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セーレン・キルケゴール 著 村上恭一 訳 『新訳不安の概念』 平凡社/2019年6月刊についての書評です。
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偉大な思想家の言葉は幾重の時代を経てもなおその真理性を失わないものである。
「悪魔的なものは、無内容なもの、『退屈なもの』である」というキルケゴールの言葉もまた然りである。
私たち人間は「永遠」のもの、あるいは何らかの崇高なものとの関係を失うとき、「精神喪失」の状態に陥る。
そして、まさにこの時にこそ、悪魔的なものが「仮装」をして舞い降りるというのである。
人間は何らかの「永遠」なものに接する「瞬間」に、「責め」の感覚としての「不安」を抱く。
「永遠」なものを前にして、義しく判断、決断をすることができる「自由」を与えられている一方で、反対にその「自由」を私欲のために用いることも「やればできる」のだということを自覚するからである。
この「自由」な決断の重み、「やればできる」の二義性にともなう「目 めまい 眩」の中で常に悩み苦しむのが人間という存在の根源的なあり方なのである。
そしてこの「不安」の感覚こそが私たち人間を単なる動物から区別された「精神」として、「真摯に」生きることを可能にするのである。
だが、この「精神」としてのあり方を見失う時、人間や国家は一体どこに向かうのだろうか?
「精神喪失」の中で彷徨う人間は、退屈な時間をただやり過ごさせてくれる内容なき快楽、饒舌、妄言を自己の外に求めようとする。
中身がなく空虛にも関わらず、それでいて美しく優雅な言葉で我々を誘う「大ぼら吹きの山師 〔詐欺師〕」、これこそ彼らが崇敬の念をもって礼拝する偶像にふさわしいのだとキルケゴールは語る。
この言葉を今日の日本の現状と重ね合わせるときに私たちは戦慄を覚える。
私たちを 「死」へと誘う「悪魔的なもの」の正体とはまさしくこの偶像のことなのではないだろうか。
あたかも一人の道化のように「仮装」して私たちの前に現れ、私たちが熱狂と快楽の放心に酔いしれている間に着々とその仮装を脱ぎ捨て「死神」と しての姿をあらわにしていくその男の姿を、今まさに政治の場面で幾度も目の当たりにしてきたのではないだろうか。
注意深い観察者の中には早くからその正体に気づく者もいるかもしれ ない。しかし、気づいた時にはもはや手遅れなのである。
すでに私たちの社会、国家の溶解はとどまるところを知らないのである。
この惨状の中で一縷の希みをかけるとすれば、それは我々に自己との対話を可能にする「内面性」が備わっていることである。
何をなすべきであったのか、あるいは何をなすべきなのか。
自己自身との対話の繰り返しが、いつしかその人の内面に生き方の規範を生じさせ、行動に対する「真剣さ」を取り戻してゆくのである。
まさにこの時にこそ、失われてしまった「永遠」なものの影が自己の内面のうちにふたたび生じてくるのである。
「内面性」とは内なる「永遠性」のことであるというキルケゴールの言葉こそ、現在の惨憺たる状況の中で我々が立ち返るべき指針 として語り継がれるべきものであろう。
(『表現者クライテリオン』2020年1月号より)
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コメント
政治であれ文化であれ現代ほど人々が「大ぼら吹きの山師 〔詐欺師〕」に自ら進んで熱狂的に騙されている時代も無いように思います。
手遅れになってから気づいた自分への自戒を込めてつくづく。