【小幡敏】現場指揮官に見る指導者の条件

啓文社(編集用)

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今も昔もこの国は良き指導者に恵まれない。
指導者に求められる条件とは何か。何が指導者を育てるのか。
現場指揮官の活動から指導者の役割を探る。

一、問題の輪郭

 日本に優れた指導者が生まれないのは、男の腹から子が得られないのと同じである。力んでみても出るものは決まっている。それ故、どうすれば日本に良き指導者が誕生するのか、という問い自体が無いものねだりだ。不可也、というのが、私の当座の結論である。
 そう言ってしまうと元も子もないので話を続けるが、私とて端から現秩序下における夢を捨てていたわけではない。退屈な受験勉強などをして学校に行ったのは、所謂選良たちの姿を見極める為だったし、自衛隊という指揮統率に関する最も純粋活発な実験場に身を置いたのも、日本の組織において如何なる秩序形成が可能であるかを見分する為だった。
 その結論としての、不可也、である。指導的役割に就くべき者たちにその資質と能力が備わっていたかと言われれば、そうとはとても思えない。東大生だろうが将官だろうがさしたる違いはないが、こんなにも無教養で退屈な俗物たちが国家の舵をとり、数万の兵を動かすのかと、あっけにとられるばかりであった。なんとかに刃物どころの話ではない。都知事選の風紀紊乱に眉をひそめる国民の暢気さには呆れる。われわれ日本人は昔も今も、いつだって痴人に馭者を任せて安穏としてきたのである。
 しかるに、指導者の欠陥というのは必ずしもその担い手たる選良にのみ帰せられるわけではない点も見てやらねばなるまい。これは軍隊を見ればよくわかる。「最強の軍隊は米国の将軍、独逸の将校、日本の下士官兵」という言葉があるが、ここにも日本の指導者欠乏症が表れている。だが、仮に良き将軍の資質と能力を備えた者、それこそ米国の将軍に値する者をこの国が得たとして、彼が日本において実際に良き指導者たり得るとは限らない。現にかつて日本の軍隊において、人格徳性にも優れた上級職位者が、結局のところ日本の組織風土や民族的性格を前に敗退していったことは、民族の悲痛な歴史として省みなければなるまい。これには山本七平を始めとして優れた研究がいくらもあるからここで繰り返すことはしないが、次のような指摘を読むとき、私は自衛隊でも事態は全く同じであったことを思い出す。シベリア抑留者で、将校への厳しい批判者であった松﨑は言う。

 私は、将校が管理者として仕事を全うするためにはある程度の圧制は必要であったと思う。なぜならば、日本人は団体生活のルールを知らなかった(戦後は民主主義をはき違え、もっと悪くなった)。(略)こういう連中を《軍隊》という戦闘を目的とした組織体にまとめていこうとすれ
ば、どうしてもある程度のことはしなければならなくなる。(中略)一方、ソ連軍の兵隊は“大人”であった。兵隊が大人だから、将校は圧制をほどこす必要はなかった。威張らないのはロシア人の性質であろうが、威張って距離をおかなくても、兵隊にナメられることはなかったのである。(松﨑吉信『白い牙』)

 日本人は従順で規則を守るというが、そんなものは平時において、或いは負荷のかからない状況において、わが身を守ることと規則を守ることが一致する場合でしか妥当しない。私の知る限り、日本人は自主的に統率に服するということがなく、また公への服従の中に自尊心の拠り所を求めるという在り方を知らない。下世話に言えば、いつだって上司や権力者への不平不満をこぼし、自ら行動して責任を取ろうという気概を持つ者は極めて稀である。自衛官が自衛隊や上官の悪口ばかり言うことを端的に非難し、文句があるなら自ら行動すべきであり、それをしないで面従腹背の態度をとるのは卑怯者であると述べた米軍人もあった。返す言葉もない。これは自衛官に限らぬ日本人一般の明確な欠陥であり、良き指導者を欠くわが国には、指導されるべき良き国民も乏しいのである。

二、小隊長(現場指揮官)としての生き方

 日本には良い指導者を得られないだろうということを述べてきたが、そうはいっても指導者は要る。難しいながらも、どのような資質が求められるかを考えてみたい。
 これにつき、私が書けるのは軍隊のことくらいだが、「男たるもの小隊長たれ」「小隊長は男の修行である」というのが持論である。どういうことか。
 言うなれば、小隊長こそが、世にあるすべての地位役職の中で、最も純粋な指揮官であり指導者である。元陸自第十三師団長加藤昌平将補は新品少尉を「心身を国家国民のために捧げようとする清純な青年の代名詞」と考え、「いずれの国家においても国家の危急存亡に際しては、国民の中核となり、先鋒となって敢然挺身する新品少尉に似た若人の存在を必要とすることを忘れてはならない」と述べた(池田二郎『新品将校奮戦記』)。
 小隊長(新品少尉)というのは、実に辛い。私の軍務経験は五年に過ぎないが、小隊長の辛さというのは特異的だと断言出来る。あれほど逃げ場のない、度胸と根性、気転と要領が試される役割は他にない。ごまかしというのは凡そ通用しないのである。寝食をともにする部下の目が常に注がれている。寝るのも食べるのも、自由ではない。三日寝ていなくても、部下を先に寝かす、どれだけ疲れていても、涼しい顔で先頭を行く、そういうことが全て出来たとはとても言えないが、そういうつもりでやらねば務まらぬのが小隊長という役割である。
 この点、叩き上げの小隊長というのも居るが、所謂大卒ないし士官学校出(現在なら防衛大か)の新品少尉には部隊経験というものがない。基礎教育は受けているが、部隊の要領など何も分からない。そこに戦闘職種であれば数十人の部下がつく。大卒から実質的には中卒の者までいる。にきび面のかわいらしいのもいれば、ベンベンとした腹を抱えた五十がらみの古株まである。女こそ少ないが、あらゆる種類の人間を率いることが課されるのである。
 旧軍などもっと苛酷だ。現役兵あり、応召者あり、やくざも居れば高等文官資格者も居る。文盲に近い兵隊の横では、僧籍の兵が連隊長の代わりに書状を認めている。そんな彼らに学校出の若造が、命令を下し、死地にも追いやる。元陸軍少佐の池田は小隊長時代、とにかく率先垂範に努めた。移動の車中では、腿をつねって寝るまいとガンバル。初陣ではただ夢中で先頭を走り、「恥だけはかきたくない」と病後の行軍も耐え忍んだ。

 行軍は、大変に苦しかった。しかしながら、小隊長であり教官であり、しかも最年少者ときては、その苦しさや辛さを、絶対に表わすことはできなかった。私は黙々として歩いた。そして、蒸し風呂のような暑さに耐えた。(同)

 行軍の辛さはやってみなければわからない。池田は足中マメだらけにして、ヨーチンを含ませた木綿糸を針で真皮と表皮の間に通しつつ歩いたというが、柔軟性のない軍靴で歩き続けると、一歩ごとに灼ける様な痛みが来る。肩には背嚢や銃の負い紐、装具が食い込み、ごつごつしてバカに重い鉄帽が頭にのしかかる。夏でも腕まくりさえ許されず、体中蒸れ、背中は始終虫が這いまわるように痒い。一時間に十分の休みは前後の準備を除けば実質七分もない。その間に足の手入れや飲水、小用をしながら少しでも休憩を取るが、小隊長は隊員に異状がないかを見て回る。痛い、一刻でもいいから荷物を降ろしたい。ところがどっこい、小隊長にはろくろく休み時間さえ許されていない。
 だが、不思議なことに、人間指導者となり、またそこに打ち込むと痛みを忘れるものである。幹部候補生学校では行軍時の小隊長が教育の為に持ち回りだったが、私は百キロ歩くうちの、おおむね後半分を担当した。水を節約しすぎたのと塩分が足りなかった為に開始二十キロで両足が痙攣してびっこを引いた私は、とても小隊長など務まらんように思われたが、小隊長上番となると不思議に痛みは消え、元気が湧いてくる。普段なんとも思わない憎たらしい同期まで、かわいく見えてくる。途中、汚い便所の水まで争って飲用に汲んだにもかかわらず、水が不足した者に惜しげもなくとっときのペットボトルを手渡せる。それが出来ることに自分でもうれしくなり、軽機関銃まで引き受けて声を掛けながら先頭と後尾を行きつ戻りつ、これでは百キロ行軍が百十キロにも百二十キロにもなりそうなものであった。
 小隊長は、かかる…(続きは本誌にて…)
 

 


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