実際の政治に影響力を有するほどの勢力にはなり得ていないものの「琉球独立」を訴える政治団体「かりゆしクラブ(旧名:琉球独立党)」が活動を継続していることなどからもわかるように、沖縄が「独立」に関する議論が盛んな地域であることは間違いありません。今回が何度目のブームであるのかはわかりませんが、この十数年の間に、書籍や論文など琉球・沖縄の独立に関する数多くの論考が発表されており、さらには2013年5月15日に、設立趣意書で「琉球の独立を目指す」と明言する琉球民族独立総合研究学会(以下、「琉球民族独立学会」)(注4)が設立されるなど、現在に至るまで「琉球・沖縄独立論」のブームが続いているどころか、ますます加熱していると言うことができるのでしょう。
実際に、琉球・沖縄の独立に関する議論が活発化し、関連する書籍や論文などが数多く発表されるようになっていることに加えて、現在では「琉球民族独立学会」の活動が新聞やテレビなどのマスメディアで報道される機会が増え、ネット上でも彼らのその活発な活動内容などを垣間見ることができるようになっています。いわゆる「沖縄問題」への関心の有る無しにかかわらず、日本国民の多くが「琉球・沖縄独立論」を主張する人々の言説や活動に接する機会が増えているということが、「ウチナーンチュは沖縄が日本から独立することを望んでいるのか」との疑念が生ずることに繋がっているように思えます。
念のために申し添えておきますが、「琉球・沖縄独立論」が盛り上がっているのは、あくまでも(沖縄の)言論の世界における現象であり、その中心にいるのは決して数として多くはない、ごく限られた研究者や言論人及び活動家・運動家などといった人達であり、大多数のウチナーンチュがその思想や活動を支持しているという訳ではありません。
あくまでも個人的な見解ではありますが、「琉球・沖縄独立論」が具体的な支持層が少ないにもかかわらず、長きにわたり論じられ、盛り上がりを見せているのは、そこで語られる「琉球王国の歴史に思いを馳せて『琉球王国時代の栄華を再び』という夢物語」に浪漫を感じて共感するウチナーンチュが少なからずいるということと、沖縄を蔑ろにする日本国家に対する「憤り」から発する「いっそのこと独立を目指すべし」という主張に対して、共感したり賛同したりすることはできないまでも「その心情は理解できる」という感覚を有しているウチナーンチュが決して少なくはないということなどを理由として挙げることができるように思います。
「琉球・沖縄の独立」について直接の賛否を問うたものではありませんが、NHK放送文化研究所が沖縄の本土復帰50年に合わせて実施した「復帰50年の沖縄に関する意識調査」(注5)に「本土復帰の評価」に関する項目があり、沖縄が本土復帰したことについて「とてもよかった」(39%)と「ある程度よかった」(45%)を合わせた『よかった(とても+ある程度)』が84%と多数を占め、『よくなかった(まったく+あまり)』の14%を大きく上回っています。NHK放送文化研究所は、本土復帰前の1970年から沖縄に関する世論調査を継続的に実施しており、参考までにこれまでの調査結果を確認しておくと、沖縄が本土に復帰して『よかった』と肯定的に回答した人は、本土復帰翌年の1973年の調査では38%でしたが、その後、徐々に増えて2012年の前回調査では78%に達しています。一方、「よくなかった」など否定的に回答した人は、1978年の調査では53%でしたが、1980年代以降減少して、2012年の調査では15%にまで減少しています。
同調査では「本土復帰の評価」の理由についても問うており、本土復帰について『よかった』と思う理由として沖縄と全国ともに最も多かったのは「沖縄は日本であることが望ましいから」であり、沖縄で50%、全国では67%となっており、2番目に多かったのは沖縄と全国とで違いがみられ、沖縄では「経済的に発展したから」(22%)であったのに対し、全国では「沖縄の意向が尊重されるようになったから」(14%)となっています。
一方、本土復帰について『よくなかった』と答えた人の理由として、沖縄では「沖縄の意向が尊重されていないから」(44%)と「アメリカ軍基地が残り続けているから」(40%)が4割台で並び、他の理由を大きく上回っています。
あくまでも傍証でしかありませんが、「復帰50年の沖縄に関する意識調査」の結果から、「琉球・沖縄独立論」が盛り上がっているのは言論の場に限られたことであり、大多数のウチナーンチュが「琉球・沖縄独立論」の思想や活動を支持しているという訳ではなく、(沖縄が本土復帰したことについて肯定的に捉えているということは)日本から独立することを望んでおらず、沖縄の社会全体で「琉球・沖縄の独立」に向かう機運が高まっている訳ではないということが言えるかと思います。
「琉球民族に関する概念とアイデンティティ」を重要なテーマとして位置づけている「琉球民族独立学会」は、「琉球民族は本来独自のネイション(nation, peoples, 民族、人民)である」「琉球人は日本人ではない」とした上で、会員の資格を(必ずしも明確に定義されている訳ではないようですが)琉球民族(琉球人)に限定しています。会員の資格要件として「出自」を掲げていることに対して驚きを禁じ得ませんが、同学会のホームページで「学会の会員を琉球民族(琉球人)に限定しているのは『排外主義』ではありませんか?」との問いに対して、「琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみです。(中略)我々は誰かを『攻撃』するためではなく、琉球民族である自らを『守る』ためにも会員を琉球民族に限定したのであり、従って、決して『排外主義』ではありません」と回答しています(注6)。しかしながら、この回答だけでは、私を含め多くの人が抱くであろう彼等に対する「排外主義に親和性を持っているのではないか」との疑念を払拭することはできないのではないでしょうか。
私は、決して「琉球民族独立学会」の「琉球」(彼等は「沖縄」という表記を意図的に避けているようです)への「郷土愛」と「ウチナーンチュ」としての「誇り」を疑うものではありません。私自身、彼等に勝るとも劣らない「沖縄」への「郷土愛」と「ウチナーンチュ」としての「誇り」を持っていると自負しています。しかしまた、それと同じく「日本」への「愛国心」と「日本人」としての「誇り」をも持っているのです。「ウチナーンチュであり、且つ、日本人である」と自認している私のような人間は、「琉球民族独立学会」の目には「同化されてしまった琉球民族」としか映らないのかもしれませんが、私としては、「琉球民族独立学会」が他者(外部)からの視点や論点を排除することなく取り入れて議論を深めていくことを通して「排外主義に親和性を持っているのではないか」との疑念を払拭して、現在沖縄が抱えている諸問題の解決のための一翼を担うようになることを切に願うものであります。
私自身は沖縄で生まれ育ったウチナーンチュであり、いまのところ入会の意思はありませんが、「琉球民族独立学会」の会員の資格要件を満たしています。しかしながら、沖縄では珍しい、どちらかというと本土で多く見られる「藤原」という姓であることと、(あまり自覚はないのですが)ウチナーンチュらしからぬ顔立ちからウチナーンチュではないと誤解されることが多々あります。宮古島出身の父親と沖縄本島出身の母親で互いの方言が通じなかったが故に、幼い頃から家庭内での会話は標準語であり、ウチナーグチ(方言)が使われることがなく、現在に至るも私自身がほとんどウチナーグチを聞き取ったり、話したりすることができないということも影響していると思うのですが、初対面の人だけでなく、何度も会ったことがある付き合いの長い知人からも「藤原さんは沖縄にいらして長いようですけれども、どちらの御出身ですか」と尋ねられ、「生まれも育ちも沖縄のウチナーンチュです」と答えて驚かれることも一度や二度のことではありません。
いまから30年程前に、当時大学院生であった私が定期的に参加していた「琉球・沖縄」をテーマとする研究会の場で、詳細な内容は忘れてしまいましたが、ある社会学者のウチナーンチュのアイデンティティに関する研究報告に対して、質疑応答の際に、私が批判的なコメントをしたところ、恐らく彼は私のことをウチナーンチュだとは思わなかったのでしょう、「ナイチャー(内地人)のお前にわかるはずがない」と大声で怒鳴られて議論を打ち切られてしまったという経験があります。また、別の日であったと記憶しているのですが、その社会学者が同じ研究会の場で、確か東京出身で沖縄をテーマに研究している学生の発表に対して、その発表の内容そのものについてコメントするのではなく、「ウチナーンチュでもない、沖縄に住んだこともないお前に本当の意味で沖縄のことが理解できるはずがない」と威圧的な態度で恫喝しているのを目の当たりにしたことがあります。
沖縄に興味を持ち、沖縄のことを学び、沖縄のために何らかの役に立とうとすることは何もウチナーンチュだけの特権ではありません。当時の研究会には、数はそんなに多くはなかったものの、必ずしも沖縄にルーツを持つ訳ではないにもかかわらず、沖縄のことに興味や関心を持つ学生や研究者の卵も参加していました。件の社会学者の言動は、ウチナーンチュではない者が沖縄について発言することや沖縄をテーマに研究することの意義を否定するものであり、私は、当然のこととして、研究会の参加者らによって彼の排外主義的な言動が非難されるものと思っていました。しかしながら、私を含む数人を除いて彼の排外主義的言動を問題視する者はおらず、それどころか彼に賛同する者まで現れてしまい、最終的に、彼に対して「藤原昌樹はナイチャーではなく、ウチナーンチュである」との訂正がなされただけで終わってしまいました。
その研究会では、ウチナーンチュ以外の者全てが排斥や非難の対象となっていたという訳ではなく、また、ウチナーンチュだからといって無条件で全てが受け入れられるという訳でもありませんでした。沖縄や琉球について語る際に「抑圧され、差別される対象としての琉球・沖縄」「被害者としての琉球・沖縄」という側面を強調し、「現在の沖縄が抱える問題が日本本土や米国をはじめとする諸外国等の外部からもたらされたものである」旨を語るような言説であれば、たとえウチナーンチュではなくとも歓迎され、それ以外の言説、例えば、琉球・沖縄の抱える問題の根源を日本本土や諸外国のみならず沖縄の内部やウチナーンチュ自身にも求めるような議論であった場合には、たとえウチナーンチュが語ったとしても忌避されるような雰囲気があったのです。私は数人の仲間とともに、研究会に漂うこのような雰囲気と同調圧力に抗い続けていたのですが、次第に研究会に参加すること自体を辞めてしまっていました。
沖縄に限らず、ある特定の地域について論ずるに当たって、その地にルーツがあるなどのアイデンティティを有していなければ議論をする資格が無いなどということはあってはならないことだと思います。勿論、その地域に出自を持つ者や住民などの当事者のみが持ち得る視点や論点等が存在し得ますし、議論をする際に当事者の置かれた特異な位置があるということを否定するものではありません。しかしながら、地域をより深く理解し、地域が抱える問題を解決に導くためには、他者(外部)からの視点や論点もまた、当事者のそれと同様に重要な要素であることは論ずるまでもない自明のことです。
「地域」を論ずる資格要件をいわゆる「アイデンティティ」に求めるという「アイデンティティの罠」に陥ってしまうと、そもそも「地域研究」や「人類学」をはじめとする多くの学問分野が成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。
「アイデンティティ」という概念、そして全ての人の「アイデンティティ」を相互に尊重することの重要性を否定するものではありませんが、「沖縄の問題」に限らず、「地域の問題」を解決するためには、その問題に対峙する人々が「アイデンティティの罠」から自由であることが「十分条件」であるとは言えないまでも、少なくとも「必要条件」であるように思えてなりません。
「地域」を論ずる場は、全ての人に開かれていなければならないのです。
——–
(注1) 【藤原昌樹】沖縄の「近未来予想図」―辺野古に新たな基地ができ、そして普天間も返らない― | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注2) 拙稿「沖縄における『アイデンティティ論』の陥穽」『表現者』61号(2015年7月号)
(注3) Change Our World 【特別対談】 沖縄はアジアと日本の架け橋となる…辺野古からアジアの平和構築を――寺島実郎×翁長雄志 (fc2.com)
①琉球民族独立総合研究学会・設立趣意書・final version – 2013.05.23.pdf – Google ドライブ
(注5) NHK世論調査部(中川和明/中山準之助)「沖縄の人たちは、本土復帰をどう評価し、今の沖縄をどうみているのか~「復帰50年の沖縄に関する意識調査」の結果から~」
沖縄の人たちは,本土復帰をどう評価し,今の沖縄をどうみているのか|NHK放送文化研究所
(注6) 琉球民族独立総合研究学会 (ACSILs) – よくある質問(Q&A)
(藤原昌樹)
〈編集部より〉
12月15日発売、最新号『表現者クライテリオン2024年1月号』の特集タイトルは、
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12月15日に本誌編集委員の浜崎洋介先生が早稲田大学でご講演なさいます。
入場無料、予約不要ですので皆様ぜひご参加ください。
主催:早稲田大学國策研究會
講師 : 浜崎洋介氏(文芸批評家)
演題 : 「保守言論人の歴史と現代」
日付 : 12/15(金)
時間 : 18:00開演(17:30開場)
場所 : 大隈記念講堂大講堂
詳細は早稲田大学國策研究會のX(旧Twitter)等でご確認ください。
https://twitter.com/wkokusakuken
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