【特集インタビュー】「ワシントン」の腐敗と いかに戦うか?(後編)/ジェイソン・モーガン×川端祐一郎

啓文社(編集用)

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今回は、特集座談会の一部をお送りいたします。

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(前編はこちらから)

モーガン▼ ヨーロッパ人が怖いという感覚は、アメリカにもあります。ヨーロッパとアメリカは同じではないのです。先ほどヨーロッパの極右政党の話が出ましたが、ヨーロッパ人にとって外国人は対等な人間ではありません。私たちアメリカ人も野蛮かもしれませんが、アメリカ人には「我々は田舎者だ」という自覚があります。ところがヨーロッパ人は自分たちこそが文明の中心だと信じている上、常に殺し合いをしてきました。
 だから普通のアメリカ人は、東海岸の自称エリートを除いて、一種の常識として「ヨーロッパに近づいてはいけない」という感覚を持っています。一方、アメリカ人の中でも、ワシントンのグローバリストはヨーロッパ的な白人至上主義に近い人たちです。

帰るべき「故郷」を持たないアメリカ人

 

川端▼ アメリカは移民社会なので、「田舎者」の自覚があるというのは納得ですね。
モーガン▼ アメリカ人の由来は、移民と奴隷、そしてネイティブアメリカンです。難しいのは、そこに共通のアイデンティティがないことです。私は「反ワシントン」の立場ですが、仮に革命を起こしてワシントンのエリートによる支配から普通のアメリカ人を解放することができたとしても、その後の国づくりがうまくいくとは思えません。なぜなら、私たちには共通の「帰るところ」がないからです。
 私は南部のルイジアナ州の出身で、先祖の一部がチェロキー・インディアンですが、ルイジアナの文化のほとんどは、植民地主義者が輸入したものか、搾取された側である奴隷やネイティブアメリカン由来のものです。ジャズもそうですし、食べ物もほとんどカリブ海から入ってきたり、奴隷が食べていたものだったりしています。そうなると、「自分の文化」というものがはっきりしないんです。
 私の祖父はニューオーリンズの黒人ばかり住んでいる地域で育てられた貧しい人でしたから、私は以前から黒人に対して非常に親しみを持っています。私の中にはインディアンの血が流れているし、割と貧しい人の多い地域に住んでいたので、私はワシントンのエスタブリッシュメントから見ると「白人」ではないことになります。私自身はそれで結構なのですが、非白人であることが私のアイデンティティになるとまでは言い切れないですね。
川端▼ なるほど。ワシントン的な「グローバリズム」の支配体制に抗おうと思ったときに、「故郷」のような、パトリオティズムの土台が実はないということですね。
モーガン▼ そうなんです。だから文化的なアイデンティティではなく、星条旗を掲げて戦い、星条旗というシンボルの下で死にたいと思っている人は多いですね。
川端▼ アメリカ人の中には、建国の理念や合衆国憲法をアイデンティティの核にしているような人もいますよね。労働者が「憲法」のために命を懸けるとは思えないので、エリート層に限られるとは思いますが。
モーガン▼ 憲法は面白いポイントです。日本人が『君が代』を歌いながら「天皇陛下万歳」と唱えるとき、それは天皇、皇室を讃えているわけですよね。一方、私たちアメリカ人は、紙切れである憲法のために命を懸けている。私も、十年ぐらい前までは憲法崇拝者でした。でも、概念に基づいて国を築くのは恐ろしいことで、概念が全てになるとインディアンを皆殺しにすることもできてしまう。そして概念的な国には文化的なアイデンティティがないので、繁栄している時代はいいとしても、下り坂に入ると逃げ場がなくなります。つまり、「帰るところ」がないのです。憲法が中心になっているアメリカの「建国」の理念は、もちろんはっきりしたものですが、一方、「建国」と同時に可能性として生まれてくる「亡国」のイメージは、はっきりとしていなくて、どうなるか分からないのです。文化・民族に基づいた国と違って、アメリカのアイデンティティには「賞味期限」が設けられていたのだと、最近、私は気づきました。
川端▼ 理念によって作られたアメリカという国は、経済力や軍事力が強い間はいいとして、その力が衰えてくるとアイデンティティの拠り所がないので苦しいわけですね。
モーガン▼ そうです。衰退するアメリカの中で、私たちはどこに帰ればいいのか分からないのです。だから、アメリカ人は精神的なホームレスだと言えると思います。リベラルの本質は「チンピラ」
川端▼ アメリカには、西海岸に多いのかもしれませんが、極端にリベラルな思想を信奉する学者やジャーナリストもいますよね。ワシントンやウォール街のエスタブリッシュメントとはまた違うと思うのですが。
モーガン▼ 西海岸に限らず、大学では左翼が支配的です。ウィスコンシン大学にいた頃、私自身は保守的な考えを持っていましたが、周りと意見が合わず嫌がらせを受けることも多かったです。当時、ウィスコンシン州の知事は財政的保守主義の立場で、州の予算を整理するためにも労働組合に対して厳しい立場をとっていました。労働組合が政府から優遇をもらい、その代わりに民主党に寄付するということをやっていて、それに対して知事は批判的だったのです。私は知事が正しいと思ったのですが、他の大学院生たちは逆で、学内の情報共有に使われていたメーリングリストで知事への抗議活動を呼びかけたのです。そこで私が、「学内のメーリングリストで特定の党派の政治運動を呼びかけるのは良くないのではないですか?」と発言したところ、批判や罵倒が殺到しました。それに対して私も反論したので、メール上のやり取りは大バトルに発展しました。
 今でいうLGBTの運動を批判したときも大変でした。「うちの学部はお金がないといつも文句を言っているが、その割には、大学の経費でレズビアンのドキュメンタリーフィルム上映会が開かれたりしている。金がないというなら、そのような活動に使うべきではないのではないか」と書いたら、レズビアンやフェミニストの人たちから、「お前が一線を超えたらどうなるか分かってるだろうな?」というような、脅迫まがいの反発を受けました。大学という場であるにもかかわらず、異論が暴力的に排除されるのです。
川端▼ 日本だと右翼の方が暴力的なイメージがあるのですが、アメリカの暴力的なアクティビストはほとんどが左翼なわけですよね。
モーガン▼ そこは疑問です。そもそも彼らは、左翼も右翼も分かっていない。彼ら自身に政治的な信念はなく、単に大学という場で主流の考え方に迎合して、それに反するものを見つけては大騒ぎし、SNSで攻撃したり暴力的な嫌がらせをしたりするだけです。
川端▼ なるほど。ちなみにワシントンのエスタブリッシュメントは、ネオコンなりグローバリズムなりの「理念」を本気で信奉しているんでしょうか。
モーガン▼ 一部はそうですが、はっきり言ってしまえば、ただのサイコパスの方が多いと思います(笑)。
川端▼ ワシントンの中枢にはサイコパスの集団がいて、大学にはリベラルという名のヤクザがいると。
モーガン▼ ヤクザというより、ただのチンピラですね。「ジェンダー・チンピラ」とでも言いましょうか(笑)。白人だったとしても、ジェンダーを振りかざせばマイノリティになれます。そうしてマイノリティの立場を利用して、ギャングのような運動を始めるのです。しかも、そういう連中を教授が煽っている。
 彼らチンピラには基本的な教養がないので、ディベートができません。私は、相手の政治的な立場にかかわらず自由な議論がしたいと思って大学に入りました。授業の課題図書は、左翼の本であっても真剣に読んでいました。左翼に反論するためにも、隅々まで読んでいたわけです。ところが左翼の側は、議論よりも暴力に訴えるのです。本は読まないからです。チンピラだから。

本当の「左翼」は良心的

 

川端▼ アメリカ国内では、「右と左」、「保守とリベラル」のような政治思想的な対立があるというより、チンピラとまともな人の間で争いが起きているというイメージですかね。
モーガン▼ (続きは本誌にて)


 

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