【白川俊介】人は「移動」を好むのか?

白川俊介

白川俊介 (関西学院大学准教授)

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撮影:白川俊介

先日、なにげなく英紙The Guardianをみていて、大変興味深い記事に出会いました。

‘1% of English residents take one-fifth of overseas flights, survey shows’ (https://www.theguardian.com/environment/2019/sep/25/1-of-english-residents-take-one-fifth-of-overseas-flights-survey-shows)

「イギリスの人々のうちの1%が、イギリスにおける国際線の5分の1を利用していたということが運輸省の調査で判明した」、というような見出しで始まる、私にとっては衝撃的な記事でした。

さらに読み進めて行くと、次のようにも書いてあります。

たとえば、「イギリスの人々のうちの10%が、2018年におけるイギリスの国際線の半分以上を利用していた」ということが明らかになった。

あるいは、「昨年は、イギリスの人口の48%がただの一度も国際線を利用していない」ということも明らかになった。

この記事の主眼は、気候変動の問題に鑑みて、航空機の排出ガス規制との関連で、いわば「航空機利用税」のようなものを徴収することの是非を問うことにあり、各人は1年のうち1回、非課税で飛行機に乗る権利を有する一方で、1年のうち何度も飛行機に乗る人に対して、搭乗回数に応じて課税する(‘frequent flyer levy’)のはそれなりに理に適っているのではないか、といったことが書かれています。

ただ、こうした航空機利用に対する課税の是非はひとまず措くとして、上記の運輸省の調査結果に私はとても驚きました。

漠然としたイメージですが、ヨーロッパの国々は地理的に近接しているので、人々は国境を越えて積極的に移動しているのだろうと思っていました。それはイギリスの人々も然りであろうというのは、たとえばヒースロー空港の人の多さからも何となく思っていました。

しかし、要するに「国際線は、ごく一部だけが繰り返し利用する一方で、半数近くの人は全く利用しない」という調査結果によって、私のそうしたイメージは覆されました(もちろん、これはイギリスの調査であって、大陸ヨーロッパの国々ではまた違った結果になるのかもしれませんが)。

ここから私は次の2つのことを思いました。

(1)国境を越えられるごく一部の人と、そうではない大半の人とのあいだにかなりの格差が存在するのではないか。

(2)グローバル化などと言ってはいるが、実のところ大半の人はそんなに移動しないのではないか。

まず、(1)については、ビジネスであれ、観光・レジャーであれ、国際線を利用するのは少なくとも国内での移動よりもコストがかかるように思います。

OECDのデータを見るかぎりですが、イギリスの平均年収は日本円にして400万円くらいであり、最近はやや横ばいのようですが、基本的にはここ20年くらいは上昇傾向にありました。ただし、同時にインフレも進行しているようなので、人々は、給与が上がっているのに比べて、生活が豊かになっているという実感をさほど持っていないのではないかと思われます。

ですので、バブル期と比べると貧しくなり、海外旅行に出かける日本人が減少しているように、イギリスの人々も「気軽に海外旅行に」というわけにはいかなくなっているのではないでしょうか。他方で、海外に行ける人は同じ人が何度も行っているということですから、海外旅行できる豊かな人と、そうではない貧しい人というように二極化しているのではないでしょうか(上述した航空機利用に対する課税が妥当である根拠の1つも、この課税が実質的にある程度の高所得者に対する課税にしかならないというところにあるようです)。

ただし、そうはいっても、英国から国外に、少なくとも他の西欧諸国に移動するのは、たとえば日本からアメリカやヨーロッパに出かけるよりもはるかにコストは低いわけです。

たとえば、私が今いるエディンバラから、オランダのアムステルダムまで1時間20分、フランスのパリまで1時間50分、ドイツのフランクフルトまで2時間30分、スペインのマドリードやバルセロナまで3時間です。これは日本の感覚だと国内移動です。

航空券も、LCCを利用すれば、下手をすれば往復15000円程度で購入できることもあります。日本からヨーロッパに移動するのとは比べ物にならないくらい安いのです。

にもかかわらず、調査によると、半数近くの人々は「国際線を利用していない」のです。とういうことは、「国外に行きたくとも経済的な理由から行けない」のではなくて、そもそも「国外に行く必要がない」とか「別に国外に行きたい思っていない」のではないかと思うわけです。

ここから、(2)グローバル化などと言ってはいるが、実のところ大半の人はそんなに移動しないのではないか、と思われるのです。

ご存知のように、EU加盟国の多くはシェンゲン協定を結んでおり、シェンゲン圏内であれば、パスポートコントロールなしに、どこでも自由に移動できます。もちろん、イギリスはシェンゲン圏内ではないので、そういう意味では自由移動の敷居は高いほうではありますが、それでも、エディンバラには本当に多種多様な人々が暮らしています。街では英語以外の言葉を聞く機会が非常に多いです。今日、とあるお店で昼食ととった際に話をした店員さんも、「チェコからエディンバラにやってきて1年半になる」と言っていました。

とはいえ、では人々がひっきりなしに国境を越えて出入りしているのかと言えば、実のところ、そうでもないのではないでしょうか。

移動しているのは、一部の観光客か、仕事の関係上移動せざるをえない人々か、あるいは、その他のやむにやまれぬ理由から移動する人々なのであって、大方の人々には、移動するそこまでのインセンティブがないのではないでしょうか。

私自身も、仮に明日からパスポートなしにどこでも好きなところに行けますということになったとしても、だからといって毎週末どこかに旅行したりはしないと思いますし、ましてや、自分が今生活を営んでいる社会によほどの問題がないかぎりは、そこから別の社会に移り住もうとは思わないでしょう。今いる社会に根づいて落ちついて暮らすことを一番に考えるかなと思います。

ここからやや話を広げると、人にとって「移動する」とか「移動できる」ということがそこまで重要なのか、私はかなり疑問に思っています。

人は、実のところそこまで移動を志向しないのではないか。

もしこのことが正しいとすれば、現代世界の方向性はその真逆を行っているように思います。

というのも、グローバル化を推し進め、ヒト・モノ・カネがこれまで以上に自由に移動できるように諸種の規制を取り払おうとしているからです。言うまでもなく、「国境線」というのもそうした規制の一つです。

人々が自由闊達に行き交い、国境を越えた往来を繰り返しながら混ざり合って暮らす社会というのは何となく良い社会のようなイメージを持つと思うのですが、はたして本当にそうなのか、というところをぜひ考えてもらいたいと思います。

少なくとも「移動すること/移動できること」は善であり進歩であり、「移動しないこと/移動できないこと」は悪であり停滞であるという「謎の色眼鏡」はいったん外されるべきではないかなと思います。

イギリスではブレグジットの期限が今月末に迫ってきました。ウェストミンスターは相変わらず紛糾していますし、イギリス各地では離脱に賛成/反対にかかわらず、デモが行われています。いったいどうなるのでしょうか。この件については、また時機をみて書きたいと思います。

それではこのあたりで。

Chi mi a-rithist thu!

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コメント

  1. shogo hirai より:

    つい最近まで人気だったグローバリゼーションは、一部のグローバルエリートたちの産物であって、一般の人たちの生活から紡ぎだされた思想でない旨の研究はデビット・ハーベイが『コスモポリタニズム』なんかで書いてますね。Frequent Travelersって呼んでた気がします。

    ナショナリズムとコスモポリタニズムを両立させるにはこういった、大多数の人々、頻繁に旅行しないし、平均年収よりちょっと下の人たちの考えや意見を、グローバリゼーションの中に組み込めるかが重要になってきますね。

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