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ウェストファリア会議(1646-48)は「国民国家」を成立させるために始めたわけではなく、ヨーロッパ諸国はそれを目的として条約を締結したわけでもない。条約によって国境の明確化や国家宗教の自由など、領土と主権(らしきもの)が認められるようになったが、そのような方向性で合意がなされたのは、三十年戦争を通して、既にキリスト教世界において地域による差異と断絶が明らかになっていたためである。
マルティン・ルターは、プロテスタントという宗派を立ち上げるために「95か条の論題」をウィッテンベルクの教会の扉に貼り出したのではない。カトリック教会の金銭による贖宥への批判を提起することによって人々の議論を巻き起こすためだった。中世の教会の扉は、告知板の役目をしていた。ルターは当時の習慣に従っただけであり、彼の行為に革命的な意図があったわけではなかっただろう。半年後に教皇レオ10世に所信を述べたとき、彼自身が、これほどまでに広まったことに困惑を表明していたという。
当初のルターの思惑がどうであれ、印刷されたことによって、この文書は瞬く間にヨーロッパ中に広まった。一説では、二週間でドイツ中に、一か月でヨーロッパ全土に知れ渡ったと言われるほど、その波及の速さには目を瞠るものがあった。貼り紙の文章を印刷したのが誰の意図であったかはわからない。ルターは以前、ラテン語やドイツ語で印刷テキストを編集した経験もあり、印刷業者に知り合いも居たし、ドイツの書籍市場についても知識があったという。印刷業者が、教会関係の顧客に頼まれたのかもしれないし、商売になると見込んで自発的に冊子にしたのかもしれない。
フェルディナンド・パウウェル『ヴィッテンベルク城教会の門に95ヶ条の論題を貼り出すマルティン・ルター』
意図の如何に拘らず、とにかくこのラテン語の批判文は印刷され、都市から都市へ、街から街へと渡り歩く行商人によって運ばれた。『日記』36で述べたように、各地のラテン語の読める聖職者や教養人の手に渡った批判文は、その地域の言語に翻訳された。印刷技術のない時代であったなら、ルターの貼り紙は教会の扉まで足を運べる範囲の人々の目にしか触れなかっただろうし、告知板を見て議論を挑む人々の間で討論されただけで終息したかもしれない。誰かが書き写して広まったとしても、筆写では時間もかかるし量産ができない。そんな伝わり方では、衝撃を受けて一気に盛り上がるような興奮は冷めてしまっただろう。1517年のヨーロッパが、既に印刷業者と印刷物という「ニューメディア産業」を育成していたことが、それ以前の社会では起こり得なかった「宗教の革命」を引き起こしたのである。
この事件は、宗教界だけでなく社会をも変革させた。付加価値のある商品生産と市場の拡大は、中世の生産様式から資本主義経済への移行が始まっていたことを示している。印刷という事業は、単に活字や活版の製作技術を持っているだけでは成り立たない。十分な紙の供給が確保され、販売網が作られ、文字の読める職人が必要である。印刷職人は文化の高い地方に多く、当時はパリに多くが集中していた。カルヴァン以来、フランスで迫害されたユグノーたちがジュネーブやアムステルダムやロンドンに逃れた。ユグノーは職能集団であった。聖書の需要の増大により、プロテスタント信者と印刷業者に利益が集中した。聖書によって、商業出版物というニューメディアが誕生したのである。近代のテレビや、更に現代ではインターネットやSNSという媒体が社会を左右するようになったのと同じである。聖書という印刷物の普及は、一般人のなかに、聖職者に勝るような学識者をもたらし、都市の知識層は中産階級を形成する原動力となる。エラスムスやトマス・モアやラブレーも印刷革命の申し子だろう。
教会にとって、聖書の普及は「脅威」であった。1551年から1563 年にわたって3期に分けて開かれたトレント公会議は、宗教改革によるキリスト教世界の分裂を回避するのが目的だったが、成功したとは言えない。公会議ではミサも聖書もラテン語を基本とすることが決定された。聖書という印刷物に限って言えば、カトリック教会は聖書の情報の独占権を放棄することを恐れて印刷業者と敵対した。教会はラテン語にのみ価値を置き、ウルガタ聖書の支持を貫いた。
旧約聖書の原典はヘブライ語である。新約聖書はギリシャ語で書かれた。紀元4世紀末から5世紀初めにかけて、ヒエロニムスはそれらをラテン語に翻訳したが、このウルガタ聖書は、中世修道院での聖書研究によって、既に誤謬の多さが指摘されていた。同時代の言語であっても文化や環境や習慣の違う言語の翻訳は難しい。まして、難解な古代のヘブライ語やギリシャ語をヨーロッパのラテン語へと翻訳する上での議論は未だに終わることのない課題である。印刷物の普及で、俗界のエリート学者たちによるウルガタ聖書の学問研究が進み、博識になった彼らは文法や言語学や神学の領域で聖職者を凌ぐようになった。従来の教会の「教義」を疑うようになったのである。但し、ヨーロッパの各地域の知識人たちは、聖書と共通言語のラテン語を通して同じ学問の世界に属しているという感覚を持っていた。国際学会の仲間との共同研究を可能にするような協調精神といえる。高等教育を受けたエリート層にリベラルな思想の持主が多いのは普遍的傾向なのかもしれない。
カラヴァッジオ「執筆する聖ヒエロニムス」
民衆レベルでも、聖書の出版は教会に大きな脅威をもたらした。しかし、ここで留意しなければならないことがある。「一般読者には、母国語を用いなければ聖書の知識に手が届かない」ということである。教会の権威を否定してすべての人が聖書の神の言葉を解釈するという「万人祭司」の思想には、「母国語による聖書」という媒介が必要だった。地域の言語に翻訳された聖書によって、民衆の熱心な信者の中には教区の司祭たちに負けないほどの聖書の知識を持つ者が現れるようになった。カトリック教会がヒエロニムスの聖書(ウルガタ)に固執したことで、プロテスタントとの亀裂は深まり、修復不可能になってしまった。
地域言語による「聖書の民主化」は、印刷業者に新たな市場を提供した。「福音を広めたい」というプロテスタントの欲求は、印刷業者の収入に直結したのである。需要の創出によって印刷産業は拡大したが、翻訳上の質のばらつきがあった。質の高い統一的な翻訳が要求され、印刷業者はその地域の権力者と結びついて、各地で欽定訳聖書の出版が進む。国ごとの聖書の言語の「標準化」である。聖書は解釈のための黙読に用いられただけでなく、家族や仲間との祈りの場で「同じ聖書による同じ言葉の祈り」を可能にした。聖書の解釈と祈りのために、聖書の民主化は、その地域の標準言語の読み書き能力を向上させ、中産階級を育てた。
印刷業者のなかには、活字を扱う職業柄、聖書の文言に詳しい者や翻訳のできる者もいたが、すべてが敬虔な信仰やプロテスタントの情熱を持っていたわけではない。彼らは、聖書の印刷以前には、カトリック教会の「贖宥状(免罪符)」を印刷してひと稼ぎしていたのである。カトリックの貴族たちは家庭内の礼拝に専属司教を雇っていたが、プロテスタントで家庭礼拝をおこなうのは家長だった。プロテスタントの家庭には聖書があり、家長たる父親が説教者となって、家族や使用人たちの家庭礼拝を取り仕切った。映画などで、家族が食卓に着いて食前の祈りをする光景を見たことがあるだろう。大抵、父親が聖書の言葉を引用している。しかし、すべての男たちが聖書を解釈・理解できるほど賢いはずはなく、どうしたらいいのかわからなくて困った者は「手引書」を頼りにした。「学習参考書」やアンチョコである。家庭で瞑想し祈りを唱えるための個人用祈祷書のようなものも売られた。印刷業者は、聖書を学び理解を助けるための「新製品」を開発・提供した。家長はどんな職業であっても家庭内で説教をするために学び、その地位を固め、個人として自立し始めた。
印刷物としての聖書は、識者の間で、寛容なエラスムス派や高度な批判精神という近代性をもたらしたが、一方で、民衆の間に、聖書の語句に拘るファンダメンタリズム(原理主義)という頑なな教条主義ももたらした。現在のアメリカに見るエリート層と、それに対立する反知性主義は、既に聖書という印刷物が普及し始めた時代に分離が始まっていたようだ。
欽定訳聖書は、同じ標準言語の聖書を使う地域の人々の間で仲間意識を醸成した。同時にそれは「地方限定」の聖書となり、キリスト教世界の分裂を促すことになった。「聖書の民族化」である。欽定訳聖書の普及は、その言語の限界までであった。J.S.ミルが言う「議会制民主主義成立の限界は言語の境界まで」とは、聖書によって次第に定着した「言語の国境」でもある。言語の同一性というのは「発想の共有」であり、聖書の解釈はイデオロギーに通じる。他言語による解釈や発想の食い違いは両者間に摩擦を生じ、一方による解釈の強要は「イデオロギーによる干渉」になる。自分たちの言語世界への他言語の干渉を拒絶する仲間意識が、領主の所有する土地であっても、そこが「我々の領域」という意識変化をもたらしたのではないだろうか。聖書の言語がヨーロッパ各国の「国民意識」を形成したと言える。
この時代に印刷技術を最も利用した分野は、聖書の出版とサイエンス分野だったらしい。博物学の挿絵、天文学の図解などの科学分野の図表、数学などの記号の統一は、多国間の共通概念の形成を可能にした。挿絵や図表は、ラテン語か地域語か、何語で書かれているかに拘らず読者の理解を助けた。数学は、従来は学者同士の書簡のやり取りで相互に証明を検討して確認し合っていたが、各人がバラバラな記号や式を用いたため、その都度、記号の定義が必要だった。しかし、印刷物によって共通の記号や関数式の書き方などが定まって来ると、言語の違いに関係なく、証明や反証が迅速に行われるようになり、数学の発展に寄与した。印刷物は、中世の「神の言葉の世界」から脱して、図解や記号の統一によって一般人のサイエンス分野の共通理解を容易にするという民主化の方向へ進んだ。
一方、最も発行部数の多かった聖書の出版は、統一ではなく分裂の方向へ進んだ。福音をすべての人々に浸透させるための多言語化は、キリスト教世界を細かく分裂させた。翻訳とは解釈である。言語の多様化は解釈の多様化でもある。言語の境界を国境とする集団の「仲間たち」の間では民主化が進んだが、言語の異なる「他者」の存在が、郷土愛ひいては「愛国心」を意識させ、中世が共有していた「神の言葉の世界」は「それぞれの聖書の神の言葉」によって「民族化」し、分裂した。
「国民国家」は、印刷された聖書の普及によって創られた面がある。俗語聖書の「神」が国民宗教を形成した。聖書の中に立ち現れる「神」は、その言語を理解する者のみに語りかける。他言語の話者には理解できない。信者たちは、そこに「他者」を意識する。聖書を共有する仲間たちの間で宗教を守ろうとする意識が生まれた。彼らは同じ神に守られた「国民」である。国民国家は、単に政治的な集合体ではなく、宗教的道徳観を伴う集合体である。
領邦国家は、自分たちの言語で聖書を学ぶことで「知的」になり、他者(他国)の干渉を受け付けなくなった。地域の自覚と結束が、ハプスブルク家の干渉を嫌うだけでなく、近隣領邦との摩擦も生んで、三十年に亘る戦乱の時代に突入した。泥沼化した戦乱を収拾するためのウェストファリア会議で、彼らが最も欲したものは領土の確定と他国の干渉を拒絶する権利だった。
さて、時代は現代である。グローバリゼーションの国境の透明化によって国民国家は融解し、外部の他者の存在が曖昧になって、死守すべき「神」も見失っている。国内では少数の超富裕層と多数の下層階級の二極化が「聖書の解釈」をなすべき知的中間層を消滅させた。彼らは「国民国家」を再編成するために欠かせない存在であるのに、その中間層を失えば、グローバリズムが崩壊したとき、誰が国家を再建するのだろうか。
現在、先進国で起こっている「右傾化」と言われる現象は、グローバリズムの「意識の高さ(woke)」に疲れた人々が嘗ての国民国家に抱くノスタルジーに見える。しかし、「聖書に書かれた神の言葉」を失った人々と増加した移民で構成される国家は、内部の同質性を失って「国民国家」には戻れそうもない。「聖書」が生んだ「国民意識」は、リアルな社会からかけ離れた理想の押し付けと製造業による実体経済を無視した貪欲な利益の追求によって壊された。
ルターの宗教改革から500年経って、プロテスタントの価値観による世界支配が終焉を迎えたように見える。寧ろ、プロテスタンティズムが、これほど長期にわたって世界の支配的イデオロギーとしてあり続けたことは驚嘆に値する。それは、ウェーバーの言うように資本主義という最強の経済システムとの最適な共存関係があったからだろう。世界の経済力と軍事力の占有は、プロテスタント世界の知性を備えた中産階級の力によるものだった。
グローバリズムは、国民国家の存在理由である「他者」を消滅させた。寡頭政治による富の偏在は、プロテスタントのイデオロギーを支えていた中産階級から、経済力と国民共通の道徳的な価値観を奪った。現代の寡頭政治の西洋が生み出したニューメディアが人々をアトム化させ、中世の西洋のニューメディアが生んだプロテスタンティズムの時代を自滅させたようだ。西洋の支配力が自己崩壊していくとしたら、他の地域は、これからどのように自国を護って自立していくべきだろうか。
『印刷革命』E.L.アイゼンステイン著 別宮貞徳訳 /みすず書房 1987
橋本由美
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