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【浜崎洋介】「虚構」の中に育った少年―酒鬼薔薇聖斗事件について

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

コメント : 1件

 こんにちは浜崎洋介です。
 先週のメルマガでは、オウム事件が、戦後的ニヒリズムによって引き起こされた事件ではなかったのかといった議論をしておきました。が、それを書きながら、改めて思い出したのが、オウム事件の2年後の1997年に起こった少年Aによる神戸連続児童殺傷事件です。それは私に、「内発性の欠如」というものの恐ろしさを最初に印象づけた事件でした。

 少年Aと私とは4歳違いですが、さらに、私自身が少年Aが住んでいた須磨ニュータウンの隣町の西神ニュータウンに住んでいたこと、また私が一学期間だけ通った高校の裏手に、少年Aによる遺体解体の犯行現場である「タンク山」があったこと、そして、私自身が少年Aと似通った状況に置かれていたこと(学校や悪童グループから落ちこぼれて行ったこと)などもあって、あの事件は私に忘れ難い印象を残したのでした(詳しくは、拙著『反戦後論』に所収した「郊外論/故郷論―『虚構の時代』の後に」を参照してください。)

 それにしても、私が記憶しているのは、当時のニュータウンの「息苦しさ」です。
そこは、家を買って、他所から引っ越してきた、30~40代のサラリーマン世帯(核家族)によって占められていましたが、そのことが、空間の「息苦しさ」を加速していたように思います。というのも、父親が不在で、地場産業や個人商店が一切ない「ニュータウン」は、伝統を支えにした生活(地域の祭り)や、あるいは外部の大人社会との繋がりを失った、〈母と子〉、〈家と学校〉との二人称的閉鎖空間として存在せざるを得なかったからです。

 その点、思春期を迎えようとしていた少年の心に、この抽象的な〈閉鎖空間〉は相当にキツかったという記憶があります。囲いの中での児童期が終わり、ようやく、その外へと踏み出していこうとしたとき、目の前にある価値基準は学校的な物差ししかなく、それ以外の価値を具体的に指し示してくれる大人が、私の周りにはだれもいなかったのです。

 しかし、それでも今から考えれば、私には「現実」を迂回しながら「現実」を考えるための回路――つまり、絵画や小説など――があった分だけマシだったのかもしれません。というのも、おそらく、その逃げ場所さえ奪われていたのが、少年Aだったからです。

 終始、厳しい母親に向き合わなければならなかった少年Aにとって、まず家庭は、学校からの避難所ではありませんでした。しかし、だからといって街に出ても、自分を受け容れてくれる地元のオジちゃんオバちゃん、若人衆がいるという訳でもない。そこは、雑なものの一切を排除した〈私有の空間=ニュータウン〉だったのです。そして、小学校五年生の時に体験したある事件を切っ掛けに、少年の心の歯車は次第に狂っていきます。

 その事件と言うのは、祖母の死でした。

 少年Aがナメクジや蛙を殺しはじめたのは、彼にとっての唯一の避難所だった祖母の死を切っ掛けにしていたと言われますが(祖母を殺した「死」というもの、あるいは祖母を生かしていた「命」というものの姿かたちを確かめてみたいというのが蛙を殺す最初の動機だったと言います)、それ以後、彼は次第に猫を殺すようになり、ついには、その行為に性的快感まで感じるようになっていきます。
 そして、猫を殺すことを楽しんでいる自分自身に対して「酒鬼薔薇聖斗」(少年Aの分身です)という名前をつけ、その頃から、「バモイドオキ神」という神を、夢のなかで見るようになっていったのでした。

 事件後に、彼が収容された少年院で、少年の行く末を見守っていたという人間(おそらく心理カウンセラーだと思われます)は、次のように述べていました。

「愛情に飢えていたんですね。お母さんの子宮にもどりたかったんじゃないか、と私たちは話し合いました。いつもそこに話がもどっていくんです。あの子は親からまったく愛されていないと思っていましたからね。だれにも愛されていないという虚無感が非常に強かった。自分は普通じゃないと思い、グループからも落ちこぼれていって、ひとを殺してみたいという衝動こそが生き甲斐になっていった。そんなところまで追い込まれていたんですね」高山文彦『「少年A」14歳の肖像』新潮文庫より

 昂る殺人衝動を自分で自分に納得させるために、14歳の少年はダンテや、ニーチェや、ヒトラーの言葉の断片を継ぎ接ぎしながら、必死に自らの「理論」を虚構していったと言います。その言葉だけが彼の「お守り」であり、彼の「シェルター」でした。

 しかし、そうだとすれば、自らの現実を吊り支えるために「バモイドオキ神」という神を虚構しなければならなかった少年Aの心と、目の前の「現実」から身を守るため、ヘッドギアで麻原と一体化できるのだという教えを虚構しなければならなかったオウム真理教の信者の心とは、それほど隔たったものではなかったと言うべきなのかもしれません。それほどまでに彼らは、他者の「愛情に飢えていた」のであり、「虚無感が非常に強かった」のであり、そして、おそらく圧倒的に〈孤独なニヒリスト〉だったのです。

 しかし、だからといって私は、彼らの犯罪を「社会のせい」にする気は全くありません。が、それでも私は、戦後社会が、子供たちから、頼るべき家庭を、頼るべき地元を、頼るべき「自然」を奪っていったのだという事実は忘れるべきではないと思っています。
最後に再び、少年Aの心理カウセラーと思しき人の言葉を引いておきます。

 「あの子の衝動は、特殊なものではないんですよ。そこのところをまちがえないでほしいんです。だれだって子供のころ、同じような経験をするでしょう。たとえば蛙のお尻に棒を突っ込む、それが攻撃性ということなんですが、あれは男の子にかぎった衝動なんですね。穴に棒を入れる、つまり性衝動でもあるんですね。女の子はそういう遊びはしますか? しないでしょう。ちょうど思春期の入り口、異性に関心をおぼえる時期に、あの子は偶然、猫を殺して射精してしまった。そこから殺人へとエスカレートしていくわけです。」同前

 つまり、人間の「自然」は、簡単に壊れてしまうのだということです。そして、だからこそ人は、人の「自然」を注意深く守っていく必要があるのだということです。

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コメント

  1. 山口 広美 より:

    誰もが「そう成りうる」ということ。

    わたくしも、核家族で育ち、「お嫁に行けばいい」という、真面目で固くなな両親のもと、「子ども時代の自由」は、感じていなかったように思います。本来、大学に行きたかったのは親だった。

    母親との確執的な思いは、まだまだ残っていて、50を過ぎた今、親が信じられない。

    心配がゆえ、という裏に、自身の体裁が見えかくれするから。

    我が子の子育てで心理学を学び直し、不登校の5年生と、楽しく過ごそうと、格闘中。

    自分で生きていく、一人で生きていく、他人の中傷は気にしない、仲間を増やす、最後は自分、助けを求めていい、など、色々な場面での切り替えが、難しい。

    信じるべきか、疑うべきか?が分からない。

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