『表現者criterion』メールマガジン

【川端祐一郎】日本語は「非論理的」で「劣った」言語なのか?

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教) 

小浜逸郎さんが7月に出された『日本語は哲学する言語である』を読みました。日本語論として非常に面白く読みましたので内容をご紹介したいのですが、ちょっと前置きをさせて下さい。

日本語は「非論理的で、曖昧で、主観的な情緒に流されやすい」とよく言われますよね。それに比べて欧米語は「論理的で、明確で、客観的だ」とも言われるわけです。そしてこれらは、欧米語に対する日本語の欠点として述べられることが多いだろうと思います。

そのように日本語を卑下する見解に対して、反論があるとすれば3つぐらいの立場があると私は考えています。

1つは、そもそも日本語で論理的に物事を考えることは普通に可能である、ということです。たとえば法律学でも数学でもいいのですが、日本語で書かれた大学の教科書なんかを読めば分かるように、日本語であるというだけの理由で記述が非論理的になるというようなことはないのではないかと思います。
(英語のほうが筆者も読者も数が多いため、内容的に優れた文献が見つかりやすいということはしばしばありますが。)

2つ目は、あまり知られていないと思うので10月発売の『表現者クライテリオン』の中で紹介しようと思っているのですが、「外国語で考えると人は論理的になる」という研究があります。面白いことに、「日本語を勉強している英語のネイティヴスピーカー」も、第二言語である日本語で考えることによって、母語で考える時より論理的な判断ができる場合があるんですね。

その研究で示されているのは、母語で文章を読むとあまりにも慣れすぎていていい加減になるのに対し、外国語だと慎重に読むから判断の間違いが減るという例です。私はそれ以外にも、たとえば母国語の表現を外国語に置き換えようとしたときに、辞書的な直訳では文意が成り立たないため、その母国語の本来の意味に改めて向き合うことになって、「今まで曖昧に言葉を使っていたんだなぁ」と気づくようなケースがあると思っています。

だとすると、例えば日本人で英語を勉強した人が「日本語は曖昧で英語のほうが論理的だ」と言いたくなるのは、単に、「言語をまたぐことによって冷静になる」「言語をまたぐことによって概念の扱いに慎重になる」という効果を実感しているだけで、日本語と英語の優劣の問題ではないかも知れません。

一応、誤解の無いように言っておくと、これは「外国語で考えたほうが賢くなる」という話ではありません。外国語を経由することが、慎重な思考を促したり、言葉の正確な意味に注意を向けるという点で役に立つ場合があるという話で、それは結局のところ、母語をベースとした思考が豊かになっているのだと理解したほうが良いかもしれません。

さて、冒頭に挙げた『日本語は哲学する言語である』は、これらとは異なる3つ目の視点を与えてくれるものです。本書では、確かに日本語は欧米語にくらべて曖昧で情緒的になりがちの構造を持っていることは否めないが、それは欠点でもなんでもなく、独自の世界認識の方法なのだと述べられます。

本書の基本的な立場は、「客観的な現実」が存在してそれを写し取るツールが言語であるのではなく、言語による語りそれ自体が、人間にとっては真の意味での現実なのだというものです。したがって、日本語と外国語でものごとの「語り方」が異なるとすれば、それは日本人と外国人ではそもそも見ている世界が違うのだということになります。

そういった主張は他所でも目にすることがあるのですが、本書が面白いのは、そのことを日本語の「文法」の構造に深く立ち入って、文法学の通説に反論し、体系的な再解釈を下していくという形で示している点です。

詳細は本書をお読み頂くのがいいと思うのですが、たとえば代名詞の「これ・それ・あれ・どれ」のような「コソアド言葉」というものがありますね。これらの使い分けについて、コは「近く」を指していてアは「遠く」を指しているというように、空間的な距離の差で説明されることが多い。しかし本書では、国語学者・佐久間鼎の見解を紹介しながら、コは「自分側」、ソは「相手側」、アは「両者共通」の視点を反映するというふうに、「人間関係」に基づいて使い分けられているのだと主張されます。

この例にも表れているように、日本語は総じて「人と人の関係」、とくに「相手との情緒の交換」をベースに体系が組み立てられていて、このことは、日本人があらゆる物事を人間関係に引き寄せて認識しようとする傾向と表裏一体である。そして日本語がそのような構造になった理由は、日本人が同質性の高いコミュニティを持っていたせいで、生活の中で「状況を客観的に描写して説明する」ことの必要性が低かったからだろうと説明されます。

この点について、本書はさらに面白い仮説を提示しています。日本人・日本語だけがそういう特徴を持っているというより、もともと人間の言語はそういうものであったのだが、たまたま日本のように変化の緩やかな社会において、その特徴が長きに渡って保存されたのではないか、と言うのです。

その証拠に、日本語に最も似た言語はインド南端のタミル語族であるという説があるらしく、それが話されている地域も歴史的に周辺から孤立していて、比較的古い言語構造が残っていると考えられるのだとか。だとすれば当然、日本語のありようも外国との交流を通じて変化する可能性はあり、現に明治以降は、日本語の中にも物事を客観的に描写するのに向いた表現が増えてきたという点も指摘されます。だからこそ、日本語の基本構造が情緒の交換をベースにしたものであるにしても、論理的に記述したければできるわけです。

他にもいろいろ論点があるのですが、日本語について改めて深く考えるのは面白いですね。

本書については小浜さん御本人も本メルマガで触れておられましたので、お読みになっていない方は、ぜひ下記の記事をお読み下さい。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180817/

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