5月22日、日本記者クラブにおいて『戦後80年を問う』というテーマで、ジェラルド・カーティス氏の講演があった。カーティス氏は、1940年生まれ、日本通の政治学者(コロンビア大学名誉教授)であり、大学院学生時代に高度成長期の日本の選挙戦を内部から実体験して執筆した『代議士の誕生』などの著書がある。1時間半の長い講演動画の中から2点取り上げてみたい。
https://www.youtube.com/watch?v=v2G2YXNX10U
第1点は、冒頭で、「戦後が間違いなく確実に終焉した日は、2025年1月20日、ドナルド・トランプが就任した日である」と述べて、日付まではっきりと明示したことである。これは、連続性を保ちながら徐々に消滅していく衰退現象ではなく、トランプによる意図的な「革命」だということを意味する。新政権がそれまでの民主党政権を否定する政策を執るであろうと、多くの識者が予想はしていたが、予想を遥かに超える「アメリカ史の否定」「アメリカ帝国の破壊」とまで考えた人は少ないだろう。
帝国の崩壊は、常に帝国内部の集団間の抗争や周辺地域勢力の力学的変化を伴うもので、次の安定状態に移行するまで長い混乱の時代が始まることを意味する。古代から、帝国の崩壊は外部からの攻撃ではなく、内部の腐敗によるものだった。外部の敵対勢力の攻撃があっても、それは内部の脆弱性が招くものであり、内部の腐敗と戦争は、たいていセットになっている。近代になってからは、ロシア革命や中国共産党革命が思い浮かぶだろう。
2024年のアメリカ大統領選挙戦の終盤で、カマラ・ハリス陣営の豪華な「民主党大会」を見ていたとき、ふと、フランス革命を思い出した。バスティーユを目指した民衆の騒ぎを、宮殿のバルコニーから眺めたマリー・アントワネットが「何の暴動かしら?」と問うのに、側近が「いいえ、暴動ではございません。革命でございます」と答える場面である。庶民の不満が爆発して、目の前に迫っている危機にも気づかないまま宮殿の舞踏会に興じる貴族たちが、ハリウッドのセレブたちをゲストに迎えた盛大なパーティーに集う民主党大会と重なったのである。参加者たちは、急激な破壊がすぐに始まるとは全く考えていなかっただろう。サン・キュロットを従えるトランプ大統領が自身の社会思想に邁進する姿は、ロベスピエールの独裁を髣髴とさせる。恐怖政治の先に待っていたのはテルミドールの反動だった。
トランプ政権は、戦後のアメリカが構築したシステムを全否定した。アメリカの経済圏を維持するための代償としての軍事負担に耐えられなくなって、同盟国は「フリーライダー」にしか見えなくなった。経済の生産性を高めて企業利益を最大化させた代償として白人貧困層を作り出したエリート層は、倒すべき「敵」になった。アメリカが自分で作ったゲームから「降りた」ことで、「戦後」は終わった。
関税爆弾から始まって、カナダを51番目の州にするとか、グリーンランドを購入するとか、アルカトラス島を監房として再利用するとか、どこまでが脅しでどこまでが本気なのか呆気に取られているうちに始まったDOGE(政府効率化省)や名門大学解体まで話が進むと、これは既視感のある光景になった。毛沢東の「文化大革命」である。都市のエリートや大学の学者が三角帽を被せられて紅衛兵に囲まれ「自己批判」させられ、歓声の中で地方へ下放される場面が蘇る。トランプ政権の官僚機構の解体や名門大学の知的エリートへの攻撃は、戦後、徐々に進行したメリトクラシーの完成形である「学歴エリートによる寡頭政治」への反撃であり、「高慢で鼻持ちならなくなった」リベラル文化を憎悪する民衆の「文化大革命」である。学歴のない低所得のMAGA派(Make America Great Again)の岩盤支持者たちは、紅衛兵である。
鄧小平との抗争で、習近平の父親・習仲勲が失脚し、若い習近平自身も下放されて不便な農村生活を強いられた。彼には、トランプ大統領の実行していることが「文化大革命」だと、すぐに理解できただろう。そして、この混乱の結果が惨憺たる「国家の長期停滞」だということも、身をもって知っている。
トランプ大統領は「三権分立を弱めようとしている」と、ジェラルド・カーティス氏は言う。アメリカ建国のときに考え抜かれたシステムが三権分立の徹底で、大統領の権力は絶大だが、議会や司法にも大きな権限を与えている。選挙のシステムも、各州の自治を認めて、大統領選挙は相当にややこしい。この煩雑な仕組みが、どこかひとつの機関の暴走を阻むようにできているのである。カーティス氏は、トランプ大統領は「革命家」であって、三権分立を弱めて「大統領個人に権力を集中させる」ように法改正を進めているという。
トランプ政権やMAGA派たちの「エリート憎悪」の強烈さには驚くが、ソ連崩壊後のアメリカが「調子に乗っていた」ことも事実である。グローバル化が推進され、企業目的が「利潤を最大化すること」になり、労働力のオフショアリングが進められ、金利差や株価変動による投機的なマネーゲームに走って、設備投資や労働者への分配は軽視され、高配当を求める株主だけが潤うような世界にしてしまった。生産現場の移転によって労働組合は消滅し、低賃金で働く不法移民に職を奪われた低学歴の労働者層は、自分たちの「犠牲」の上に繫栄する高学歴エリートたちをどれほど激しく恨んでいたのか、それが顕在化したのが2024年の大統領選挙だった。
繁栄に酔ったエリートたちは、ますます「調子に乗って」低学歴の貧困層を軽蔑し、リベラルな価値観を押し付けた。貧困層は環境問題を考慮する余裕などない。高額負担になる再生エネルギーよりも、できれば廉価な化石燃料を使いたい。自分たちの仕事を奪う移民に不満を言えば、レイシストと呼ばれ蔑まれる。極め付きは、トランスジェンダーの平等の強要だろう。卒業までに何千万円もの高額な学費がかかる名門大学に、貧困層の手が届くわけがない。貧困層に進学の道は閉ざされ、エリートがエリートを再生産する社会になって、労働者層に対するエリートたちの蔑視に「頭に来た」人々が、「断頭台」を使えるものなら使いかねないほどの「怨念」を貯め込んでいたことに、リベラル派のエリートたちは鈍感だった。これは、「文化大革命」そのものである。新しい政権はMAGA派の人々の復讐心に応えることで、大統領自身の民主党やバイデン前大統領への復讐心をも満たしているのだろう。
第2点は、「戦後が終わって、日本はどのようにチャンスを生かすのか」ということである。日本人自身も「アメリカ支配の戦後の終焉」が、日本を取り戻す「千載一遇のチャンス」だと思っている。この80年の間、日本国内で「戦後は終わった」「まだ戦後が続いている」と、繰り返し論じられてきたが、いま起こっているのは、帝国の一部としての日本一国の「独立問題」ではなく、帝国そのものの崩壊による世界の戦後体制の終焉だということである。軍備でも経済でも、日本が「出る杭」になりそうだと、必ず「叩いて」引っ込めたのが、今までのアメリカである。カーティス氏は、アメリカの要求が理不尽なものでも、歴代の首相が文句を言わなかった「現場」を何度も見ている。そうやって80年間、隷属に慣れ切った日本が、突然解放されたのだ。
「勝ち取った独立」ではなく、「空から降って来た独立」だということに一抹の不安がある。日本をどのような国にしたいのかという「かたち」が国民に提示されないまま、帝国が解体した。革命はカタストロフである。臨界値に達して、それまでの連続的変化が突然断ち切られたときに起こる破壊である。今までの思考法は通じない。日本と同様にアメリカ帝国に依存してきた西ヨーロッパも大騒ぎになっている。西ヨーロッパは各国が互いに相談できるが、日本は一国で独立を考えなくてはならない。
ジェラルド・カーティス氏は、日本人は、tactics戦術は上手いがstrategy戦略がないと言う。これも、昔から散々言われてきたことだ。国の「かたち」が見えなければ、戦略は立てられない。司会者が「日本に、戦略を持つ若手後継者はいるか?」とカーティス氏に尋ねたとき、「いないね」とあっさり言われてしまった。誰が見てもそのとおりなのだから仕方ない。ただの「政策通」では駄目なのだ。国政選挙で「国家観」を語る候補者がいるだろうか。国家観がなければ、戦略など立てられない。戦略がなければ、変化に迅速に対処できない。戦略のない戦術は「その場しのぎ」になってしまう。
トランプ政権の名門大学や研究機関の予算削減や助成金の廃止が、就任して間もなく始まったのは、下野していた4年間に着々と準備されていたことなのだろう。とくに「ハーバード大学解体」ともいえる総攻撃は、「アメリカのソフトパワーの最強の拠点の破壊」を目指しているとしか思えない。ハーバード大学はリベラルの本拠地であり「知の殿堂」「世界のアカデミー」として、世界中から留学生を集めている。優秀な学生と高額な学費の象徴は、トランプ大統領とMAGA派にとって最も不快な存在であり、「文化大革命」の標的になった。
研究機関の予算、名門リサーチ・ユニバーシティへの助成金の打ち切り、留学生の追放は「アメリカの崩壊」を加速させるだけである。追放されて行き場のなくなった留学生獲得に迅速に動いたのが中国である。頭脳戦の時代になって、ハーバード大学の留学生は「金の卵」である。アメリカの研究機関では、もともと移民や留学生の頭脳の貢献が大きい。第二次大戦後、自由な研究環境を求めて世界中から集まって来た研究者や学生がアメリカに圧倒的な優位性をもたらした。トランプ政権の「文化大革命」で、知的分野が衰退すれば、喜ぶのは中国である。中国の動きは速かった。国家戦略がなければ、すぐに動けない。ヨーロッパも早期に動いた。ようやく日本の大学も動き出したが、この時間差が「戦略の差」である。良し悪しは別にして、断固とした権威主義としての「国家観」のある中国やロシアには「戦略」がある。
自由主義の伝統的な国家としての国家観は、どのようにしたら得られるのか。
「どの国においても、立派に形成された精神ならば喜んで好きになりたくなるような習俗の体系がなければなりません。我々に国を愛させるよう仕向けるためには、国自体が愛すべきものたらねばなりません。」(『フランス革命の省察』エドマンド・バーク)
明治維新の緊迫した世界情勢を生き残るために、明治政府が行ったことを思い出すべきだろう。破格の予算を組んで、当時の世界最高の知性を獲得しようと必死だった。高給と好待遇で御雇い外国人を招聘し、優秀な若者を世界の最高学府に留学させた。明治政府には明確な「国家観」があり、危機が迫って時間的余裕のない国際情勢下で推進した短期決戦の投資だった。
習近平指導部による中国も戦略的に知識層の構築を進め、恫喝やスパイ行為さえも厭わず、科学振興策を実践してきた。その結果、月面探査でも宇宙開発でも生成A I でも、いまや先頭を走っている。21世紀が頭脳戦だということを認識し、アメリカより優位に立とうと戦略を練った成果である。当のアメリカが、自ら頭脳解体に勤しんでいるのだから、中国は笑いが止まらないだろう。
(但し、トランプ大統領の方針を全否定できない状況もある。中国人留学生は、本人の意思に拘らず、中国政府の管理下にある。全員が端末を持つ時代では、端末の情報はすべて中国共産党が共有していて、個人のプライバシーはない。日本でも、大学の研究室や実験室内がスマートフォンの「撮影禁止」になっている大学は多い。悪意のない友人同士の記念撮影であっても、画面に映っている些細なモノから情報が漏洩する危険があるのだ。研究室や実験室の「鍵」の管理は、留学生には任せないことも徹底しなければならない。留学生の獲得は「いいこと」であるが、善意の留学生であっても、インテリジェンスの対象になっている非情さを忘れてはいけない。)
国家は国民が造る。国民の質が国家建設を左右する。国の経済も国を護るのも国民である。他国に経済援助を頼り、他国に護ってもらうようでは「国家」ではない。最終的に誰も護ってくれないのが国際社会だということは、ウクライナ戦争ではっきりと思い知らされたはずである。
結局は、人材の有無なのだ。明治政府も中国も、まず、人材育成から手を付けた。いま、政界に「国家観を持った後継者」がいないのは、日本が人材育成を怠ってきた証拠である。国民も「損」だの「狡い」だの「お得」だのと、自分のことばかりに目が行って、国土や農地や街づくりやインフラを軽視し、教育を就職や肩書の手段にしか考えなくなっている。
いま、本気で学ぶ意欲のある国民が求められている。人気取りの教育予算を付けるとか、勉強もしないのに結果の平等の求めに応じる制度ではなく、「適性や能力」に応じた進路の提供や、「履修主義」ではなく「修得主義」の教育を考えた方がいい。とくに、大学の合理化には慎重さが必要で、研究予算や研究に関わる人件費は増額すべきである。
『戦後80年を問う』ジェラルド・カーティス講演 (上記URL参照)
『米中新産業WAR』遠藤誉著 /ビジネス社 2025
『フランス革命の省察』エドマンド・バーク著 半澤孝麿訳 /みすず書房 1978
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