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【川端祐一郎】漢文訓読は単なる技術ではない

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教) 

先週、大学のイベント準備などで忙しくメルマガを投稿しそびれたので、今書いています。

数日前に、とあるロック・ミュージシャンがネット上で、

「漢文の授業ってまだあるの?あれって本当意味がないと思うんだけど、なぜいまだにあるんだろう。普通に中国語で読める漢文を教えてほしかった。レ点とか一二点とか使って無理に日本語で訓読できるようにすることにどれだけ意味があるんだろう。受験や試験のための科目な印象。前時代的に感じる」

と発言したのが話題になっていました。

https://www.j-cast.com/2019/10/06369372.html?p=all
https://twitter.com/YojiNoda1/status/1180520488784691200

彼は「古文は俺もあっていいと思う」とも言っているので、単に実用主義的に古典教育や教養の価値を否定しているわけでもなく、恐らく本当に、漢文訓読が日本語の中で持っている役割が分からなかったのだと見えます。

少し古い日本語の文章を読もうとすると、現実的に漢文の知識が皆無では厳しいということは、経験のある人にはよく分かると思います。私も昔、仕事上の調べ物で明治時代の公文書を読んでいたら、時代を遡るほど純粋な漢文に近づいていくので難儀しました。比較的新しいものでも、漢文の書き下し文がベースになっているので、漢文訓読の言い回しに慣れていないと意味は取りづらい。

しかし「読める、読めない」という技術的な問題よりも私が大事だと思うのは、漢文訓読体というものが、日本語の表現スタイルの一種として独自の地位を築いているのだということです。当初は中国語を無理やり日本語化して読むための「技術」だったのかも知れませんが、長い歴史の中でそれは、むしろ日本語の文体のバリエーションの中に取り込まれたのだと考えたほうが良いでしょう。

(なお、私がここで「漢文訓読体」とか「漢文訓読調」とか言うのは広い意味のもので、純粋な漢文の書き下し文というよりも、そのリズムや言い回しが取り込まれた「和漢混交文」がほとんどであるとご理解ください。)

私も古い日本語を自在に読みこなせるわけではありませんし、読んだ経験も少ないのですが、それでも「漢文訓読体」が日本語の文体の一つとして独特の表現力を持っているのだということは、折に触れて実感します。たとえば、『表現者クライテリオン』7月号の対米従属文学座談会で扱った吉田満の『戦艦大和ノ最期』は、漢文訓読体ならではの「静かな迫力」とでも言うべきものを湛えた小説なのですが、これは「文体」というものの持っている不思議な力が示された見事な例だと思います。

漢文は長らく、日本のエリート層における「公的な言葉」としての地位を占めてきました。政治や学問の世界における公式的な書物の多くが、土着のやまとことばではなく、漢文で書かれてきたわけですね。文学においても、短歌の多くや源氏物語のような作品はやまとことばで書かれていますが、平家物語や太平記などは漢文訓読調です。近代に入っても、例えば福沢諭吉の文章は言文一致に近づいてはいますが、それでも彼のあの軽快な文体が、漢文訓読に由来する切れのある語彙や言い回しによっている面は大きいと思います。

西部邁先生は『中江兆民――百年の誤解』を出版した頃、晩年の兆民の文体に触れて、老夫婦の間における感情のやりとりを描写するには、漢文崩しの文体がじつによく合っているのだと言っていました。漢文調の文章は、日本語の空間の中では公的な表現の領域で用いられてきたものなので、私的な感情が過剰に滲み出ることがなく、老成した男女の穏やかで揺らぎの少ない心境を正確に表現できるのだというわけです。

こういう話を文学に疎い私のような人間が語っても説得力は乏しいのでしょうが、私がこのことに触れておきたいと思ったのは、表現の「内容」(何を表現するか)と「形式」(どのように表現するか)は安易に分断できないのだということが、よく見落とされているからです。冒頭のミュージシャンが言っているのも、中国の古典の「内容」を知ることが大事なのだから、漢文訓読という妙な「形式」は不要だというようなことですね。

漢文訓読の授業は、それが単に中国語の古典を読むための技術に過ぎないとしたら、確かに役に立つ範囲は狭いので、興味のある人が中国語で読むか完全な現代語訳で読むかしておけばいいのでしょう。しかし漢文訓読は日本語の文体の一つとして長い歴史を持っていて、現在の我々の言葉遣いの中にも大きな影響を残しています。そして、ある文体を用いてこそ可能になる表現というものもあるので、同じ「内容」を別の「言い方」で伝えることもできるから学ぶ意味がない、とはならないわけです。

「じゃあ、漢文訓読“調”の文章(和漢混交文)に親しめばいいのであって、漢文訓読の方法そのものを学校で習う必要はあるのか?」と言われると難しいところですが、例えば「而」や「乎」のような置き字の訓読の仕方を習ったかどうかでも、理解力は異なるだろうと私は思います。それに、単なる日本語の技術論としても、たとえば「於京都大学」「含祝日」といった表現は漢文の返り読みから来ているわけで、本来は「京都大学において」「祝日を含む」と読むのだと知っているほうが、日本語の使い手として望ましいでしょう。

冒頭のミュージシャンは作詞もするようですから、言葉というのは形式的な情報を伝えるための単なる技術ではなく、言い回し一つで随分異なった「意味の体験」がもたらされるのだということも、その体験の幅や奥行きが、言語的動物としての人間が生きていく上で重要なものであるということも、本当はよく分かっているはずです。それを否定してしまったら、ラブソングの歌詞はすべて「俺、お前、好き」で足りるということになりかねません。

参考:サルでもわかるラブソング
https://www.youtube.com/watch?v=nZV2xO_Z428

そういえば、少し話が飛びますが、名古屋の「表現の不自由展」の再開にあたり、河村たかし市長が「陛下の写真を燃やすな」と抗議の座り込みをしたことが物議を醸していますね(参考記事)。この件に触れて、デザインやアートの歴史を研究をしている学者の方がネット上で、

「じゃあ皇族の写真が載っている新聞や雑誌やカレンダーは捨てるなよ。それらは焼却炉に行くんだから」

という趣旨の論評をしているのを見かけたのですが、この発言にも「漢文不要論」と同様の違和感を覚えます。人前でわざわざ見せつけるようにして天皇の写真をバーナーで燃やし、その灰を踏みつけるという行為が、天皇の写真が載った雑誌や新聞を廃棄する行為と同じであるわけがありません。作者の言によると天皇批判ではないということですが、いずれにしても新聞雑誌を捨てるのとは異なる象徴的な意味がそこにはあるわけです。(単なる廃棄にも一種の気持ち悪さが無くはないですが、ここでは措いておきます。)

皇族に限りませんが、例えば雑誌に載っている人の顔写真をわざわざカッターで切り刻んでから捨てる人がいたら、「もっと穏やかな捨て方をしてくれ」と思うのが普通でしょう。結局は裁断されたり焼却されたりするのだ、という点で物理的には同じであったとしても、その遣り方(スタイル)によって、行為が持つ人間的な意味が異なるのは当たり前です。これも冒頭のミュージシャンと同じで、デザイン論やアート論を生業とする研究者なのだから、本当はそのことを理解しているはずですよね。

言葉や行為の「内容」と「形式」は、相対的には区別することができますが、両者の間には解きがたい相互依存の関係があります。このことに敏感でないと、いとも簡単に論評が混乱してしまうのだという、好例を見せつけられた思いでした。

先ほどの話に戻ると、やはり漢文訓読は単なる技術ではなく日本語の文体の一部であると言うべきで、我々人間にとっての生活世界は言葉を通じて構築されているものだから、文体、つまり言葉の表現のスタイルは人生や社会の質を左右する重要な材料なのだと知る必要があります。

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コメント

  1. 安岡孝一 より:

    古典中国語(漢文)の形態素解析とか依存文法解析とか、そういう書写言語の情報処理を私自身やってる手前、どうしても意見が偏ってしまうのですけど…。でも、そういう立場から見ると、現代の高校での漢文教育は「孤立語を膠着語に変換するシステム」の一端を、高校生にかいま見せているのであって、その意味では、もはや「単なる技術」なのだと思いますよ。だって、ここで説明されているような「和漢混交文」は、現代の高校の漢文教育では出てこないし、ましてや上の画像にあるような『訓民正音』は絶対やらないと思うのです。そのあたりのことを、1年半ほど前に私の日記 https://srad.jp/~yasuoka/journal/619341/ にも書いたので、関連リンクも含め、良ければお読み下さい。

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