【藤井聡】沖縄における「四つの発見」と、 日本の未来

藤井 聡

藤井 聡 (表現者クライテリオン編集長・京都大学大学院教授)

本日は3月30日開催の「表現者クライテリオン沖縄シンポジウム〜戦後80年、沖縄から考える対米独立への道〜」

の開催を前に7年前の2018年の沖縄シンポジウムに関する記事をお送りいたします。
シンポジウムの詳細・お申し込みはこちらから


 この沖縄滞在は、筆者にとっては大きな「発見」がいくつもあったものとなった。
 第一の発見は、「沖縄の大きさ」、より厳密にいうなら、「沖縄が占める地理空間の大きさ」だった。何といっても、与那国島から鹿児島までの距離は実に一〇八四キロ。下関と青森の間の直線距離が一一五〇キロだから、ほぼそれに匹敵する領域が南西諸島には広がっているのだ。いわば日本は、南西諸島の「海洋部」と北海道・本州・四国・九州の「大陸部」との二部構成の国家だったわけだ。ところが筆者も含めて多くの日本人が、日本列島といえばその「大陸部」だけを意味するものと考え、海洋部はその「オマケ」のようなものと認識している。これでは、沖縄の軍事的戦略上の重要性や海軍力による海洋防衛の重要性を見失ってしまうことは避けられない。この重要な点を看過していたことについて、筆者はまず、大いに反省した。
 第二の発見は、辺野古基地が仮に完成したからといって普天間基地が返ってくる保証は「無い」という事実だった。普天間基地返還は偏に米国政府の判断であり、日本政府には、その権限はない──これが国会における日本国政府の防衛大臣の公式答弁だ。さほどに我が国は米国に隷属して
いるというのは、驚きの真実だった。これでは辺野古問題が大いに混乱するのも当たり前といわねばならない。この「隷属問題」を突破せずして、明日の日本など構成できるはずもなかろう。
 第三の発見は、沖縄に対する沖縄県外の日本人、とりわけ日本国政府が如何に冷酷な対応をしてきたのか、という実態だった。無論、サンフランシスコ講和条約で沖縄を切り離しながら「主権回復」と日本中が沸き立ったという事実、在日米軍の実に多くを沖縄一県に押し付けているという事実を認識してはいた。しかし、先の「第二の発見」も含め、沖縄の歴史を一つ一つ沖縄の立場に立って考えれば考えるほどに、さほどに日本は沖縄を蔑ろに扱ってきたのかとの驚きを禁じ得なかった。その根幹にあるのは次のような怒りだ──「三分の一の県民が命を失ってまで必死に戦ったにもかかわらず、何ゆえに日本は白旗を上げたのか? 一億玉砕だと宣っていたからこそ必死で戦ったのに、あれは単なるウソだったのか? だったら、あの夥しい数の沖縄県民の死は何だったのか? 我々の父母、祖父祖母は皆、エエカッコシイのヤマトンチュの勇ましいウソに騙されて死んでいったのか? なぜ、最後の最後まで戦わなかったのだ!?」。日本は、まずそのことを、つまり、アメリカに「白旗」を上げてしまったことそれ自身について沖縄に詫びねばならない。そしてその上で、米国に隷属し続けるこの現状を詫び、そしてその上で、米国への隷属状況を脱し、真の独立国家とならんと決意せねばならない。それこそが、あの戦いで死んでいった全ての沖縄県民、そして、全ての日本人への真の供養となるに違いない。
 無論、日本は「戦争を始めたこと」についての謝罪をこれまで繰り返してきてはいる。しかしそれでは、あの戦いによって死んでいったことは全て「無駄」だったと言っているに等しい──だから沖縄県民と対峙する全ての日本人はまずは、「日本が敗戦を決断したことそれ自身」について、沖縄県民に対して詫びねばならないのである。そしてその謝罪と決意ができた時にはじめて、我々ははじめて靖国の英霊に対する正しき態度を身に付けたことになるのだ。逆にいうなら、沖縄県民に正しき態度で接する事ができなかったのは、靖国の英霊に対して正しき態度で接してこなかったから也──この構図こそ、筆者にとっての第三の発見から導き出された一つの「真実」だった。
 第四の発見は、沖縄こそが、あるいは、南方諸島こそが、日本人の「こころ」の故郷に違いない──という直感だった。それはただ単に日本人が失ってしまった、例えば数々の島唄の中で歌い継がれてきた「こころ」が、離島である沖縄にこそ残存している、というだけのことなのかも知れないし、太古の昔から日本人が何百年、何千年と慣れ親しんだ美しい森と海がやはり未だに沖縄に残されている、というだけのことなのかも知れない。しかし、日本列島は北から南、東から西へと進めば進むほど、歴史は古く、精神性が深くなるという「経験的真実」に照らし合わせてみれば、日本的なるものは全て、この南西の島々からやってきたのではないか、と思わざるを得ないのである。そして、このたび、沖縄本島のみならず西南の最果ての与那国に過ごしたその体験は、その推察を「確信」にまで昇華せしめたのであった。実際、後で知ったのだが、そういう直感はまさに、民俗学者の柳田国男が『海上の道』で数々の史実に基づいて論じているそうである。
 だとすれば、そんな「心の故郷」である沖縄を蔑ろにし、その太く深い「こころ」を踏みにじり続けていては、我が国の未来が開けるはずなど無かろう。しかも、そこは中国が軍事大国化していく中、地政学的に最も重要な日本の「海洋部」の拠点でもあると同時に、米国による占領、植民地政策の中心地でもあるのだ。
 こうした「沖縄」の地で絡まった全ての問題の「もつれ」を一つ一つ丁寧に粘り強く、そしてあらん限りの勇気と胆力を持って解きほぐしていく努力を重ね続ければ、日本全体の問題は早晩自ずと全て解決されていくこととなるだろう。そしてその帰結として我々は日本人の「こころ」に基づいて作り上げられる日本人のための日本人による真の独立国家を作り上げることができるであろう。逆にいうのなら、その努力を今のように放置し続ける限り、我が国に明るい未来など訪れることなど、永遠にありはしないのである。


<編集部よりお知らせ>

表現者クライテリオン沖縄シンポジウム
〜戦後80年、沖縄から考える対米独立への道〜

2018年、私たちは沖縄の地において表現者クライテリオン・シンポジウムを開催し、この国の対米従属の歴史とこれからの未来を考えました。
そして今、戦後80年という歴史の節目を迎える本年、もう一度沖縄で集まり、議論しなければならない—そうした強い使命感を抱き、7年ぶりに沖縄シンポジウムを開催いたします。
沖縄こそ、日本の「戦後」が今なお続く場所であり、沖縄を語らずして戦後は語れない。ここにこそ日本の真の独立を考える鍵がある。

日時:3月30日14時~

第1部 14時00分〜15時00分
 ポスト2025の世界と沖縄—第二次トランプ政権がもたらす試練
第2部 15時10分〜16時30分(質疑・応答含)
 戦後80年の検証 ー 沖縄に見る対米関係の実像

懇親会 17時00分〜19時30分 

会場:沖縄県市町村自治会館
(那覇空港から車で10分、バスターミナルから徒歩3分、旭橋駅から通路直通、徒歩5分)

会費:一般、3000円、塾生・サポーター:2000円
懇親会:5000円

参加お申し込みはこちらから

 

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表現者塾は『表現者クライテリオン』の編集委員や執筆者、各分野の研究者などを講師に迎え、物事を考え、行動する際の「クライテリオン=(規準)」をより一層深く探求する塾(セミナー)です。

◯毎月第2土曜日 17時から約2時間の講義
◯場所:新宿駅から徒歩圏内
◯期間:2025年4月〜2026年3月
◯毎回先生方を囲んでの懇親会あり
◯ライブ配信、アーカイブ視聴あり

講師(敬称略)
藤井聡、川端祐一郎、納富信留、鈴木宣弘、片山杜秀、施光恒、與那覇潤、辻田真佐憲、浜崎洋介、磯野真穂、ジェイソン・モーガン、富岡幸一郎、柴山桂太

詳細はこちらから

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