ハーネスとロープ

吉田真澄(東京都・61歳・会社員)

 

 西部邁氏の訃報に接して、私は氏が自裁にいたる最期の瞬間まで、その判断力や思考において、混迷や自棄に侵されていなかった、という前提から論をすすめてみたい。
 今となっては、その真偽は神のみぞ知るところであるがこの事件の顛末が明るみに出るにつれ、どうしても気になって仕方なかったのは、氏の死をめぐる道具立ての悪さであった。生前、言行両面で真の意味の、スタイリッシュな人物であった氏が最期の瞬間に身をあずけたハーネスとロープ。あの日、水際で氏の亡骸に立ち会ったわけでもないが、私は、その無骨で機能一辺倒の道具たちの記号性に胸騒ぎを覚えるのである。
 それらは、偉大な思想家の最期を演出するというより、市井に生きた或る男のちっぽけな死を表現しているかのようである。ここで二つの仮説からこの事件を解釈してみたい。

 「西部氏は自死を矮小化したかったのでは」。

 物心ついた年頃から、近代人の生にまとわりつき、臨終の姿や式典のあり様までを支配しようとする自我の影を、氏は、やがて訪れる精神の混濁に委ねることなく、断ち切ってみせたかったのではないだろうか。
 氏は、自宅で静かに迎えを待つような自然死を選ばず、医療機関における手厚く、近代科学的な末期ケアを選ばず、混迷や混濁を選ばず、太宰や三島のようなスキャンダラスな死を選ばなかった。そこに何があるのだろう。それは、あくまで私的で強靭な意志の力によって、徹底的に滅私を志向し、近代的な自我や自意識を乗り越えるという、一種、論理矛盾とも解釈されかねない行動を選択したのだ、ということなのではないだろうか。生前の氏の「大衆」に向けられた愛憎半ばし、かつ愛憎溢れる言行から推しはかられるのは、「矛盾? 大いに結構、でも僕は、市井の中に帰っていくよ。」そんなサイレント・メッセージだったのではないだろうか。

 「西部氏は公と私のつながりを示したかったのでは」。

 自らの最期をまさに、路傍の石として演出した西部氏の死は、まず「死の私性」を透徹するというかたちで提示され(私は、短銃による自害は、死が持つ圧倒的な埋没性への理解を困難にする、と考える)、後に予測される世論への対比物として言論空間へ投げ込まれたようにしか思えない。氏の死後、大方のメディアが報じるであろう、生前の西部のパブリックな生き様、論評。その結果、やがてコントラストとして見えてくる、私と公の抜き差しならぬ関係。
 近代人の精神の、公と私をつなぐこと。生前、西部氏が言論を通じ、道半ばで挫折したその道を自らの肉体を使ってまで繋ぎ直し、修復しようとした氏の最期の意思と表現能力、そして常人では理解しがたい舞台回しの大きさに、私はあらためて敬意を表したい。
 最期まで身近に寄り添い、氏の心身のケアをなさった方々にこの論評がどう感じられるかは、わからない。しかし、私は氏の行動を、このように感じ、解釈した。その意味で……
 西部は断じて、耄けてなどいなかったのである。