2024年10月11日、今年のノーベル平和賞が「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」に授与されることが発表されました(注1)。日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理以来、50年振りのことで2例目となります。
日本被団協は、「ふたたび被爆者をつくるな」との被爆者の願い(訴え)を掲げて、原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外に代表を派遣し、国連や世界各地で原爆の写真展を開くなど地道な活動を続けてきました。
現在、「ヒバクシャ」は世界に通じる言葉となっています。
1978年の第1回国連軍縮特別総会に代表団を派遣し、1982年の第2回総会では代表委員の山口仙二氏(故人)が被爆者として初めて演壇に立ち、火傷を負った自らの写真を示しながら「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア ウォー ノーモア ヒバクシャ」と訴えて国際社会に対して核兵器の廃絶を迫りました。今回の日本被団協の平和賞受賞を伝える報道でも、山口氏による歴史的な演説の写真や映像が使われていたのでご覧になった方も多いのではないかと思います。
また、日本被団協の活動は、核廃絶を目指す国際的な枠組みにも影響をもたらしています。核兵器の開発や保有などを禁止する「核兵器禁止条約」を巡って、全ての国の参加を求める1,370万人分余りの「ヒバクシャ国際署名」を集め、その活動が2021年1月の同条約の発効に繋がったとして高く評価されています。
ノーベル賞委員会は、日本被団協の受賞理由について「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきた」と説明しています。その上で、日本被団協の活動について「日本被団協は、数千件に及ぶ証言を収集し、決議や公開アピールを発表し、毎年代表団を国連やさまざまな平和会議に派遣し、核軍縮の緊急性を世界に訴え続けてきました。いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。しかし、記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです」と評価しています(注2)。
以前の記事で、「沖縄では、沖縄戦や米軍統治下時代の沖縄、沖縄の日本復帰が実現するに至るまでの経緯を『体験していない世代の人間が如何にして語り継ぐのか』という『記憶』の継承の課題が浮上している」ということについて論じたことがあります。
【藤原昌樹】如何にして「記憶」を継承するのか―『沖縄の生活史』を読む | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
【藤原昌樹】「沖縄の戦後史」に思いを馳せる日―52回目の「本土復帰記念日」 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
日本被団協による「広島、長崎(の原爆被害)を生き抜いた被爆者の証言」を語り継ぐことを通して「被爆者の経験とメッセージ」を次世代へと継承しようとする取り組みが「核兵器使用は道徳的に許されない」とする国際的な規範「核のタブー」を醸成することに大きく貢献してきたという事実が、(沖縄のことに限らず)「記憶」の継承の課題に直面している私たちに対して多くのことを示唆してくれているように思えます。
ノーベル賞委員会が今年の平和賞を日本被団協に授与することを決めたのは、「国際社会における核廃絶への流れが逆行し、核兵器が実際に使われる懸念がかつて無いほどに高まっていることに危機感を抱いたからであり、広島、長崎の原爆投下から79年間にわたって『核なき世界』の実現を訴え続けてきた被爆者の活動に焦点を当てることによって、高まる核リスクに警鐘を鳴らすことを意図していた」と言われています(注3)。
2022年2月にウクライナに侵攻したロシアは核の威嚇を繰り返しており、事実上の核保有国であるイスラエルと核開発を続けるイランが対立する中東情勢も緊張が高まっています。また、東アジアにおいても北朝鮮が核・ミサイル開発を推し進め、中国も核戦力を急拡大するなど、世界中で核を巡る情勢は厳しさを増しています。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推計によると、2024年1月時点での世界の核弾頭総数は1万2,121発であり、昨年と比べて微減していますが、解体予定を除いた運用可能分に限れば微増となっています(注4)。
「核兵器禁止条約」は2021年に発効し、これまでに73の国と地域が批准していますが、米国やロシア、中国などの核保有国や、米国の「核の傘」の下にある日本などは参加しておらず、核保有国と非保有国との間の溝は埋まっていないと言わざるを得ません(注5)。
また、核保有国を含め、国連加盟国のほとんどにあたる191の国と地域が参加する「核拡散防止条約(NPT)」の再検討会議が、2022年8月にニューヨークで開かれ、世界の核軍縮に向けた道筋を示すことができるのかが注目されていましたが、ウクライナの原発周辺での軍事行動に「深刻な懸念」を示す最終文書の採択にロシアが強硬に反対したために決裂したまま閉会しました。次回のNPTの再検討会議が2026年に開かれる予定となっており、その準備委員会が既に始まっていますが、核を巡る情勢は厳しさを増しており、核軍縮に向けて各国が歩み寄ることができるのか否かが焦点となっています(注6)。
世界の核弾頭の9割を保有する米国とロシアとの間では、戦略核兵器の削減義務や相互査察などを定める「新戦略兵器削減条約(新START)」が締結されて、2011年に発効し、2021年には5年延長することで合意されました。しかしながら、2023年2月21日にロシアのプーチン大統領がモスクワで行なった「年次教書演説」で、一方的に「新START」の履行停止を表明し、同条約のもとで行われてきた核戦力に関する情報の提供を打ち切り、米国も対抗措置として情報提供を行わないことを明らかにしています(注7)。
二大核保有国である米国とロシアの間で唯一存続する核軍縮枠組み(新START)が消滅する可能性が出てきているのであり、核軍縮の枠組みを継続することができるのか否か、極めて不透明な状態になってしまっています。
核保有国間の対立激化によって国際社会の核軍縮機運が雲散霧消し、世界は際限なき核軍拡競争に突入してしまっています。それどころか、核兵器の近代化といった「質的な核軍拡」の動きが顕著になっています。現状では国際社会における核軍縮・核廃絶に向けた取り組みが行き詰まりを見せており、極めて厳しい事態に陥ってしまっていると言わざるを得ません。
国際社会に拡がる相互不信を背景に「核兵器の国際管理体制」が深刻な危機に瀕しているのであり、これまでになく「核リスク」が高まっていることは明らかです。
日本被団協は、1984年11月に発表した「原爆被害者の基本要求」で「被爆者のねがい」として「『ふたたび被爆者をつくるな』は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界の人々の願いでもあります。核兵器は絶対に許してはなりません」と掲げており、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」として「被爆者は『安全保障』のためであれ、戦争『抑止』の名目であれ、核兵器を認めることはできません。『核の傘』を認めることは、核兵器を必要悪として容認するものです。『核の傘』とは、私たちにとって、原爆のきのこ雲以外の何物でもありません」と記しています(注8)。
原爆がもたらした「地獄」を体験した被爆者たちが「核兵器のない世界」を理想として「核兵器の廃絶」を求めることは至極当然のことであるように思われます。
しかしながら、「核兵器の廃絶」を目指すことが「ふたたび被爆者をつくるな」という被爆者の願いに応えることに繋がるのではなく、「核兵器のない世界」の悪夢へと続く途でしかないというところから議論を始めていかなければなりません。詳しくは「核兵器のない世界」の悪夢について論じた記事(注9)を参照していただきたいのですが、当該記事では次のように論じています。
「核」に関する知識も「知識の不可逆性」の例外たり得ないという至極当然な事実に思いを巡らせたとき、「核兵器のない世界」を国際社会が目指すべき理想とすること自体が「綺麗ごとに過ぎない」と断ぜざるを得ません。
「核兵器のない世界」が理想として成り立つためには、既存の核兵器を全て廃絶するだけでは不十分であり、全人類の頭の中から「核」に関する全ての知識と情報を消去して再現できないようにしなければならないのですが、我々人類が「核」に関する知識という「禁断の果実」を手にしてしまった以上、「核」を知らない時代へと歴史を後戻りさせることがそもそも不可能な話なのです。
「核知識」そのものが不可滅である以上、「核兵器が廃絶された瞬間が国際社会にとって最も危険」であり、「核廃絶」が実現した後に「核」を不法に製造・保有した単独者が世界の絶対的な覇者になる異常事態が生じ得る可能性を否定することができないという冷厳な事実、現代文明が「核廃絶は理想ではなく(絶対的覇権の登場を予感させるという意味で)悪夢である」という逆説に陥ってしまっていることを認識するところから議論を始めなければならないのです。
私たちは、「核兵器」の廃絶を目指すことが「核兵器のない世界」という理想へと繋がる途ではなく、国際社会が「核兵器を手にした独裁者」に為す術もなく対峙せざるを得なくなる「悪夢」へと通じているということを認識するところから始めなければならないのではないでしょうか。
【藤原昌樹】「核兵器のない世界」の悪夢と我が国が目指すべき「核武装」について考える ―『沖縄の核』と『核武装論』を読む―(前編) | 表現者クライテリオン
【藤原昌樹】「核兵器のない世界」の悪夢と我が国が目指すべき「核武装」について考える ―『沖縄の核』と『核武装論』を読む―(後編) | 表現者クライテリオン
「核兵器のない世界」を国際社会が目指すべき理想とすること自体が「綺麗ごとに過ぎない」と断じていますが、その「綺麗ごと」が、戦後の国際社会における「核のタブー」を醸成し、確立することに重要な役割を果たしてきたということもまた紛れもない事実です。
戦後、米国やロシアをはじめとする核保有国の間で「核報復兵器を保有することで核の使用を思い止まらせる」という意味での「核抑止」が機能し、その結果として「広島と長崎以後、現在に至るまで戦争で核兵器が使われることがなかった」と言うことができますが、そもそも国際社会において「核のタブー」が広く共有されていなければ、核保有国の間で「核抑止」が十分に機能することはなかったに違いありません。
ノーベル賞委員会は、「日本被団協」に平和賞を授与した理由の中で「約80年間戦争で核兵器が使われていないという事実」に言及しており(注2)、国際社会で共有されてきた「核のタブー」が、核保有国に核の使用を思い止まらせることに重要な役割を果たしてきたこと、「日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力」が、その「核のタブー」を醸成し、確立することに大きく貢献してきたということを記しています。
先般の「表現者塾」(2024年10月12日)において、講師の小泉悠氏が質疑の際に「日本被団協のノーベル平和賞受賞」について問われて「戦場での使用を目的とする核出力を調整できるタイプの小型核爆弾があり、世の中で『核を使うということがとんでもない事である』という理解がなければ、いま頃ロシア軍はとっくに(核を)使っている」「現時点でロシアが核を使っていないのは、ロシア側の倫理観として『核を使うことはとんでもないことだ』との理解があり、米国もロシアに対して『もし核を使えば、直接介入する』とのメッセージを繰り返し送っているからである」「TNT火薬換算での爆発の規模や放射能汚染の程度が大したことはないとしても、それでもロシアが核を使えないのは人々の価値観・倫理観の力である」「実は今回の日本被団協の受賞理由にもそういうことが書いてある」という趣旨のことを語られていました。
すなわち、現在のロシアによるウクライナ侵攻で、ロシアが核の威嚇を繰り返しているにもかかわらず、実際に核を使うことができずにいるのは、国際社会における「核のタブー」が確立し、そのタブーが広く共有されているからであると言うことができるのです。
「核兵器のない世界」を理想として掲げて「核兵器の廃絶」を目指す日本被団協や被爆者らによる原水爆禁止運動と、「核抑止力」に期待して「核保有」を肯定する考え方とは、一見すると矛盾して互いに相容れない関係であるように思われがちです。
しかしながら、両者の違いは、「核の悲劇を繰り返さない」ために「核兵器の廃絶」を実現することによって「核兵器のない世界」という理想を目指すのか、「核兵器の廃絶」を目指すことがかえって「核の悲劇」を招くことに繋がりかねないということを認識し、「核の存在」を前提とする「核兵器の国際管理体制」を構築することで「核の悲劇」を防ぐことを目指すのかということでしかありません。
「核の悲劇を繰り返さない」という究極の目的は共有しているのです。
人類が「核」に関する知識という「禁断の果実」を手にしてしまっている以上、我々は「『核の悲劇』を防ぐためにこそ『核』を保有しなければならない」という逆説と対峙し続けなければなりません。
「核兵器の廃絶」によって「核兵器のない世界」を実現するという単純明快で分かりやすい方途ではなく、「核のある世界」において「決して核兵器を使ってはならない」という「核のタブー」を共有し、「核を使う」という誘惑に抗い続けるといった、あたかも綱渡り師が一本の平行棒を頼りに綱の上を歩み続けるかのような、より困難な途を行かなければならないのです。
日本被団協や被爆者らが「広島、長崎(の原爆被害)を生き抜いた被爆者の証言」を語り継ぐことによって国際的な規範としての「核のタブー」を醸成し、確立することに大きく貢献してきたということは、衆目の一致するところです。「日本被団協」が果たしてきた役割の重要性は、どれだけ強調してもし過ぎるということはありません。
「日本被団協」のノーベル平和賞受賞に祝意を表するとともに、二度と「核の悲劇」が繰り返されないことを祈念して筆を置きたいと思います。
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(注1)【詳細】ノーベル平和賞に日本被団協 被爆者の立場から核兵器廃絶訴え 日本の受賞は50年ぶり 広島 長崎の声 | NHK | ノーベル賞2024
・ノーベル平和賞 日本被団協とは 被爆者の声を68年にわたり世界に発信 | NHK | ノーベル賞2024
・ノーベル平和賞に日本被団協 ほおをつねって「本当にうそみたいだ」 | NHK | ノーベル賞2024
・ノーベル平和賞の被団協が会見 喜びと今後に向けた思いを語る | NHK | ノーベル賞2024
・ノーベル平和賞 日本被団協 受賞の理由と背景は【解説】 | NHK | ノーベル賞2024
(注2) <全文>ノーベル平和賞 受賞理由 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注3) 被団協にノーベル賞/高まる核リスクに警鐘/「廃絶」逆行に危機感「琉球新報」2024年10月12日
(注4) 特に中国の核戦力の急拡大が目立っており、将来的には大陸間弾道ミサイル(ICBМ)を核大国の米露に匹敵するほど多数配備する可能性もあり、「中国の核兵器保有は今後10年増え続ける」と推計しています。また、北朝鮮の核弾頭保有について今後も増加すると予想し、「北朝鮮は他国と同様、戦術核兵器の開発に重点を置きつつある」として「北朝鮮が紛争の初期段階で核を使う危険性もあり得る」と分析して警鐘を鳴らしています。
・ 中国が保有する核弾頭は推計500発 ストックホルム国際平和研究所「24発が実戦配備」 各国の抑止力依存進む | 共同通信 プレミアム | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
(注5) 核兵器の禁止に関する条約 – Wikisource
・Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons – Wikisource, the free online library
・核兵器禁止条約とは?条約の意義、日本の参加は?ノーベル平和賞受賞団体の運営委員に聞いた。 | ハフポスト NEWS
(注6) 核拡散防止条約 – Wikipedia
・核拡散防止条約再検討会議、ロシアの反対で決裂 ウクライナへの言及めぐり – BBCニュース
・ NPT再検討会議の準備委員会始まる 核軍縮に向け歩み寄れるか | NHK | 核軍縮
・ロシア大統領、新START履行停止を表明 脱退はせず | ロイター
・米、ロシアへの核情報提供を停止 新START履行停止に対抗 – CNN.co.jp
・ロシア、新START履行停止見直さず 米国の対抗措置でも | ロイター
(注8) 日本被団協「『原爆被害者の基本要求』の発表にあたって(昭和59年11月18日)」
・日本被団協「原爆被害者の基本要求」
(藤原昌樹)
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