歴史の受験勉強から考える学問のたのしさ

九鬼うてな(17歳・生徒・京都府)

 

「1789年7月14日、パリ市民がどこを襲撃して、フランス革命が開始されたか。」

 バスティーユ牢獄。

「1789年8月4日、農民の放棄(「大恐怖」)に脅威を感じた国民議会が、貴族の提案で決定・発布した宣言は何か。」

 封建的特権の廃止。

「1789年8月26日に国民議会で採択された、フランス革命の理念を示した宣言の一般的な名称は何か。」

 人権宣言。

 そのうち細かいところまで覚えきってくると、

「せんななひゃくはちじゅうきゅうねんしちがつじゅうよっ」

 のところで「バスティーユ牢獄」とわかるようになる。わかるっていうか、もはや反射だけど。

 

 高1の冬から受験の為に世界史を勉強し始めた。敬愛する茂木誠先生の講義系参考書を片手に、悪名高き山川出版社の一問一答をもう一方の手に、茂木先生の参考書で歴史の流れを理解して、理解した単元毎に一問一答で細かい用語を覚え、知識を定着させていく。この作業は結構たのしいから、一度やると夢中になって、なかなか終わらなかった。おかげで英語と数学の勉強が疎かになった。

 高2の5月になったころ、茂木先生の参考書ではイギリスがEUを離脱した。とうとう世界史も最後の方までやってきたということだ。

 もう一度、一問一答を最初からやってみる。先史時代は普通に覚えていたが、オリエントのくだりで躓いた。半分以上忘れていたり、何か別の用語と混同したりしていた。ここから、一問一答の虱潰し作業にかかるわけだ。

 ひたすら問題を繰り返して、忘れているところがあったらもう一度頭に叩き込む。最初の方は、これはこれでたのしかった。

 しかし、繰り返しやっていると段々と、「歴史を学ぶってこういうことなの?」という疑問がその鎌首をもたげてきた。それは、茂木先生の参考書と一問一答を交互にやっていた時のたのしさを知っているからだ。

 我々人類が生まれ、各地に定住し、獲得経済から生産経済への移行を果たし、文字を利用して歴史を記述するようになった。肥沃な地帯では特に優れた文明が発達した。オリエント史がかくして綴られ、東アジア史がかくして綴られ、ヨーロッパ史が、インド史が、イスラーム史が、東南アジア史が、ロシア史が、そしてアメリカ史が。

 自分が生きている今・ここ・私に至るまでの系譜を人類史の規模で辿っていくのは、世界中の人々と触れ合い、その上で自分、ひいては日本人という民族を世界規模で見た時の位置付けを新たに仮固定することができた気がして、心躍った。これまで理屈はわからずにビジュアルだけでたのしんでいた史劇映画も、前より細かいところまで見られるようになった(僕のお気に入りは「アラビアのロレンス」だ)。この時の世界史のたのしみはひたすら一問一答をやっている時のたのしみとは違う。

 前者は「愉しみ」という感じで、後者は「楽しみ」という感じ。

 受験勉強を通して、歴史を学ぶことの「愉しさ」を知ることができたが、「愉しさ」の海に浸っていられるのは最初のうちばかりで、だんだんとほぼ修行になってくる。この修行をゲーム感覚に落とし込めれば「楽しみ」になる。しかし、「愉しさ」の海に浸っていた時の、ある種恍惚にも似た感覚はここにはほとんど無い。

 受験勉強というのは、純粋な学問の良さとは直結しないなにかだと思う。純粋な学問の良さを感じる時には、新しい事柄を知ったら、それがそのまま直感的に「良い」という感触に繋がる。例えば、読書体験というのはおしなべてそういう種のものだろう。他にも、僕は文系だが数学も人並みには好きなので、学校で新しく習う公式とか概念に胸躍ったり、学校ではやらない数学の歴史とか、高校数学の延長線上にあるものについて調べるのも中々良い。そういう胸躍る体験が、受験勉強という、大学進学を希望する高校生が避けては通れないプロセスにはなかなか存在しない。極論だがこれは専ら苦痛。なんなら、果たしてこれを極論であるという高校生がいるだろうか(いや、いない?)。

 我々高校生は、自らの内部より湧き出る知的好奇心の泉を一度蔑ろにして、受験勉強という、学問から面白さという面白さを絞り尽くした後の残り滓をしゃぶりついてゆかなければならない。我々は青春を文字通りドブに捨てる覚悟で勉強して、やっとの思いで志望校に入ることが出来る可能性を掴めるわけだ。生半可な気持ちでは志望校に殺される。時運の赴くところ、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって志望校合格の門戸を開かんと欲す。僕の受験戦争は、まだ終わっていないのだが。