若い女性はいつの時代でも注目されるが、現代日本での注目度は特別である。可愛い女の子をチヤホヤするという話ではなく、政治も経済も地域社会もすべてが「若い女性という年齢層」を必要としているからだ。言うまでもなく「人口減少社会」が関係している。
いま、女性に対する要求や圧力は嫌になるほど強まっている。
「女性活躍社会」と称して、女性も社会でキャリアを積み「華々しく活躍しましょう!」と勧誘して、生産労働人口の減少を埋めようとしている。さらに、第3号被保険者制度の廃止で「外濠」を埋めて、主婦にも社会保険料を払わせようとする。遺族年金も見直される。将来、年金がもらえなくなると困るから、「華々しい活躍」などできない女性も働かざるを得ない。
少子化は、経済的理由で結婚をためらう若者が多いからだと言って、何万円かを配るから家庭を持てという。子育ての支援金をチラつかせて、出産や、できれば第二子を期待する。若い男性の意識は昔に比べて大分変化したとはいえ、まだまだ子育ては女性の負担が大きい。幼少期は勿論、学齢期の子供の塾選びから塾の送り迎え、受験競争を勝ち抜くのも母親の役目だ。高齢の親の介護も、ほとんど女性に頼っている。
人手不足や人口減少社会の解決策の大半が、女性、とくに出産可能年齢の女性への要求の総攻撃になっているのだ。
まるで、戦時中の「産めよ増やせよ」のようだと思うことがある。子供を産むことが国民の義務であり責任であると、暗に責められているような気がする。「このまま日本の人口が減り続けたら、国力は衰退して消滅してしまう。子供を産めるのは若い女性なのだから、彼女たちが結婚して子供を産むのは当然で義務なのだ……。」しかし、子供を産むことが「善」で、家庭で働く主婦よりも社会で働く女性が「進歩的」だというのは、国家の勝手な都合である。
地方の女子高校生が卒業すると、都会の大学に進学したり、都会での仕事を求めたりして地元を離れる。そして、そのまま帰って来ない。地方行政は、経済支援や住宅支援などで若いカップルを地元に引き留めようとするが、若い女性がいなければ、カップルも成立しない。
地方から都会へ若い女性が流出するのは、地方に仕事がないからだというが、それだけだろうか。
村役場のおじさんたちには、女性の「幸福」という視点が欠けている。地方自治体の婚活支援には、若者を引き留めて労働力や税金を払う人口を確保したいという「自治体存続の意図」が見え見えで、お金で解決しようとする発想しかない。あくまでも自治体本位の考え方だ。
地方から若い女性が消えるのも、そこには彼女たちの「幸せの芽」が見えないからだ。育った土地が嫌いなわけではないだろう。けれども、都会よりもパワハラやセクハラに寛容な地方社会の職場で働きながら「嫁」になり「妻」になり「母」になることに、彼女たちの「幸せな未来」が見出せない。両親や地元のおじさんやおばさんが、未来の自分の限界だ。誰も、彼女たちの「夢」や「未来」を考えていないと肌で感じ取っているのだ。自分は、この地方の単なる「労働力」ではない、「人口増産ロボット」ではない、都会へ行けば何か別の人生がありそうだ……。
都会に出た女性が結婚するかと言うと、それもそんなに簡単なことではないらしい。非正規労働者が多い都会では、理想的な相手との出会いは難しい。マッチングアプリが盛況なのは、若者が結婚を否定しているわけではないということを表わしている。相手が見つかっても、生活の不安から若い男も女も結婚をためらう。結婚しても出産をためらう。最近の都会の地価高騰では、彼らの収入の範囲で子育てが可能な家賃の住居はない。女性が産後も仕事を続けるには、保育料を支払って誰かに子供を預けなくてはならない。就学年齢になれば教育費がかかる。
社会に出て仕事をしろ、社会保険料を払え、子供を産め、子育てをしろ、ちゃんと教育をしろ、もちろん家事をこなすのは当然だ……。そして、バタバタ暮らしているうちに、親の介護問題が生じる。あまりの圧力に、考えただけで疲れてしまう。
国や自治体の問題意識は、合計特殊出生率や将来の生産労働人口や高齢化率等々の諸々の予測データや数値目標を掲げ、「あなたの子供」の話ではなく、「将来労働力になる予定の人口」の話になっている。将来の国家設計上の義務として「支援するから子供を産みなさい」と言われて、「はい、そうですか」と言う女性がいるだろうか。 散々減反しろと言いながら、コメが足りないから高齢化した農家の後継者が必要だとか、仕事上では夫婦を別姓にしてまで女性に活躍しろと言いながら、労働力不足だから結婚して子供を産んで人口を増やせという政界経済界の御都合主義に、彼女たちは抵抗感を覚えている。
子供を持つということは、女性にとっては「人生の大問題」だ。男にとっても一生がかかった問題だろうが、身体も時間も一定期間拘束される女性にとっては、それ以上の重さがある。人生を賭けた問題を、「次世代労働力の生産」の数値目標達成のための道具のように扱われてはたまらない。
まして、この情報化社会である。学歴がなければどんな職業に就くのか、親から受け継ぐ資産のなかった父親が生涯苦労して働いても年金だけでは老後の生活が苦しいらしい、高学歴でエリートサラリーマンの父親だって簡単にリストラされることがある、職場でセクハラやパワハラに遭っても「男社会」で働き続けなければ費用の掛かる子育てはできない、等々、人生の先の先まであれこれ教えてくれる情報過多の時代である。自分の子供も教育で将来が決まるなら、あまり希望が持てないだろうとか、自分に資産がなければ、子供は苦労するのが目に見えているとか、したくもない想像をしてしまう。自分も「親ガチャ」を痛感して諦めた。自分の子供も同じだろう。世界中の国で格差が増大し、富裕層なら躊躇なく子供を持てるが、中層下層階級では「子供は贅沢品」とまで言われて、少子化が進んでいるらしい。
経済問題だけではない。オンラインゲームの弊害や闇バイトなどの広域犯罪は、現実社会での生命が軽視されていることの表れだ。スマートフォンというツールが犯罪への距離を短くしてしまった。現実の行動には高いハードルがあるのに、手許のタッチひとつでそれを越えてしまう。誹謗中傷や詐欺や盗写や児童ポルノもフェイク画像も、罪悪感なく誰にでもできるようになってしまった。いまの不安に満ちた社会を生き抜くだけで精一杯なのに、こんな不安な世の中に自分の子供を送り込むなんて、子供が可哀そうだ。かくして、子供を持つなどという選択は、だんだん難しくなっていく。
未来のことはわからないと言っても、人口の動向は予測がつくものなのに、氷河期世代を見捨てたことが、いまの急激な人口減少を招いたことは知られている。氷河期世代は、デフレを理由に続いた企業のコスト削減の被害者であり、低賃金で働く外国人労働者が競争相手になる「日本版・忘れられた人々」と言えるかもしれない。非正規労働というのは、経済問題である以上に、彼らの人生問題だった。彼らの悲惨な老後が見え始めた今頃になって、慌てて救済策が云々され始めたが、政府は長い間、彼らひとりひとりに人生があるということを考えなかった。氷河期世代が年金受給年齢に近づくまで、非正規労働で年金受給資格を持てなかった者の救済を考えなかった。若者たちの親世代の周辺には、人生を失った人たちがたくさんいる。
男にとっても女にとっても、よい伴侶に巡り合うことは人生を豊かなものにしてくれる。人生の最後の最後に求めるのは、お金でも名誉でもなく、伴侶のぬくもりだ。キャリアを持つ女でも、一緒に居たい男がいれば結婚する。明るい未来が描ければ、子供が欲しいと思うのは自然なことだ。
苦労することが嫌なのではなくて、苦労を理解してもらえる社会ではないから、結婚も出産も躊躇する。あれもこれも要求されて、そんなことはできないと、社会の要求を拒絶して独りで生きて行こうとする女性が増えた。ホストに入れあげるのは、淋しい女の子たちだ。ずっと無視されて来たから、関心を持ってもらえるなら、なんでもする。社会の要求の多さが、若い女性たちを追い詰める。若い女性が結婚や出産に夢を抱けなくなったのは、誰も守ってくれなくなったからだ。自分と子供を守ってくれる男でなければ、女は決断できない。
近代戦は個人の死を見えなくした。近代兵器が大量の人生を軽々と吹き飛ばす。ウクライナでもガザでも、死者は「数」でしかない。日本が第二次大戦で失ったものは多い。戦後、日本に上陸したのは、アメリカのピューリタニズムである。アメリカ独立宣言は、「すべての人は平等に造られており、創造主によって生命・自由及び幸福追求の権利を与えられている」と謳っている。日本人にもこれを適用して、目標にした。目標は価値ではない。目標を与えられても、価値観を喪失した国家は、国民に「精神性」や「倫理観」を提示できなくなっている。ピューリタンの「創造主」は、日本人の「神」ではないからだ。
ピューリタニズムを疑ってみることだ。ピューリタンには「神」がいる。日本にコピーされたピューリタニズムは形だけであって、私たちの「神」は、そこにはいない。ヨーロッパの啓蒙思想も、「彼らの神」との契約から始まる。私たちは、「彼らの神」と、その「契約」をしていない。「彼らの神」が彼らに与えた「価値観」は、日本では通用しない。だから、私たちは精神が「空虚」なまま、戦後80年を何に向かっているのかわからずに走り続けた。空虚だから、社会の価値が「お金」に換算されるようになった。人口減少の解決策も、金銭的支援しか思い浮かばない。
どの世界でも、古代の戦いは「神」と「神」の戦いだった。戦争に負けることは、「我々の神」が、「敵の神」に負けることで、だからこそ「我々の神」のために負けるわけにはいかなかった。「神」を失うということは、精神を失い価値観を失うことだ。心の支えを失うことで、倫理基準を失うことである。
戦争に負けて、どこにも倫理基準なんて見えなくなった。「日本人として恥ずかしくない」生き方が、わからなくなった。精神の支えを失った社会で、若い女性に「労働力になれ、社会保険料を負担せよ、家庭を持て、産めよ増やせよ、育児をしろ」と過剰な要求をすれば、彼女たちは逃げる。「急激」な少子化は、空虚になった社会の反映でもある。婚活支援や子育て支援より前に、社会の価値観・精神性を取り戻すことが、迂遠なようでいて確かな再生への道ではないだろうか。
〈編集部より〉
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