最新刊、『表現者クライテリオン2024年11月号 [特集]反欧米論「アジアの新世紀に向けて」』、好評発売中!
今回は、前回に引き続き、特集座談会の一部をお送りいたします。
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片山▼ しかし、徐々にそれでは無理だと分かってくる。会沢正志斎は幕末の日本に尊王攘夷思想を広めた最大の人物ですが、その会沢も結局「開国やむなし」という立場をとることになります。つまり、西洋の科学技術や文物、制度を学び、西洋と対等の力を得るところまではうまく立ち回り、攘夷できる段階になったところで攘夷をやればいいという考え方に落ち着くわけです。これが幕末における尊王攘夷思想の現実主義的な対応でした。
明治以降の日本では「アジア主義」や「日本主義」という言葉が登場します。政治や思想の表に出てくるものは脱亜入欧的なものだけれども、それはあくまでも西洋に対抗する力を身につけるためであり、西洋と対等な科学技術や軍事力を持った上で、「和魂」という価値によって西洋を跳ね返そうとしたわけです。
一方で福沢諭吉は、西洋や東洋ではないユニバーサルな文明があると考えました。西洋文明は「反東洋」として存在するのではなく、様々な歴史的事情からユニバーサルな近代文明として先行しているのであり、日本も同じ土俵に乗るべきだということです。
福沢のような西洋も東洋も同じ普遍的な文明の中で争うべきだという考え方と、西郷隆盛や岡倉天心に象徴される、東洋には西洋とは別の文明があるはずだという考え方は、明治以降の日本において表裏をなしていました。表に福沢的な文明観があり、その裏にあくまでも東洋文明として洋才を取り入れた上で西洋を跳ね返すべきだという考え方があり、そうした価値観のもとで大東亜戦争時には「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」といった考え方が登場します。しかし、戦争に負けてしまったことでアメリカ流のグローバルスタンダードに従うようになりました。客観的に見れば以上のように整理できると思います。
藤井▼ 近代日本において、その二つの世界観は対立しながらも共有している部分や参照し合う部分もあり、複雑な様相が展開されてきたということですね。柴山さんはいかがですか。
柴山▼ 欧州文明の力が相対的に落ちてそれ以外の地域の力が上がっているのは、産業技術や経済に依るところが大きいですよね。十九世紀末の時点で近代国家と呼べたのはヨーロッパとアメリカ、かろうじて日本ぐらいでしたが、当時と現在の大きな違いは、今は日本以外でも発展しているアジアの国が山ほどあるということです。日本は一人当たりGDPで見ればシンガポールや香港にずいぶん負けていますし、台湾や韓国にもほぼ追いつかれている。豊かさという面では日本はトップランナーではなくなっています。
日本はまさに「西洋の衝撃」を受けたところから国づくりを始めて、内乱もクーデターも、テロも対外戦争も経験し、西洋思想に対抗しようとして右翼思想も出てきた。そういう紆余曲折を経て、昭和の後半くらいからようやく安定軌道に乗ってきました。他のアジア諸国も、近代国家を形成したり資本主義に移行したりする際に起こる様々な問題を体験しているか、これから体験していくと思います。中国でもインドでも、スムーズに経済が成長して安定した大国になるわけがないんですね。今や経済力で見れば日本はアジアのトップランナーではないかもしれませんが、近代国家の建設過程で他国に先駆けていろいろなことを経験したという意味では、一日の長があると言えると思います。今まさにキャッチアップしようとしている国々に対して日本は自らの経験から何が言えるのか、幕末から明治、昭和にかけての日本の経験にどこまで普遍性があるのかということが気になります。
そこで参考になったのが片山先生のご著書である『皇国史観』(文春新書)です。江戸時代以前から、日本は王朝の断絶がないという点で中国やインドとは異なっている、という考え方がありました。そこで近代的な国づくりをする際に、政治的な軸となるべきものとして天皇が注目され、半ば強引に国家の中心に据えて国家を組織化していったわけです。国家がまとまっていくには軸が必要であり、その軸を作る過程で様々な問題も起きてくるわけですが、この点、アジアの国はこれから何を軸に据えていくのかというところに関心があります。
藤井▼ おそらく日本以外のアジアでは、日本以上に西洋と東洋の文明間のコミュニケーションの困難が生じているのではないかと思います。そしてそんなコミュニケーション不全は自ずと暴力的関係を惹起し、その結果、宗主国と植民地という隷属的関係が成立していくのだと思います。もちろん今では資本主義というマイルドな形になっているのですぐに大砲ぶっ放して威嚇して植民地にするという話にはならないでしょうが、資本の所有関係を通してかつての帝国主義的な隷属関係が作られているということになっているわけです。
そうだとすると、天皇という徹底的に東洋的な視点をゆるがせにしないまま、福沢諭吉的なユニバーサルな世界観を用い、西洋とコミュニケーションを図ろうとしてきた日本のやり方には、他のアジア諸国に参照してもらえる可能性があるのではないかというお話だったのではないかと思います。こうした議論について、浜崎さんはいかがお感じになりましたか?
浜崎▼ まず、今回の特集が「反欧米論」ということなんですが、それなら、改めて「欧米」の価値観とは何であって、今、なぜ、それが反省されなければならないのかということを、まずは、歴史的、思想史的に整理しておいた方がいいのではないかと考えています。
それを考えるとき、ヒントになるのは、やはり近代日本における最初の「反欧米論」、つまり、大東亜戦争期に起こった「近代の超克」議論です。例えば、京都学派の歴史学者である鈴木成高は、乗り越えられるべき欧米を三つの要素で定義していました。「政治においてはデモクラシーの超克であり、経済においては資本主義の超克であり、思想においては自由主義の超克を意味する」と。もちろん、その三つの主義は、欧米においては有機的に絡まっているわけで、その結び目を成していたものが、「キリスト教」であり、そこから導かれる「人間中心主義」でした。神に似せられて造られた人間は、神とその「理性」を分有しており、そうである以上、この世界においては人間以上の被造物は存在しない、という思想です。
ここにおいて、神の「理性」を媒介とした世界把握(自然科学)の可能性が見出され、さらには、私たちの周りにある自然を単なる「モノ」として操作する西洋的「主体」が現れてきます。そして、この西洋的「主体」による政治秩序の構成(社会契約論)においてはデモクラシーが、経済秩序(等価交換)の構成においては資本主義が、そして、その「主体」の権利を整える思想として自由主義が現れてきます。
とはいえ、「主体」の背後に「神」が感じられている間はまだよかった。が、十八世紀末から十九世紀、ニーチェが言うように「神」が死んでしまって以降は違います。
例えば、ハイネは『ドイツ古典哲学の本質』の中で、「人間中心主義」を加速した人物として二人の名前を挙げていました。カントとロベスピエールです。
カントは『純粋理性批判』の中で、神が人間を造ったのではなく、人間の「理性」が神の概念を作り上げたのだと論じましたが、その政治的な応用が、ロベスピエールによるフランス革命だったと言うのです。王権神授説の信憑を破壊し、その伝統を否定した先で、人間の「理性」による社会設計のプロジェクトを立ち上げること。ここに宗教的伝統から「主体」を解放する自由主義、「主体」の意思決定を絶対視するデモクラシー、「主体」による自由な等価交換を促進する資本主義の暴走が始まることになります。
しかし、二十世紀に入ると、…(続きは本誌にて)
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