『カッサンドラの日記』4 NATO東京事務所?
橋本 由美
以前この欄で、広島サミットでの「岸田首相は、日本を本格的にウクライナ戦争の当事国に格上げした。」と書いた(日記1「宴のあと」)。ゼレンスキー大統領への対応やG7の声明、会見などでの岸田首相を見ていて、何度か「え、そんなこと言っていいの?」と不安になったのだ。岸田首相は、日本を危険水域に追い込んでしまったのではないか。御本人にはそんなつもりはなく、「得意な外交」に自信たっぷりである。だからこそ始末が悪い。
ゼレンスキー大統領の出席が、本人の希望によるものなのか、岸田首相の誘いなのか、バイデン政権の計画なのか、それはわからない。いずれにせよ、広島に紛争当事国の一方が招かれ、その場で武器供与の増強が決議され、もう一方の当事国を強く非難したのである。他国で開催されたサミットに岸田首相が参加して決議に賛同したのではない。日本は議長国である。紛争当事国の一方を日本の領土内に招き入れることを許可したのである。G7の宣言は、G7全体の合意であるだけでなく、議長国の日本にとっては特別重い意味を持つ。ロシアに対する日本の「宣戦布告」と受け止められても仕方がない。ついこの間まで取り立てて深刻な敵対感情のなかったロシアに対して、西欧諸国と一緒になって敵意を示した。他人の喧嘩に積極的に参加したようなものだ。(日本に40年住んでいるロシア人の知人は「急に日本の居心地が悪くなってしまった。ロシア人は日本が好きなのに、日本はロシアの敵になったのか?」と、ショックを隠せないでいる。)勿論、武力侵攻がいいわけはない。しかし、戦争は善悪で解決できるものではない。それまでは、ウクライナへの善意と被災国への同情による支援とも言えたが、ゼレンスキーの出席によって、日本がウクライナ戦争に直接関与するというメッセージを表明したことになった。ゼレンスキー大統領は日本に危機を運んで来た。
岸田首相のキーウ訪問がその序章であった。だいたい、日本の首相がどうしても行かなくてはならなかったのだろうか。G7で日本だけがキーウに行っていないと言われていたが、それでいいじゃないですか……? 日本が行かないことで、日本には何か独自の思惑があるのではないかという深読みをしてくれる国さえあった。海千山千の国際社会で、すべて手の内を晒すことはない。ミステリアスな雰囲気を持っていたほうがいい。G7開催間際に慌ててキーウに行ったことで、底の浅さがバレた。
岸田首相によれば、「分断や対立ではなく国際的な協調」が広島サミットの成果なのだそうだ。本気ですか? 実際にはウクライナ戦争の停戦に向けた調整ではなく、アメリカの意向に沿って戦争続行と激化の方向に押し進めたのではないですか? 分断を深めたのだから、議長国として失敗ではなかったのですか? 日本の国際協調というのは「G7仲間の協調」であり、アメリカに従うことのように見える。
更に、日本はNATOに接近しようとしている。NATOの東京事務所設立案は、誰が発案者だろうか。勿論それは、台湾有事を念頭に置いたものであろう。しかし、NATOはもともと北大西洋における旧ソ連を仮想敵国とした軍事組織だ。単に「自由主義を守る」ための軍事組織ではなく、白人民族同士の根深い歴史的文化的摩擦を背景に持つ。戦争の当事国同士を話し合いの席に着かせるために、日本には、G7で唯一NATO加盟国でない利点を生かす方法だってあった筈である。寧ろ、台湾問題があるからこそ、日本が反ロシアの立場を鮮明にする形でNATOに食い込むことには、慎重でなければならなかったのではないか。NATOの太平洋地域への拡大は、果たして東アジア地域の紛争抑止力になるのだろうか。台湾問題が燻っているこの地域にかえって危機を招き入れることにならないだろうか。マクロンの反対はもっともである。ヨーロッパは台湾問題に関わりたくないのだ。それよりも、バルト海をNATOの海にされてカリーニングラードが機能不全になり、クリミアに拘るウクライナの攻勢でセバストポリを失ったとしたら、ロシアにとってウラジオストクはどのような位置づけになるのだろう。そのとき、NATO東京事務所はロシアの敵地になる。中国の援軍としてではなく、ロシア自身の敵と認識され、南北両面からの脅威が高まる。それでもNATOの援軍は来ないだろう。軍事に素人の私にわかることではないが、日本の積極的なNATOへの関りは不安である。
2008年のNATOのブカレスト首脳会議の声明で、当時のグルジア(現·ジョージア)とウクライナが将来NATOに加盟することが同意された。これは効力のない口約束だと言われているが、グルジアやウクライナやロシアにとっては重大な声明として受け止められただろう。世界の国々も同様に、NATOの意思と受け止めたはずだ。そして、その世界の認識が今回のウクライナ戦争の呼び水になったと言える。広島サミットの議長国の日本がゼレンスキーを招待したことやロシアを強く非難したこと、NATOとの協力を強化しようとすることは、G7以外の国から見れば、日本がウクライナ戦争の当事国として積極的に踏み込んだと捉えられてもおかしくない。G7だけが全てではない。世界がどう認識するかということは、とても重要である。
日本人は、まさか自分たちがこの戦争に参加することになるとは、誰も思っていないだろう。考えてもいないから気楽にゼレンスキー・フィーバーで盛り上がったのではないか。「狂暴な大熊に襲われる子羊のようなウクライナを助けなくっちゃ…!」と、親切な日本人は弱者の味方となって歓迎した。しかし、今回のサミットで、岸田首相は確実に日本をウクライナ戦争の当事国に「格上げ」してしまった。いまのところ、アメリカやNATOは、ウクライナ以外のヨーロッパに戦火を広げるつもりはないし、ロシアもそれをしたら自国が破壊的な反撃を受けることをわかっている。そのために米ロ対立の戦場となってしまったウクライナは悲惨である。土俵やテニスコートやサッカーコートと同じで、そこから踏み出したらペナルティを受けるゲームコートなのだ。戦争はコートの中だけでやって下さいということだ。ゼレンスキーは、アメリカやNATOが一緒に戦ってくれることを望んでいる。しかし、それは「核」が使われない限りあり得ない。それでも、万一、何かの弾みや手違いで「NATOの義務の範囲外」に戦火が飛び散り、火の粉がただでさえキナ臭い東アジアまで飛んで来たとき、ゲームコートになるのは日本である。日本にその覚悟ができているのだろうか。ロシアも中国も北朝鮮も核を持っている。日本人には、ウクライナのように逃げ込む隣国もない。どうやって国土を守るのだろうか。岸田さん、さあ、どうしましょう……?
7月12日、リトアニアでのNATO首脳会議の折に開かれたG7のウクライナ支援会議における共同宣言の席で、バイデン大統領によって、日本のウクライナ戦争への関与の強化が披露され、岸田首相は思いっ切り持ち上げられた。バイデンの賞賛ぶりで、日本をウクライナ戦争やNATOに関わらせたいと考えているのはアメリカだとわかる。西欧国家(NATO)の集まりにお呼ばれして、西欧人になったような態度の岸田首相は、飼い主にご褒美をもらって尻尾を振る犬のように、見ていて恥しくなるほど嬉しそうなドヤ顔をしていた。これからもバイデン政権に忠実に御奉公を重ねるだろう。習近平は、中継映像を見ながら、鼻先で「ふふん」と笑ったに違いない。
アメリカ大統領選挙は混沌としている。次の大統領が共和党になったら、ウクライナ支援の修正が行われるだろう。巨額な税金の投入に不満なアメリカの納税者は多い。岸田首相もバイデン政権に御奉公するのではなく、真に日本国民のためのお仕事をして頂けないものだろうか。
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