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ニヒリズムが極限にまで高まった令和日本で、
仮に角栄が復活しても生き残れない。
なぜなら彼は徳高きリーダーだったからだ。
時代が昭和から平成、そして令和となり、あらゆる領域と階層において、あらゆる人物が小粒化してしまった我が国日本において、「田中角栄」程に特別な地位を占める政治家はいない。
新潟の農家に生まれ、高等小学校卒でありながら、国民の熱狂的支持を後ろ盾に五十四歳の若さで総理大臣の地位にまで上り詰めた今太閤、列島改造論で全国津々浦々の発展を促し、日本の高度成長を支え、日中国交正常化を果たした戦後を代表する「指導者」──しかしその一方で、金脈政治で金まみれになり、挙げ句にロッキード事件で有罪判決を下された腐敗の権化との印象も未だに濃密に残っている。今日の岸田政権の御代に至るまで拡大し続けてきた「政治不信」の巨大な種を日本に植え付けたのは角栄だったと振り返ることもできよう。しかしそれにも関わらず、有罪判決を受け、総理を退任した後もなお脳溢血で倒れるまで政界のドン、「闇将軍」として君臨し続けたのもまた、角栄であった。
つまり良きにつけ悪しきにつけ、角栄という政治家は、平成、令和において誰も比類できぬ程のスケールを持つ巨大な政治家だったのだ。
だからこそ、今日においてもなお、転落途上国、衰退先進国に先進国の座から転落してしまった我が国日本を立て直すには、「今こそ角栄のようなリーダーが必要だ!」という声が、巷に溢れかえるに至っているのである。
しかし結論から言って、今日、仮に角栄が「あの人格のまま」政界を志したとしても、この日本を立て直すことができる見込みは事実上「ゼロ」だ。
なぜなら今やもう、この極東の日本列島に住まう「ニホンジン」達は、あの角栄が語りかけた「日本人」とは大きく変質してしまったからだ。というよりむしろ、あの角栄が語りかけた「日本人」達自身が、角栄を蛇蝎の如く忌み嫌い政治の表舞台から葬り去ったのであり、かつ、その傾向は、角栄が生きていた時代よりもさらにぶくぶくと肥大化してしまっているからだ。つまりあの時代に角栄を引きずり下ろした日本人の角栄に対する凶暴な態度は、この令和の御代においてはより過激化しているのだ。
今の日本人は、かの東京都知事選に全く無名のまま出馬し、中身のないイメージ戦略一本で、現職の小池百合子氏に次ぐ一六〇万票以上を獲得した石丸伸二氏のような無色透明、無味無臭な人物に大いに期待を寄せるような存在となってしまっている。そんなニホンジンにとってみれば、分厚い身体性に覆われた癖の塊のような角栄は、生理的な嫌悪感、ひいては嘔吐感を催す他ない存在だ。
こうした事態はいわばかつて平原を歩き回っていた巨大な象が、特殊な「黴菌」の蔓延によって絶滅してしまい、今、巨象を蘇らせても瞬く間にその「黴菌」によって死に至ること必至、というような状況だ。その黴菌の正体はオルテガやニーチェが「大衆」や「末人」と呼んだ、こころ無き虛無主義者、ニヒリスト達だ(ちなみにル・ボンはまさにそうした大衆・末人達を文明に巣くう文字通りの「黴菌」だと表現している)。
彼らは人間の「徳」や「品格」というものを把握する能力が壊れており、ただただ下劣な私益や気分のみを感知可能な生物だ。彼らは私益や気分のみが感知可能であるが故に、他者もまた私益や気分のみで動く生物だという世界観を強固に築き上げている。そんな生物の目から見れば、徳高きリーダーによる、その徳高き品格ある差配によってもたらされる巨大な公益などは一切目に入らない。彼らの目に入るのは、その巨大な公益の影で、当該リーダーに必然的に環流する幾ばくかの私的利益だけだ。結果、彼らの眼には、その徳高きリーダーはただただ私腹を肥やすためだけに権力を振り回す極悪人にしか見えないのだ。しかもそんな彼らにとってみれば、徳高いだの立派だの言われながら尊敬を集める角栄など、何やら得体の知れないいかがわしい偽善者が大量の信者を騙くらかして膨大なお布施を集めている新興宗教の教祖のような輩だと見なす他ない。
かくして所謂「究極の下衆の勘ぐり」とでも言うべきおぞましい邪推に次ぐ邪推によって、「角栄」という存在が「私腹を肥やすためだけに権力を振り回す極悪人」「得体の知れぬ言葉で人々をたぶらかす偽善者」と断罪され、世論において葬り去られてしまったわけだ。
しかもそれが何時だったのかと言えば、一九七〇年代前半だ。あれから半世紀以上の時を経て、その間にニヒリズムが極限にまで高まり「下衆」達がより一層過激に幅をきかす状況に立ち至っている今日の令和日本において、角栄が生き残れる見込みなど万に一つもない、と言わざるを得ないのだ。
つまり角栄が世論から蛇蝎の如く嫌われてしまった根本的理由は、「彼の徳高さ故なのだ」ということになるわけだが、この点を彼の言葉を拾いながら改めて確認してみることとしよう。
例えば、角栄が後輩達に常々言っていたこの言葉──「バカ野郎っ! どこ見て政治をやっているんだ。お前達は、日本のために政治をやっている。私情で動いてどうする。政治家、リーダーというものは、どんな場合でも最後は五一%は公に奉ずるべき、私情は四九%にとどめておくべき者だ。公六分で判断した場合、仮に失敗しても逆風をかわすこともできる。私情優先では同情の生まれる余地はない」を考えてみよう。
まさに至言。永田町を埋め尽くしている「私情」にかまける政治屋達の精神の内にも一部の公を宿らせることが国益増進のために必須であること、しかしそれが絶望的に困難であることの双方を見据えつつ、四九%の短期的な私益と「失敗」した時の長期的な私益に訴えかけることを通して、わずかなりとも公を慮る精神を蘇らせんがために吐かれた公知公徳に溢れた言葉だ。
しかし、そんなことは「公」というものが理解できない下衆どもには全く分からない。
彼らが分かるのは「四九%の私情」の部分だけだ。そして大物政治家の政治案件のスケールは巨大である以上、その四九%の私情のスケールもとてつもなくでかい。これが金脈政治批判を生み出す根本原因となったのだ。
あるいは、戦争で闘った経験を持つ角栄は戦後、「愛馬会」と名付けられた戦友会で、復員してきた上官、兵隊仲間との交流を続け、自身の会社の社員や、代議士となった後は秘書として次々と採用していった。それは、戦争を全否定する戦後空間の中で不遇な境遇にあった戦友達を自らの度量の範囲で助けるリーダーの範となり得る徳高き振る舞いだが、下衆にとってみればこれは単なる「癒着」に過ぎない。秘書も社員も能力で選ぶべきであって、そんなものを自分のオトモダチに回すなど、単なる、腐敗に過ぎぬということになる。
あるいは、角栄は人の上に立つのなら、…続きは本誌にて…
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