最新号『表現者クライテリオン2024年5月号』より一部を掲載いたします。
政治権力を監視するというメディアの
“権力”はいかなる性格を有し、誰がどのように監視すべきか。
季節が冬から春に移り、衣替えをした人も多いだろう。子供のころは収納していた衣服を引っ張り出し、ホコリを払ったり天日にさらしたりすることを「虫干し」と言ってい
た。
今はクリーニング店にまとめて持っていくので干したりはしないが、クローゼットからカビ臭くなった衣服を取り出すと、この言葉が思い浮かぶ。風通しの悪い空間に長期間ものを置いておくと、カビが生えたり虫が食ったりするものだ。さらに放置すると、やがて使い物にならなくなってしまう。これは、メディアのような組織や業界も同じだ。
メディアの腐敗が始まったのは昨日、今日という話ではない。それどころか、メディアが「腐敗している」という批判を受けていなかった時代は、おそらくない。新聞に関する論評をひもとけば、インターネットがなかった五十年前でも批判のオンパレードだ。クライテリオンの読者なら、三十年ほど前に故西部邁氏が発表した『マスコミ亡国論』や『マスメディアを撃て』を思い出すかもしれない。そこで「民主主義の定着した社会における第一権力、基礎権力はマスコミなのだ」というテーゼとともに指摘されていたのが、その「第一権力」の腐敗だった。
なぜメディアは腐敗するのか。「絶対的な権力は絶対に腐敗する」というのは英国の思想家ジョン・アクトンの言葉らしいが、権力は大きくなると外部からの監視や批判を受けにくくなる。これが「風通しの悪さ」の本質だ。内輪の論理が絶対化し、環境の変化への適応力が失われる。要するに適切な情勢判断と意思決定ができなくなるのだ。その意味でメディアはまさに、有力な監視者、批判者がいないという腐敗しやすい環境にある。
メディアという権力に特殊性があるとすれば、そもそもそれ自体が政治権力の監視装置としての役割を担っているからだろう。少なくとも建前上、メディアは市民に代わって政治権力を監視している。いわば「政治の風通しを良くする」ことが使命なのだ。
では、そのメディアを誰が監視するのか。一般に民主制の社会では権力を三権分立によって相互監視させる仕組みを取り入れている。しかしメディアは、そういった牽制の枠組みにも入っていないのだ。
この点については長らく、メディア自身による相互監視、相互批判こそが腐敗の抑止力になると考えられてきた。しかし、それが機能してこなかったのは明らかだ。
例えばスキャンダル報道で有名な週刊文春は、昔から新聞批判を売りにしている。かつては朝日新聞を目の敵にしていたし、一九九〇年代からは日経新聞も「文春砲」を浴びることが増えた。確かに、それらの批判や暴露が一定のインパクトを持っていたのは事実だ。しかし、それで報道機関のあり方が抜本的に変わることはなかった。
状況が変わったのはインターネットが登場してからだろう。小さな誤報や取材上のトラブルなど、週刊誌も掬い上げられないほど細かい暴露が日常化し、一般市民にもメディアの内部事情が知られ始めたからだ。さらにSNSが登場すると、市民の批判が直接メディアに届くようになった。長らくメディアの内部にいた人間として言えば、後者のインパクトは決定的だった。
そういう観点から言えば、遅まきながらメディアは変わり始めている。例えばNHKや電通で発生した過労死は、メディアの「働き方改革」に火をつけた。かつては社員の過労死が週刊誌で取り上げられても黙殺できたが、今ではSNSで炎上して不買運動や責任者のネットリンチにつながりかねない。このため、報道機関の間では不可侵だった夜討ち・朝駆け(深夜・早朝にアポ無しで自宅を訪ねる取材手法)のような文化までもが急速に見直されつつある。
言い換えれば、SNSが登場して市民が直接メディアを監視、批判するようになったことでメディアの風通しは確実に良くなってきた。流行りの言葉を使えば「透明性が高まっている」のだ。
では、こうした「風通し」が良くなれば、メディアは本来の機能を取り戻すのだろうか。筆者の肌感覚から言えば、この考え方には大きな誤解と危険が潜んでいる。そもそもメディアが監視すべき政治という営み自体が、ある種の不透明性を前提に成り立っているからだ。
外交や安全保障に関する国家の意思決定を考えてみよう。例えば、外国との交渉や政策決定の過程をすべて情報公開すれば国が滅びる。秘密を守れない政府と真面目に外交交渉をする国はないし、国防で手の内をすべてさらせば戦争で負けてしまうからだ。
議会制のような間接民主主義にも同じ含意がある。インターネットが登場したころ、本気で「これで直接民主制が実現できる」と主張した人々がいた。しかし、直接民主制は技術的な限界が理由で採用されていなかったわけではない。国民のナマの判断をダイレクトに政策に反映させる危険性が認識されていたという面も大きい。
もちろん間接民主制は、政策決定のプロセスを国民から遠ざけ、見えにくくする。「密室政治」も増えるだろう。つまり透明性が下がるデメリットは承知で採用されているのだ。そして、それらの副作用を緩和する目的で導入されたのがマスメディアによる監視システムだった。
政治は本質的に不透明さを抱えている。しかし放置すれば腐敗し、暴走する。そこで一定の透明性を確保するためメディアが監視する──。別の言い方をすれば、メディアは政治の舞台裏を丸裸にするために存在しているわけではない。政治が政治として機能するだけの「密室」を残しつつ、最低限の透明性を確保するための装置なのだ。くどいようだが、何もかも透明化するのであればメディア(媒体)という仲介者はいらない。直接、市民が意思決定すればいいだけだ。
この微妙な構図を理解しない限り、メディアの風通しの悪さや腐敗について論じることはできない。ネット上では「もはやメディアなど不要」といった極論がそれなりの支持を得ているようだが、それは「ネットで直接民主制を実現する」と同じくらい馬鹿げている。
実は、筆者がメディアについて心配しているのは、マスコミ人の傲慢さや権力との癒着、利権の囲い込みといった類の腐敗ではない。先に述べたように、それらはメディアの没落とSNSからの攻撃によって、放っておいても改善が進むだろう。
むしろ、人々がマスコミの腐敗にうんざりした挙句、この監視装置を革命の断頭台に上げ、解体してしまうことだ。そして、最近のメディア企業の没落や、マスコミ人の自信のなさを見ると、それは絵空事ではないように映る。
このままいけば近い将来、メディアは極めて透明性の高い、「健全な」企業体の一つになるかもしれない。しかし、そんな報道機関や記者は、政治家や官僚に相手にされないだろう。外交機密が守れない国と同じだ。それで十分、というニヒリズムは形を変えた腐敗でしかない。
(続きは本誌にて…)
〇著者紹介
松林 薫(まつばやし・かおる)
73年広島県生まれ。ジャーナリスト。京都大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修了。99年、日本経済新聞社入社。経済解説部、経済部、大阪経済部、経済金融部で経済学、金融・証券、社会保障、エネルギー、財界などを担当。14年に退社し、同年、株式会社報道イノベーション研究所を設立。22年4月、大和大学社会学部教授に就任。
〈編集部より〉
本記事は4月16日より発売中の最新号『表現者クライテリオン2024年5月号』に掲載されております。
全文は本誌に掲載されておりますのでご一読ください。
特集タイトルは
です。
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