先週土曜日に、福岡で『表現者クライテリオン』シンポジウムを開催致しました。参加者多数で大いに盛り上がり、なんといっても懇親会の参加率が過去のシンポジウム中でも最大でした。九州の土地柄なんでしょうか、読者の方々との距離の近さが特に印象に残る1日となりました。参加者の皆様、ありがとうございました。
シンポジウムの冒頭で、話題提供として施光恒さんにお話しいただいたのですが、「九州には2つのアイデンティティがある」と仰っていてなるほどと思っいました。
まず九州は歴史的に、中国大陸やヨーロッパとの貿易を担う玄関口としての役割を果たしていて、大いに開明的な文化を築き上げてきました。外来文明を恐れることなく積極的に吸収していく進取の気風が、九州という地域にはいつも漲っていたというわけです。
その一方で九州には、「尚武」の精神や「独立不羈」の気概を重んじる伝統があって、ある意味で硬派な文化を形成している面もあります。たとえば我々が「九州男児」と聞いて想像するのは、些事にこだわらず豪胆で、度胸があって義理堅いといった男性像です。また、防人、元寇、薩英戦争と対外的な危機や緊張の最前線に立ってきたのが九州でもあります。
施さんが強調されたのは、グローバル化が後退しつつあり、またアメリカの言うことを聞いてさえいれば安泰という時代も終わった今、九州が持っている後者のアイデンティティがもっと見直されるべきで、これが「令和の日本」を創っていく上で重要な礎になるのではないか、ということでした。
登壇している編集委員一同も大いに同感で、「ひたすら空気に流されてきたのが戦後の日本であった」、「そのせいで新自由主義的改革をはじめとする余計な政策が次から次へと実行されてきた」、「九州的な独立不羈の精神を国家全体の指針とするには何が必要なのか」といったことを様々な切り口で論ずる、充実した2時間でした。
翌日曜日には鹿児島県の知覧に移動し、特攻記念館を見学した後、近所の会議室で「対米従属文学論」の収録を行いました。ご存知と思いますが、これは浜崎洋介さんの企画で『表現者クライテリオン』に連載している座談会シリーズです。施さんにも同席いただいた今回取り上げたのは、吉田満の『戦艦大和ノ最期』と島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』。両方とも特攻作戦を扱った小説で、著者はまさにその当事者でした。
私は特攻に関して、「無謀」だの「拙劣」だのと作戦の出来を論じるのはあまり好きではなく、むしろあの兵士たちが見せた比類のない闘志や覚悟をこそ記憶すべきだと思うのですが、それにしても戦艦大和の最後の出撃を典型として、ここぞという時に「空気に流される」ようにして惨事を招いてしまうのが、日本人の悪癖の一つであるとは言えます。戦争のような烈しさはないものの、平成の30年間に我が国が進めてきた改革の数々は、まさに「自滅」の様相を色濃く帯びたものです。
ただ、たとえば『戦艦大和ノ最期』を読んでも分かるのですが、凄惨な結末の影に隠れて忘れられているだけで、怜悧な頭脳と不羈の気概をもって、事態を精確に把握し自由な議論を続けた日本人も少なからずことは間違いないのです。歴史にタラレバは無いと言うものの、ちょっとした契機で状況が大きく変わっていた可能性もあって、歴史の明暗は案外紙一重の差で決しているような気がして仕方ありません。
そんなことを2日間にわたって(初日には読者の皆さんも交えて)語り合い、『表現者クライテリオン』が時流に媚びない自由闊達な討論の場であり続けることが、いかに重要であるかを再認識した九州行きでした。
いま発売されている『表現者クライテリオン』7月号は、まさに日本が独立不羈の精神を取り戻すための方途を探る、「外交」特集です。
そして今回知覧で収録した特攻文学論は、8月発売の『表現者クライテリオン』に掲載されます。また、日本各地でのシンポジウム開催は今後も継続していく予定ですので、いずれもご期待ください。
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コメント
つぼた氏へ
>大げさに言えば、生き残ったのはバカばかり
これはいくらなんでもひどいでしょう。
大和の乗員が亡くなったことを憤るのはいいとして、生き残った人をバカ呼ばわりとは。
傲慢にすぎます。
先月のシンポジウムでは、先ず、啓文社の漆原さんの誠実な受付から始まり、司会の先生の巧みさから、編集委員の先生方の広範囲に渡る洞察力と愛国心満載の情熱、老若男女問わずバランスの取れた質疑応答は、見事なお手前でした。そして参加された全ての皆様方、お疲れさまでした。またその後の親睦会でも、参加された皆様との交流を通じまして、先生方の本気度など、多岐にわたる情報収集とその発信を行へました事は、参考なると同時に参加した目的も半ば達成できました。しかし決して満足いくには程遠く反省しきりで、次の機会に備える学習だけは実行しておきます。それから戦艦大和ノ最期の吉田満に、昭和を代表する小林秀雄が、正直な経験談も出来ぬ人には文化の批評も不可能である、と痛烈な論評をしておりました。さすが小林の視線の確かさは秀逸ものだと改めて思いました。
あくまで個人的意見ですが、
特攻作戦について、発案者の大西瀧治郎中将の責任がもっと問われてもいいのではないかと思います。
特攻作戦は日本人の伝統的な戦法で、作戦には常に特攻的要素があったと思います。
特に大西中将の責任ではないという意見もありますが、軍が組織的作戦として行えば、犠牲が大きくなることは想像できると思います。
特攻作戦について検証する必要があると思います。
戦艦大和の特攻作戦についても、なんでこんな優秀な人達を大勢乗せねばならなかったのか、理解ができません。
ある意味、戦後の口封じの思いもあったのではないかと勘繰ってしまいます。
結局、優秀な人材を特攻作戦によって失ってしまい、大げさに言えば、生き残ったのはバカばかりであれば、今の日本がバカなのも無理からぬことです。
人間をもっと有効に使う思想を日本に根付かせるためにも、特攻作戦の検証をして頂きたいところです。