トランプ大統領とゼレンスキー大統領の執務室での会談は、『アプレンティス』の番外編で、抜群の視聴率を稼いだことだろう。口論は偶然だったかもしれない。ただ、あの異常事態を長時間オンエアさせたことには、何かの意図があったように思える。テレビの世界を知り尽くしているトランプ大統領なら、もっと早く中継を打ち切ってテレビカメラを退室させることだってできたはずだからだ。
トランプ大統領は、もともとゼレンスキー大統領のことをあまり好きではないようだから、彼の言い分を聞く気なんて、最初からまるでなかっただろう。一番嫌いなのがバイデン前大統領で、彼は2番目かもしれない。3月1日のBBCニュースの解説によれば、「公の場でのこのような口論は計画的なものだったのではないか」「今後危機が起きた場合の責任をゼレンスキー大統領に押し付けることができるように仕組まれた」と疑う声もあるという。 Bowen: Trump-Zelensky row signals looming crisis between Europe and US
「トランプとヴァンスの罠」説は、欧州での主流な見方になりつつある。数日間で、この見解の記事が増えた。欧州とトランプ政権との間の溝は深い。ただ、トランプ大統領は本気で怒っているように見えたから、やはりこれは予想外のことで、延々と中継させたのはウクライナに勝ち目はないということを世界に報せたかったのだとも考えられる。西側の報道はウクライナの負けを認めようとしていない(ロシアが勝つなんて絶対に嫌だ!…?)。トランプ大統領がお荷物としか思っていないNATO同盟国への警告かもしれない。プーチン大統領は、何も言う必要がないくらい満足しているだろう。ウクライナの鉱物資源は、ロシアが占領している東部にあるのだから猶更だ。習近平主席にとっても悪くないメッセージだ。
しかし、トランプ大統領の真意など誰にもわからない。すべて憶測である。ひとつ教訓がある——喧嘩は母国語でやらないと不利になる。
B.C.6世紀、ユダヤの国はアッシリア・エジプト・バビロニアの強国に囲まれていた。小国である彼らはアッシリアに付いたりエジプトを頼ったりして、なんとか生き残ろうとしていた。B.C.558年、バビロニア軍がエルサレムを包囲した。預言者たちは人々に「すぐにエジプトから援軍が到着して包囲網は解かれるだろう」と預言した。預言を語るのは彼らの社会的役割だった。エレミヤだけが、そのような楽観論に与せず、現実的で悲観的な預言をした。「この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア(バビロニア)軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」(旧約聖書『エレミヤ書』38;2,3) 果たして、エジプトからの援軍は現れず、エルサレムは敵の手に落ちて、ユダヤの民はバビロンに強制移住させられた。バビロン捕囚である。
この話で注目すべきは、エレミヤ以外の預言者たちは、敵に囲まれても、他国を当てにして「なんとかしてくれるだろう」と楽観的な預言をしていることである。彼らに悪意はない。彼らは「平和を語る預言者」であって、神は平和を望んでいるのだから自分たちを守るだろうと思っている。これに対してエレミヤは「災いを語る預言者」であり、孤立している。
「だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに王が遣わされた預言者であることがわかる。」(『エレミヤ書』28; 7-9)
エレミヤはバビロンの捕囚民に手紙を書いた。彼らに、家を建て、庭に果樹を植えて、子を育てて人口を増やすように説く。「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。」(『エレミヤ書』29)と、現状への忍耐を説き、何をなすべきかを語った。
「平和を語る預言者」の中には、民衆の歓心を買おうとして耳障りのいいことを言う偽者もいる。彼らが偽の預言者かどうかは、すべてが成就したときにわかる。民衆は「聞きたいこと」を聞こうとする。「人間の願望」を神の言葉として語るのは、悪意とは限らない。しかし、人間の願望と神の意志を識別する者が本物の預言者である。希望的観測ではなく、しっかりと現状分析ができる者ということだ。
1994年のブカレスト覚書を破ったのはアメリカだった。1996年の第二期大統領選挙を控えたクリントン大統領は、東欧系住民の票を獲得するためにNATOの東方拡大を容認した。ワルシャワ条約機構を解体したロシアにとって、これは裏切りだった。2008年1月のウクライナでの世論調査では、国民の半数がNATO加盟に反対し、全体としては「中立」を望んでいた。それが突然変わったのは、2009年のオバマ政権下のバイデン副大統領によるウクライナでの演説だったと、名越健郎氏(拓殖大学)が指摘している。バイデン副大統領はウクライナを訪れて、「ウクライナがNATO加盟を選択するなら、米国は強く支持する」と伝えたという。この発言を境に、ウクライナの世論は一気にNATO加盟に傾いた。バイデン副大統領は「NATOがもたらす平和」を語る預言者だった。
2013年のマイダン革命の裏にバイデン副大統領たちの動きがあったことは、シカゴ大学のミアシャイマー氏など多くの証言がある。下斗米健郎氏(法政大学)によれば、マイダン革命にアメリカが関与していたことを、当時のオバマ大統領がCNNのインタビューで認めたという。追放されたヤヌコーヴィチ大統領は親露派だったが、選挙で選ばれた大統領だった。当時のバイデン副大統領とビクトリア・ヌーランドがウクライナ政変を画策した通話の録音記録が残っている。バイデン氏はウクライナの腐敗したオリガルヒに深く関与して利益を得ていた。プーチン大統領のアメリカへの不信と怒りがクリミア奪還を決意させ、「一方的に」併合した。
ソビエト連邦崩壊後の混乱で、アメリカは「資本主義の教師」としてロシアのオリガルヒを利用し、ロシア国内の資本を流出させたと、プーチン大統領は思っている。ビジネス感覚に鋭いトランプ大統領には、宿敵たちのハゲタカのようなビジネス行動が理解できる。どれも、ゼレンスキー大統領が就任する前のことだ。
ゼレンスキー大統領が「安全の保証が欲しい」というのは、究極的にはアメリカ軍の関与だろう。トランプ大統領だけでなくバイデン政権でも、これは最初から否定されてきた。NATO加盟も難しい。いまや失った領土の回復もまず無理だろう。それどころか、これ以上の戦争継続は、ウクライナを壊滅させるかもしれない。曖昧な資源協定で手を打つことで「保証」とするしかないところまで追い込まれているのが現実だ。それすらもトランプ政権の関与があってできることで、これを受け入れてなんとか停戦するしかない。確かに、もうカードを持っていないのだ。
ゼレンスキー政権は2019年に発足した。それまでのウクライナの政治的混乱には、バイデン氏とNED(全米民主主義基金)が関わっていることを、ゼレンスキー大統領が知らないわけはないだろう。現在、イーロン・マスクが解体に情熱を注いでいるUSAIDはNEDの資金源である。反米的政権の国家に介入して自国に有利な傀儡政権を作ろうと、「民主主義を広めるための支援」という形で反政府勢力に資金を支出していたのがUSAIDである。(これに関しては、遠藤誉氏の著書に詳しい。)就任時ならともかく、いまのゼレンスキー大統領は、この事態を招いた遠因にはアメリカのリードがあったことを理解しているはずだ。トランプ大統領は、前任者のバイデン大統領に同調してきたゼレンスキー大統領を信用していない。
停戦後に有志連合による監視部隊を派遣するという英仏のウクライナに対する「保証」は、欧州のウクライナへの関与が続くということで、これをロシアが受け入れなければ、停戦も遠のく。ゼレンスキー大統領が欧州を巻き込めば、第三次大戦に進む可能性もゼロではない。トランプ大統領が「ゼレンスキーは戦争を続けたいのだ」「彼は第三次大戦を引き起こす」というのは、ここで停戦しなければ、欧州対ロシアの冷戦の構図が維持されるからだ。
欧州諸国もウクライナに同情しているわけではない。彼ら自身が、ロシアが怖いのだ。民主主義も権威主義も関係ない。欧州の根強いロシアフォビアなのだろう。彼らは、欧州対ロシアの対立構図を維持して、アメリカを関与させたい。しかし、人口減のフェーズに入っているロシアは、ウクライナ戦争後に欧州に攻め入ることはない、とエマニュエル・トッドは確信している。まだ人口に余裕のある「いま」がウクライナ奪還の最後のチャンスと見て侵攻を決断したのだという。
欧州では「ウクライナは重要だが、最重要ではない」という本音も聞こえる。いざとなれば、みんな自国ファーストだ。停戦が実現しても、ウクライナが払った犠牲の大きさは取り戻せない。エレミヤの場合は「敵に投降する」ことが唯一の生き延びる道であった。彼らの時代と現代のウクライナのケースは違う。ただ、「希望的観測」に縋る結果は、現実の不利な妥協よりもずっと残酷な場合がある。ゼレンスキー大統領はエレミヤはなれなかった。死ぬのは若い兵士たちである。
ウクライナの領土回復を支持しないアメリカの態度は、日本人にとって「見たくない」現実だ。万一、尖閣諸島の優位性を維持できなくなったとき、「どうせ負けるのだから、そのまま手を打って終わりにしろ」と言われたくない。「北方領土は、もうロシアに実効支配されているのだから諦めろ」と言われたくない。ウクライナがクリミア半島や東部の州を失ったまま停戦するのは、中国やロシアに正当性を与えることになる。だから、尖閣諸島に日米安保条約第五条が適用されるかどうか、首脳会談の度にしつこく確認し、念を押す。けれども、それは「日本の施政下にあることを理解している」というアメリカの基本姿勢を確認しているだけで、アメリカが「守ってあげますよ」と言っているわけではない。それでも、いちいち確認を取るのは、「日本人が聞きたい預言」だからだ。
先月の日米首脳会談でも、報道各社は「日本人が見たいものを見せる」預言者のままだった。石破首相がトランプ大統領に虐められなかったと胸を撫で下ろし、貢物とお世辞の山を築いて「ナイスガイだ」とおだてられて、外務省のお膳立てがうまくいったと満足し、「順調な滑り出し」「まずは成功」などと国民を(多分自分たちも)安心させた。実は、脅す必要もないくらい軽く見られていただけだ。トランプ大統領が、同盟国であるはずの日本の首相に「隣国の中国に関して殆ど言及しなかった」ことが、日本にとって不穏なサインだということを示唆することもない。メディアは、今回も偽の預言者のままだった。
トランプ・ショーで、「同盟国がなんとかしてくれるだろう」という預言が当てにならないことがはっきりしたのだから、最悪の事態が襲う前に日本が自ら覚醒するしかない。
『旧約聖書』新共同訳
『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』遠藤誉著 /PHP新書 2022
「次男は月収500万円」バイデン父子がウクライナから破格報酬を引き出せたワケ 安倍政権の対ロシア外交を妨害も | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 名越健郎
橋本由美
〈お知らせ1〉
3/30日(日)に沖縄シンポジウムを開催!
戦後80年、日本が見て見ぬふりを続ける戦後の矛盾は、
沖縄の地に濃縮され、露出しています。
本誌編集委員が沖縄で「戦後の矛盾」、そして「対米独立の道」を徹底議論します。
皆様ぜひご参集ください!
会費:一般、3000円、塾生・サポーター:2000円
懇親会:17:00〜19:30(5000円)
登壇者:藤井聡(京都大学教授)、柴山桂太(京都大学准教授)、浜崎洋介(京都大学特定准教授)、川端祐一郎(京都大学准教授)、藤原昌樹(沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師)
https://the-criterion.jp/symposium/250330okinawa/
〈お知らせ2〉
2025年度(第7期)表現者塾の塾生募集を開始しました!
来年度も豪華なラインナップとなっております!
◯期間:2025年4月〜2026年3月(第7期)
◯毎月第2土曜日 17時から19時
◯場所:新宿駅から徒歩圏内
◯動画会員(ライブ配信、アーカイブ)も募集
多様で幅広い分野から講師を迎え、時に抽象度の高い議論を交わしながら、保守思想の根幹を探っていきます。
知識は不問、どなたでもご参加いただけます!
現代社会に生きるためのクライテリオン(規準)を探求する仲間になっていただければ幸いです。
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