少し前のことになりますが、日本思想史研究者の西村玲さんの自殺(2016年、享年43歳)を伝える記事(『朝日新聞』4月18日付)が話題になりました。
https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html
https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html
日本思想史研究で知られる東北大学で博士号を取り、その後に日本学術振興会特別研究員に選ばれ、数々の業績を上げた西村さんは(日本学術振興会賞と日本学士院学術奨励賞を受賞)、しかし、応募した20以上の大学で常勤ポストに就けなかったと言います。
ただ、調べてみると、それだけが「自殺」の原因ではなかったようですが――その点、『朝日』の記事は誤解を与えます――、しかし、それでも、抜群の業績を誇る日本思想史研究者が、職に就けなかったという事実に変わりはありません。
しかし、では、なぜそんなことが起こってしまったのか。
その背景には、90年代後半から始まった平成の「大学改革」があります。大学院設置の容易化は、既に80年代から始まっていましたが、その後、より多くの人材の供給を求める産業界(財界)からの声を受けて、国は、〈大学改革=大学院重点化〉の名の下、90年代後半から大量の博士号取得者を生み出していくことになるのです。
ただ、その一方で、国は、それらの博士たちの受け皿については真剣に考えてはこなかった。すでに、90年代初頭には、民間の研究者需要の拡大傾向は縮小しており、供給過剰の兆候を示しはじめていたにもかかわらず、政府は、2004年の国立大学の「独立行政法人化」によって、大学への運営費交付金を減らし続けてきたのです(この行き当たりばったりの政策の背景には財務省の「緊縮」がありますが、それによって、大学人件費、基礎的な教育研究費、施設管理費などを賄う運営費交付金は、毎年一律1%ずつ削減されてきたのです)。
もちろん、その一方で、この「大学改革」で競争的資金は増額されました。が、その増額分は、一部の「役立つ研究」――基礎研究ではなく、理工学系の応用研究――に流れるだけで、全体として見れば、理系研究者も困窮していることに変わりはありません。
なるほど、文科省は「ポストドクター等一万人支援計画」を打ち出して、増えた博士号取得者(特に理系)を何とか吸収しようとはしました。が、設けられたのは全て雇用期限(3年~5年)付きの不安定な非正規ポストでしかなかった。しかも、専任ポストが削減されたことで、ポスドク研究者は更に追い込まれ、さらに専任教員一人当たりの負担も増えることで(講義の増加、研究以外の対役所仕事)、研究自体が思うように捗らないという、一体誰が得をしているのかが分からない不条理な事態を招来してしまっているのです。
ちなみに、私が知る「文学研究」に関して言えば、「ポスドク研究員」の地位さえないのが当たり前で(たとえば、「何々大学特別研究員」と称してはいても、肩書は名ばかりで、実際は「無給」です)、優秀な西村さんでさえ、1コマ月3万程度の任期付き非常勤ポストやアルバイトを渡り歩きながら、どうにか食べていたというのが実情です。
しかし、この「大学改革」において最大の問題は、実は、直接には「お金」の問題ではなくて、その「お金の流れ」によって、大学人の「研究態度」までが変わってしまい、それが引いては国家的衰亡――つまり、私たちの生活的貧困――を招いてしまうという悪循環サイクルにこそあるのです(これぞ、大学―研究―国家のデフレスパイラルです)。
たとえば、「競争的資金」です。それは先ほど言ったように、国が「役に立つ」と考えた研究に「選択と集中」で投資する仕組みですが、そうすると逆に、「役に立たない基礎研究」は次第に顧みられなくなっていく。すると、若手研究者は、その身分の不安定さもあって、どうしても「短期的な成果」(産業的成果)の出やすい研究に向かってしまい、十数年単位の長期的な戦略が必要な研究、あるいは、ただひたすら「真理」を極めようとする研究(宇宙物理学、量子力学、古生物学etc…)には向かい難くなっていきます。
しかし、そうなると、もう大学は荒廃していくしかありません。
懸念されるのは、まず一つに、「優秀な若手人材の疲弊と脱落」です。多くの若手研究者が、3~5年先の生活設計の目途が立たない状況に疲れはて、途中で研究を諦めていかざるを得ない。すると、そうした先輩の姿を見た、より若い優秀な学生たちが、研究の道に進もうなどとは思わなくなってしまうのです(それは、文系・理系を問いません)。
もう一つは、「情熱の涸渇」です。国の物差しで測られた規準以外の研究ができないのなら、誰も「好きな研究」などできないということになる。しかし、誰が「好きでない研究」に情熱を燃やせるでしょうか。誰が「情熱を燃やせない研究」で本当の「成果」を出せるでしょうか。ノーベル賞級の研究者が、はじめから、打算的に専攻研究を選んだと言う話を、私は寡聞にして知りません。本物の研究者であればあるほど、彼らは、「成果」が出ようと出まいと、ただ、そこにある「真理」を究めるために研究に向かうのです。
そして、最後に、「モラルの低下」です。短期の「成果」が求められれば求められるほど、そこにかかるプレッシャーは大きくなっていきます。すると、「成果」を焦った一部の教授が、立場の弱い大学院生やポスドク研究者を過剰に使役するということが起こってくるのと同時に(それが原因で自殺したという理系研究者の報道もありました)、「STAP細胞事件」でも分かるように、次第に研究不正も増えていくことになります。
実際、これらのことは、「数字」を見れば一目瞭然です。この国の発表論文の件数は、2006年頃から、先進諸国では〝唯一″減少しはじめており(今や、完全にアメリカと中国に差をつけられています)、修士から博士課程への進学率も下がり続けており、何より、日本の博士号取得者の数が、なんと、中国、韓国も含めた先進諸国のなかで〝唯一″減少しているのです(科学技術、学術政策研究所『科学技術指標2017』参照)。
おそらく、このまま行けば、2、 30年後には、日本の大学は完全に崩壊することでしょう。しかし、ということは、その時には日本の教育・研究環境も壊滅しているということであり、「科学技術立国」などとういう話は、はるか遠い昔の夢物語となっているはずです。いや、しかし、そうなればそうなったで、おそらくその時も政府は、「自助努力」が足りないと言って、大学の「自己責任」を問うのでしょうが(笑うに笑えない話です…)。
では、どうすればいいのか。実は、答えは簡単すぎるほどに簡単なのです。まず「緊縮」をやめ、「選択と集中」をやめ、研究者の地位を安定させればいいのです。もちろん、それにはバランス感覚が必要ですが、それだけで、分厚い伝統に支えられた、この国の「学問好きの心」は、また甦ってくるはずなのです。こんな文芸批評家でも分かることが、政治家や官僚に分からないはずがないのですが……、逆に言えば、こんな簡単なことさえ、分からなくなってしまったのが、平成の30年間の歴史だったのかもしれません。
これが、アメリカに右に倣えで「改革」熱にうかされてきた日本の現実です。
※ちなみに、「大学改革」の悲惨な現状については、(1)『表現者クライテリオン』(2018年11月号)の特集「ネオリベ国家ニッポン」に収録した、藤井聡編集長による京都大学の山極総長に対するインタヴィューを参照していただくのが一番いいと思いますが、その他にも、(2)室井尚氏『文系学部解体』(角川新書)や、(3)山口裕之氏『「大学改革」という病』(明石書房)や、(4)吉見俊哉氏『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)、また、(5)今月に出たばかりの、梶田隆章氏(東京大学宇宙線研究所所長)の「このままなら『科学技術立国』は崩壊する」(『文藝春秋』2019年6月号)などを参照していただければ、その悲惨さについてより納得していただけるものと思います。
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コメント
悲しい事件は後を絶ちませんが、今回の記事での優れた研究者が自ら命を絶たれた話には、胸がふさがる思いです。知を愛してそれに情熱を注ぎ、立派な仕事を成し遂げたとしても、必ずしも報われるわけではないのが学問や芸術の世界の常ではありますが、それにしたってこれはあんまりでしょう。
政府もほんとうにいい加減ですね!自分たちが人の人生を左右するとても大切な仕事に携わっている自覚があるのでしょうか。政治家にとっていちばん大切なことは、自分たちが人の生き死にや、人生の希望や絶望に深く関わっているという想像力です。ですが、どうもこの辺が疑わしいのです。どこを向いて仕事をしてるのでしょうか。
どうもこの世間の効率重視、成果主義、実用性重視が気に入りません。目先の利益に目を奪われて、足元が疎かになっていることに気づいていない。基礎がなければ応用もないのに、基礎がまるで揺るがない地盤かなにかと勘違いして、すでに崩れだしていることもわからない。まるで親の遺産がいつまでもなくならないと高を括って、放蕩を続けるどら息子のようです。
効率だの実用性だのと、さも自分たちが高尚な事業でもしているかのように話していても、やっていることはただの銭儲け。どこを向いても銭、銭、銭。つまらない国になったものです。
大学院の卒業生が習得した知識を活かせずに、辛い思いや生活に苦しんでいることは知っていましたが、こうして改めて取り上げられるとやりきれない気持ちになります。西村玲さんのご冥福をお祈りします。
大学繋がりで話ますと、私の地元にある大学の理事長として防衛大学校長から転身してきた輝かしい経歴の持ち主である既得権益者が昨年までおりました。そしてある時より彼は、その地方新聞に週替わりで寄稿してましたが、その内容は驚くべき事に、どうでもいいスカスカでペラペラしたもので、その都度苦情を伝えておりました。ですから、こうした方と自裁なされた方との格差の問題に憤りを覚えると同時に、もしかすると、これらも年次要望書で仕向けられているのかもしれません。ついでに我が国の地方政党も残念ながらスカスカでペラペラを如実に示しておりもはや正気の沙汰ではありませんし、その有権者も然りです。その総本山こそ貧官汚吏の巣窟である東大です。また私の地元の首長も東大に関連し、それが他国籍であるのに首長が重用している事に心拍数は上がりまくりです。また奴は先日TBSのサンモニで天皇選出を言い出した愚か者でもあります。少々話が過ぎましたかこれも既得権益の実態になると思いましたのでお伝えしました。本当に困ったことです。