表現者クライテリオン2023年7月号【特集】進化する”コスパ”至上主義 --タイパ管理された家畜たち
より特集座談会を一部公開します。
本誌にて全編お読みいただけます。
https://the-criterion.jp/backnumber/109/
【特集座談会】コスパ主義は「家畜化」への道である/三浦 展×藤井 聡×柴山桂太×浜崎洋介
コスパ主義の背景にある将来不安
藤井▼まずは、今回の特集テーマであります「コスパ至上主義」について、今お感じになってらっしゃることなど、お話しいただければと思いますが、いかがでしょうか?
三浦▼よく「最近の若者はコスパを重視している」と言われていますが、若者が内発的にコスパ至上主義になったわけではありません。企業は最初からコスパ・タイパ至上主義ですが、とりわけバブル崩壊後のこの三十年、「リストラ」だの「リエンジニアリング」だの色々とやりました。しかし、それらは結局コストカットだったわけで、新しい価値の創造はできませんでした。こういう三十年の中で、今の若者はコスパ至上主義を空気のように吸って生きてきたわけです。ですので、あまり若者バッシング的な意味でコスパ至上主義という言葉は使わない方がいいと思います。
「若者の○○離れ」とずっと言われてきましたよね。この一つの理由は収入が減ったことなので、給料を高くしてあげれば「○○離れ」は少しは収まるはずですが、三十年間ほとんど上がりませんでした。むしろ給料が下がる状態が続いたわけですから、若者の内発的な欲求ではないし、既存の社会への反発でもありません。つまり、この三十年の生 活習慣病のようなものが「コスパ主義」なのだと思います。
データを調べてみたのですが、確かに若い世代はコスパ重視でものを選ぶ人が多いです。古い考え方だと「コスパ重視はお金のない人に多い」と思いますよね。ですが、実はそうではありません。「上流」「中流」「下流」と分けてみると、上流もコスパ重視の人が多いのです。たとえば二十代では、上流と下流で「コスパがよいと思うものを選ぶ」という設問に対し、「とてもそう思う」「そう思う」と答えた人の割合はほぼ同じです。
藤井▼上流の方がむしろ多いくらいですね。
三浦▼そうですね。つまり、「コスパ」と言ってもお金の問題ではないということです。次に、生活満足度とクロス集計してみると、満足している人もしていない人も、コスパを同じくらい重視することが分かります。「満足している上流」もコスパを重視しています。「コスパ至上主義」は広く浸透しているということです。
次に、現状の満足度と将来への不安度を二重クロスして尋ねてみると、「現状には満足しているが、将来は不安」という人が一番コスパ主義なのです。それは言われなくても分かりますよね。「満足はしているけれど、将来が不安だから無駄遣いはできない」ということですから。
色々な要因はありますが、「今満足しているか」「上流か下流か」ではなく、将来不安がコスパ主義を高めるということです。ですので、社会保障を改革して将来不安をなくすとか、教育費を下げて生活コストを下げるとかいった政策が必要になってきます。
ちなみに、「現状に不満で将来も不安」という人も当然コスパ主義ですが、いずれにしろ「将来は不安」という人がコスパ主義の割合が高いのです。これが社会全体のコスパ主義の風潮を決定していると思います。特に二十代、三十代の若い世代はそういう時代に育っていますから、それが常識になっています。
今『映画を早送りで観る人たち』(稲田豊史著、光文社)という本がベストセラーになっていますよね。僕も仕事で観なくてはいけないドラマならパソコンで倍速で観たり途中を飛ばして観たりします。でもさすがに小津安二郎は倍速では観ない。越えてはいけない一線がある。和食が大好きという人も、ペットボトルのお茶ばかり飲むじゃないですか。今、葉っぱでお茶を淹れる人は少ないんです。ゴミが増えるからという理由です。でも、自分でお茶を淹れたら一杯十円もしません。だから、「せめて週に一回くらいはちゃんと淹れてみたらどうだ」と言ってみたいですし、小津の映画は早送りできないような設定にしてほしいですね(笑)。コスパ・タイパではない生き方、暮らし方の楽しさや味わいを、今こそ声を大にして教えないといけないと思います。
根無し草たちの拠り所としてのコスパ主義
浜崎▼おっしゃる通りです。コスパというのは「目的」を前提にした概念です。つまり、設定された「目的」に対して最短コースを考えた時に出てくる概念、それがコスパだということです。でも、「人生そのものに目的はあるのか」というと、人は勝手に生まれてきて勝手に死ぬわけで(笑)、特定の目的なんてあり得ない。強いて言うなら、人生を「味わう」ことこそが目的なのかもしれませんが、それは、むしろコスパとは正反対の概念です。
あるいは「文化」についても同じで、アメリカ文化、ヨーロッパ文化、日本文化に特定の目的があるとは言えない。それはその土地に生きる人々の「生き方」と結びついているもので、達成すべき目的とは関係がない。おそらく、そこに「コスパ」を社会の中心的価値とすることへの違和感があるんだと思います。つまり、人との関係性の中に醸成される生き方や、味わい、幸福感といったものを、単なる感覚刺激に還元して、それを「情報」として扱うことの違和感、それがコスパ至上主義の不道徳感につながっているんだと思うんです。
ちなみに、僕も『映画を早送りで観る人たち』を読んでみたんですが、コスパ論者たちには、二つの傾向があると思いました。一つは、彼らが「体験」ではなく、分かりやすい「情報」を求めていて、その限りで「情報強者としての優越感」が目的だということ。 そして、もう一つは、「任意の情報を共有しているコミュニティについていくこと」が課題になっているということです。たとえば、「生存戦略としての一・五倍速」という言葉が出てくるんですが、彼らは、ある情報共同体からこぼれ落ちることをものすごく恐れている。これは、先ほど三浦さんがおっしゃった将来への不安感とも通じています。
では、なぜ、これほどまでに恐れや不安が広がっているのかというと、端的に言って、戦後日本の伝統破壊と、この二、三十年のネオリベ化(社会の新自由主義化)が大きな要因でしょう。ネオリベによる公共圏の破壊、地域の解体、東京一極集中など、自分自身を支えている文化、コミュニティ、要するに自分自身の拠り所がことごとく廃墟になってしまっている。すると、もう自力救済しかないので、能力主義を加速していくしかない。そして、その果てにコスパ・タイパ至上主義が出てくるのではないかと。
藤井▼いわば、自らに根が無いことに耐えられなくなった根無し草たちの足掻きとしてコスパ・タイパ至上主義が暫定的に採用されているということですね。ある種の情報的な共同体がバーチャルに、非文化的な形で存在し、そこに参画するためにコスパ至上主義で色々な情報を摂取しておかないといけないということですね。
三浦▼あとは、日本の将来に不安があると早く稼いでおきたいという気持ちが強まりますよね。昨日本屋に行ったら、「とっとと一億円稼ごう」という本が二冊並んでいました。おそらく、四十歳くらいまでには稼いでFIRE(経済的に自立して早期退職すること)しようという内容なのでしょう。日本全体として閉塞感があって、泥船から早く逃げるための金だけは持っておこうという気持ちがあるのだと思います。
アメリカ文化やヨーロッパ文化は本来は目的ではないのですが、四十年前までは日本にとっての目標だったわけですよね。それを達成できて浮かれていたらこんなふうになっちゃったわけです。かといって中国に抜かれても、中国は目標にはならないですし。そうすると、明確な目標はお金しかないという状況になりますよね。
藤井▼比較的所得の高い人も低い人も皆一定程度コスパ至上主義だとすると、豊かな人もデフレで将来が不安なので、その不安を埋めるためにコスパを拡大して、将来の所得を安定化させようともがいているのでしょうね。もちろん所得の低い人も、今ご飯を食べないといけないのでもがいている。先に指摘された情報共同体への参画のためという側面に加え、将来の安定を少しでも得るための活動という側面もあるわけですね。
社会変革を諦めた現代人
柴山▼コスパ・タイパについて改めて考えてみると、現象そのものは昔からあるんですよね。試験のレポートを書くためだけに本を斜め読みするとか。僕も、情報として読まないといけない時は当然そうします。タイパだって、十九時の飛行機に乗ろうとして十五時に空港に着いたら、一本早い便に変更できないかなと考えますよね。だから昔からありふれてるんですが、今は、こうした行動を「コスパ」「タイパ」という言葉で呼ぶところが問題なのかなと思います。以前はそんな言葉はなかったし、そんなふうに考えたこともなかった。
三浦▼早く読めばパフォーマンスは落ちるに決まっていますからね。
柴山▼そうです。必要に迫られてやっているだけで、それを「コスパ」という物差しで考える文化はありませんでした。
もう一つ思うのは、コスパ・タイパと言っているうちは絶対に革命は起きませんよね(笑)。コスパは現状の仕組みの中での最適解を探すことで、革命は現状そのものをぶち壊すことですから。明治維新の英雄たちがコスパなんて考えたかという話です。現実の外側にある理想社会を幻視して、その実現を目指すのを仮に「ロマン主義」とするなら、ロマン主義はコスパ主義の真逆です。現実を超える何かを想像して、それに向かって行動するという考え方はものすごくコスパが悪いですから。七〇年代までの学生運動が典型ですが、革命に対する希望や幻想があった頃は、コスパの考え方なんてなかったですよね。むしろ、共産主義がどうとか、三島由紀夫がどうとか、議論していたわけです。今ある現実の外側に、革新側であれ保守側であれ、もっと素晴らしい社会や文化があるはずだという想像力が働いた時代の産物だったのでしょう。
けれど、新自由主義の結果なのかは分かりませんが、現実の外側に素晴らしい何かがあるという可能性が消えると、目の前のこの社会の中で、いかにいい就職先を探して手っ取り早く稼いで、人よりもマシな生活を維持するかというところに意識が向かっていくことになる。とりわけ、受験勉強が得意な器用な人ほどそっちの方に向かってしまいます。今のコスパ重視というのは、社会における想像力のあり方が、二十世紀後半から決定的に変わってしまったことの結果なのかなと思います。
(本誌に続く・・・)
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座談会の続きでは、「新自由主義的無力感」、家畜化としての「ファスト風土化」、デフレが美的感覚に与える影響、ポリコレが芸術に与える影響、ジブリの弊害、など様々な論点を巡り議論しています。
続きはぜひ本誌でお読みください。
◯座談会参加者紹介
三浦 展(みうら・あつし)
社会デザイン研究者。58年新潟県糸魚川市生まれ。一橋大学社会学部卒業後、(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室、同誌編集長を経て、三菱総合研究所に入社。99年、カルチャースタディーズ研究所を設立。消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。主著に80万部のベストセラーとなった『下流社会』のほか、『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』など多数。近著に『再考 ファスト風土化する日本 変貌する地方と郊外の未来』(光文社新書)など。
『表現者クライテリオン2023年7月号【特集】進化する”コスパ”至上主義 --タイパ管理された家畜たち』より
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コメント
自分は福祉の大学で学び、福祉士は時として社会変革を目指すものだと習いました。
自分も今の社会を憂い社会変革を今こそ起こすべきだと思っていました。
けれど、社会変革は多くの人があきらめてしまったことなのですね。未知の世界への希望を持てなくさせてしまう社会なのだと改めて知りました
そんな社会だからこそ、命がけでも変革を起こしたいと思いました。とりあえずでもわずかでもなく譲れないものを守るために社会に挑みたいと決意しました