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文学という「内向的」な仕事に携わりながら、しかし、『文藝春秋』を創刊し、
後に、文藝春秋社の社長として日本の文壇と言論とを作り上げた菊池寛。
その菊池寛を「成功」に導いたものとは何だったのか。
その「人格」のかたちを描く菊池寛試論。
Ⅰ 「天才・菊池寛」という像
──「頭」ではなく「身体」で現実を語る人
名前だけはよく聞くものの、しかし、その作品についてはほとんど読む機会がなかった「菊池寛」について、私が興味を持ちはじめたのは、つい最近のことにすぎない。
理由は到って個人的なものである。一つは、私自身が『表現者クライテリオン』の編集委員を務めている関係で、雑誌というものの運営・経営というものが、どれほど微妙なバランスの上に成り立っているのかが身に染みて分かってきたということがある。雑誌運営において、もちろん読者サービスは必須の努力事項なのだが、しかし、それをやりすぎると言論誌である意味がなくなってしまう。とはいえ、それで雑誌が潰れてしまえば元も子もない。言論が主で、サービスが従であることの「けじめ」は重要なのだが、言うは易く行うは難しである。その点、菊池寛の『文藝春秋』は、そのサービスと言論とのバランスのあり方において、やはり絶妙なところがあったように思われるのだ──実際、昭和初年代の『文藝春秋』のコピーには、「六分の慰安四分の学芸」の言葉があったという──。
そして、もう一つが、これまた個人的な感想になるが、仕事の関係で様々な編集者と会ってきた経験上、文藝春秋社の社風が、どう考えても他の出版社と違うように感じられるのである。有り体に言えば、ほとんどの編集者が酒好きで──仕事と関係なく飲むこともある──、しかもその際、「これは菊池寛のツケですから」などと言いながら必ず奢ってくれるのである。この出版不況の時代に、仕事とは関係のない酒を飲ませながら、さらに、会ったこともない創業者の名前を持ち出して金を払うこと自体、私には異様なことのように思われるのだが、これも、私が「菊池寛」の名前を忘れられなくなった理由の一つである──ただし、私が知っている編集者は、もちろん、文学と書籍部門の一部に限られているが。
そして最後に、二年前に「小林秀雄と文藝春秋」(『文藝春秋』二〇二二年十月号)という少し長めの文章を書いた際に気づいたことなのだが、なんと、あの小林秀雄もまた、私と同じように、菊池寛の「天才」を、後から発見していたということがあったのである。
菊池寛と出会った当初、「二十代の僕のいらだたしい眼には、雑誌屋を兼業している通俗作家など凡そ何者とも思えなかった」(「菊池さんの思い出」昭和二十三年)とまで書いていた小林秀雄だが、しかし十年後、その評価を百八十度転回させて次のように言うことになるのである。
「氏の全作品を通じて見られる飽く迄も理詰めな構成、無駄のない人物の動かし方や会話、人間心理の正確な観察、健康な倫理観、そういうものがこの作〔『父帰る』〕の裡に圧縮されている。〔中略〕そこには一切の文学的意匠が無い。文学的思慕も文学的教養も持っていないが、実人生だけは承知している、そういう一般観客の胸に直接通ずるものだけが簡潔に表現されているところに、この戯曲の真の力があり、この作者の天才があるので、この天才は最近の「新道」に至るまで一貫して変らぬ。」
「氏が歩いた道は先駆者の道であって、社会の歩みに垂直に交わる様な言わば観念的先駆者の道ではなかっただけである。先駆者の顔を一っぺんもしてみせなかった先駆者が歩いた道というものを考えると、僕は菊池氏の仕事の一切は明瞭の様に思われる。氏は文学の社会性というものの重要さを、頭ではなく身体で、己の個性の中心で感じた最初の作家だ。」「菊池寛論」昭和十二年一月、〔 〕内引用者補足
ここで言われている「意匠」とは、要するに、大衆を上から超然と見下ろしながら、それに「垂直」に交わろうとする「観念的先駆者」の語るイデオロギー(指導的言説)のことを指している。最近で言えば、構造改革だの、グローバリズムだの、SDGsだの、AIは人間を超えるだのといった噓話がそれにあたるが、いずれにせよ彼らは、いつの時代も、身体ではなく頭で、人生によってではなく理念で現実を先取ろうとする。が、菊池寛は、それとは反対に「頭ではなく身体」によってこそ社会と交わろうとするのである。少なくとも小林秀雄は、それを自然にこなすことのできた菊池寛の個性に、その「天才」を見たのだった。
Ⅱ 真情あふれる出鱈目さ
──人に動かされること/人を動かすこと
ところで、小林秀雄は、同じ「菊池寛論」のなかで、「〔菊池寛に〕通俗性はない、大衆性だけがあるのだ。作者は読者に面白く読ませようと努力しているが、読者を決して軽蔑はしていない」(「菊池寛論」前掲)と書いていた。が、ここで言われている“通俗性なき大衆性”とは、もちろん、単なる〈ポピュリズム=人気主義〉のことではない。それは、この「頭ではなく身体」によって他者と交わろうとする菊池寛の生き方のことを指していた。
たとえば、それは、菊池寛の次のような言葉のなかに分かりやすく表れているだろう。
「芸術的価値を作るだけで満足している人、その人を芸術家としては尊敬する。が、そんな人は、自ら好んで象牙の塔に立てこもる人である。芸術的価値、芸術的感銘、それも人生に必要がないとはいわない。それも、人生をよりよくする。わるくするとはいわない。が、それだけ作るだけでは、あまりに頼りない。〔…〕芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ。それは十九世紀頃の芸術家の風俗だが、まだそんな風なポーズを欣んでいる人が多い。 文芸は経国の大事、私はそんな風に考えたい。生活第一、芸術第二。」「文芸作品の内容的価値」大正十一年七月
これは関東大震災の一年前、そして、『文藝春秋』創刊の半年前の言葉になるが、ここで注目すべきなのは、芸術至上主義と大正教養主義全盛の時代のなかで、こうもあっさりと「生活第一、芸術第二」と言ってしまえる菊池寛の図太さと正直さである。菊池は、当時の意匠である「芸術」(自己表現)などに、それ自体としての価値を見ない。もし、「芸術」に価値があるのだとすれば、それは、個々人の
「人生」に呼びかけ、それを豊かにする限りのことでしかない。ここには、時代の流行思想などではびくともしないリアリストの眼がある。小林秀雄の言う“通俗性(意匠)なき大衆性”とは、この「常識」のことを指していたと考えていい。
では、菊池寛の「通俗性なき大衆性」を駆動していたものとは一体何なのか。
結論から言えば、それは…(続きは本誌にて…)
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