ティコ・ブラーエという観測オタクによる膨大なデータと「天体の調和」を諦めないケプラーの生涯を懸けた計算によって、プトレマイオスの太陽系はほんのちょっとつぶされて楕円になった。しかし、固定化されたイメージを払拭するのは難しい。神の秩序は完璧だと信じる人々はまだ惑星の円軌道を疑わなかった。一世紀後にニュートンが微分解析という手法を編出して重力の法則を導き、ケプラーの楕円軌道にお墨付きを与えた。長い間人々の思考を縛っていた美しい円軌道は退場したが、新たに登場した楕円軌道の法則も美しかった。周期軌道の秩序を求める人々の願望は満たされた。
人々は天体の法則を手にした歓びに酔い、新たな啓示に自信を深めた。微分方程式の解は初期条件によって決定される。この方程式を用いて天体運動の現象が次々に説明されていくことで、世界は過去も未来も記述できると思われた。一九世紀には、原因と結果の直接的な関係があらゆる事象に適用されるようになる。科学的裏付けを得た技術は機械文明を発展させ、技術の発達に伴う経済発展は、人々の暮らしを豊かにした。それは、最強で正しい方向性と思われた。
決定論は一神教の思考に馴染み易い。決定論と結びついた世界観が哲学も倫理も歴史をも支配した。啓蒙主義の多くの政治・経済・社会におけるイデオロギーは、この時代の世界観から生まれた。国家の樹立は契約によってなされるという主張や、すべての人民の自由の獲得というゴールや、権力者による富の偏在を正して経済的平等を実現するという理想が掲げられた。
理想は未来に描く姿である。理想を歴史の前提条件にすることは、神のグランドデザインの信仰と変わりない。理想を前提とした演繹によって、現実は歪められる。
社会システムは、生物進化に似て慣性を持っている。その機能の維持が脅かされない限り、針路は変更されない。産業革命は資本家という新しい層を生み出し、従来の貴族世襲の支配システムの維持を難しくさせ、それまでの社会秩序を激変させた。針路の変更が起こったと言える。資本主義国家は輝かしい科学技術を支えとして発展し、鉄道や蒸気船という移動手段、雇用形態、電気やガスや通信網が市民の生活を変えていった。この変化は次第に都市と農村、雇用主と労働者の間の不平等を招くようになる。社会意識の混乱の中で、人生や社会や政治の意味付けが要求されるようになった。理想を掲げた革命思想はこの時代の勢いに乗って広まった。
共産主義社会は、一九世紀には理論上の形態であり、現実の存在ではなかった。しかし、決定論が支配する思想界は、資本家に代わって労働者が支配する経済的に平等な社会の到来を疑わなかった。『共産党宣言』は殆どアポカリプスである。資本主義社会の終末を見据えた預言の書と言える。一神教に馴染んだ文化には受け入れやすい構成であった。
二〇世紀になって、それまで縛られていた決定論の物理学が崩壊する。ポワンカレは解の無い方程式が存在することを証明し、定量的な計算では予測が不可能な領域があることを示した。次第に、方程式を導けば未来が決定されるという自信が揺らぎ始める。同時に、技術の発達に伴って観測機器の精度が上がり、従来考えられていた世界をどんどん覆していった。世界はそんなに単純ではないらしい。惑星の円運動という信仰がニュートンの登場によって覆り、ケプラーの楕円軌道に針路を変更した時のように、再び方向転換を迫られることになった。
いま、振り返って見ると、共産主義は一九世紀の先進国では受け入れられなかった。悪と傲慢の象徴として倒されるはずの資本家は予想に反してしぶとかった。労働者は労働組合を組織してかなり頑張ったが、先進国を共産化させるほどの力はなかった。理論(預言)はなかなか実現しなかった。
ところが、第二次大戦後に帝国が解体し先進諸国が疲弊したとき、新たに独立した途上国に於いて共産主義は効果を発揮する。旧宗主国の軛を脱した生まれたての独立国家に援助をしたのはソビエト連邦である。民主制と異なり、手続きに時間を取らない国家主導の計画経済は、当初、効率よく経済を向上させた。これらの国々では、資本主義の段階を踏まずに、共産主義はいきなり封建的な支配層に取って代わったのである。
共産主義下の計画経済は、理論上は資本主義よりも経済発展をもたらすもののはずであった。しかし、競争による技術革新が起こらなかったこともあって、寧ろ経済の停滞を招くようになる。コミンテルンで国家の境界を超えて団結しようとしたにも拘らず、労働組合は労働条件の異なる国々をまとめることが出来ず、柔軟性に欠く計画経済はヒト・モノ・カネの移動を制限し、一国内の自給自足的な経済に閉じ籠った。
この行き詰った状況で起こったのが、自由主義圏でのグローバリゼーションである。資本主義はイデオロギーではない。Capitalismの-ismは様態や作用を表す接尾語である。Catholicism Communism Feminismのような体系・主義・信仰の-ismとは異なり、資本と負債を利用することで様々な形態に馴染む可塑性がある。中国を含めた共産圏の途上国は、「人民の代表」である支配層自らが資本家となって資本主義の導入に舵を切った。気がつけば、一九世紀に描いた未来図とは逆に、共産主義は資本主義に至る準備段階になっていた。
社会や制度に慣性が働いている間は、いままでのやり方がこれからも通用するという線形的な発想で問題なく物事を処理できる。しかし、前提条件が崩れてしまうときが来るのだ。それは、私たちが予兆を感じなくても、突然やって来ることがある。過去や将来の在りようを決定されたものとして位置づける演繹は、歴史には適用できない。人間の社会には歴史の前提条件になる確固たる公理は存在しない。
ブルクハルトは、決定論が支配していた一九世紀に「予知された未来とは愚にもつかぬ戯言である」と切って捨てた。彼はマルクスと同年の生まれである。同じ時代のドイツ語圏に生きながら、世界の見方は全く違っていた。一九世紀の決定論的な物理学の勝利に酔った世間から距離を取り、徹底して世界を観察し、そこでは幸不幸のような感情や善悪などの価値観を排除した。その態度は「空想から科学へ」という高揚感に浸った人々よりも、寧ろ客観的で科学的であった。
「歴史においては、滅亡はつねに内的衰退、生命の消尽によって準備される。この段階にいたって初めて、外的動因がすべてに終止符を打つのである。」
この言葉には、カタストロフに似た発想が窺える。ポテンシャルが連続的に変化しているとき内部の変化は意識されないが、それが臨界点に達したとき、突然安定した平衡状態が崩れて、別の安定状態へ向かう。歴史では最後の一撃に外的要因が加わり、それが滅亡の原因であるように見えることがあるが、実は、そのとき既に修復できないほど内部崩壊が進んでいることが多い。
「自然諸科学と歴史の間には親密な関係が存続しているが、これは(中略)自然諸科学だけが歴史から何も要求しないという理由だけでなく、むしろこの二つの学問のみがもろもろの事柄の中で客観的で、特別の意図を持つことなく共存できるからである。」
彼は、自然科学は信じるものでも要求を満たすものでもなく、主観を廃して現象を観察するものだと、よく理解していた。歴史に対する態度も同様であった。
宗教は歴史の主要なテーマのひとつである。ブルクハルトの宗教を分析する目は鋭い。「現世の報いとしての来世を強く強調する宗教と、これに加えて、さらに終末論をもつ宗教」として、ユダヤ・キリスト教を挙げる。キリスト教やユダヤ教は死後に神の世界で救われると説く。仏教もまた、成仏することで輪廻を断ち切ることができると説く。来世という概念は自然に生じるのではなく、布教によって知るものである。
「布教活動をするのは、大体において来世宗教だけであろう。」
この言葉の持つ意味は重い。本来、想像や願望に過ぎないものを信じさせる行動や運動は何を意味するのか、彼は問うているのである。
「キリスト教が自らの行動を肯定する激しさには恐るべきものがある。」
「教会が立てている恐ろしい前提は、人間は自分と同類の人たちの考えを支配する権限を持たなければならない、というものである。」
イエス自身はおそらく社会改革の提唱者だったと言えるだろう。一ユダヤ教徒として、権威主義に陥っていた支配層の聖職者集団を批判したのであって、自らが神であるとは言っていないし、宗教の創始者や教祖であるという意識も持っていなかった。しかし、弟子たちは、処刑後も衰えないイエスの人気を利用して熱狂的なイエス運動の支持者たちの中心に位置するようになる。その原型がエルサレム原始教会である。イエス本人と行動を共にして彼をよく知る世代は、それだけで自分たちを権威付けることができた。しかし、イエスを直接知らない後の世代には、人が人を支配することを肯定するための教義が必要になる。伝道活動とは無意識下で政治性を帯びるものである。異教や異端に対する激しい攻撃は自己正当化と排他性を示していて、他者を徹底的に排除するためには血を流すことも厭わない。現世で虐げられて行き場を失った人々の良心に来世を囁き、異教に対して殉教者か迫害者になることを迫る。殉教と迫害は同じ正義に宿る。自己を救うために突き付けられた選択が自分自身に向かうか他者に向かうかの違いであって、来世信仰の表裏の行為である。ブルクハルトは言う。
「世界宗教こそ、最大の歴史的危機をもたらすものである。」
この言葉には、当時の世相への危機感と皮肉が込められている。革命思想は異教や異端への攻撃と同じ思考回路である。目的遂行のためには一切の妥協を許さず、武力を用いることも積極的に認める。啓蒙思想や革命思想には一神教との類似があり、「高次の世界変革構想等々を標榜することで人心に慰めを与えようとするのは拙劣な行為である」と、権力を握るために群衆に幻想を抱かせて利用する卑劣さを指摘する。ブルクハルトは、世の喧騒を一歩退いて観照することで、そのことを見抜いていた。徹底した観照的態度を貫いたブルクハルトは、スイスのバーゼルで美術史の教師生活をしながら世間に関わることを避けた。その生涯には諦念に似たものが漂う。「歴史においては、高貴なものが、少数派であるという理由で卑しいものに屈服するということが非常な危険を生み出すのである」とは、いつの時代にも起こることで、現代のポリティカル・コレクトネスでも繰り返されている。
高貴な精神は世の中に簡単に受け入れられることがない。ブルクハルトは、少数派よりも更に孤独であった。
引用はすべてヤーコプ・ブルクハルトの『世界史的考察』(新井靖一訳・ちくま学芸文庫)による
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