災害時において、電柱や家屋の倒壊、道路構造物の損壊などにより道路が寸断され、外部から自動車が到達できなくなった状態のことを、孤立という。道路啓開とは、孤立した地域にいち早く緊急車両が到達できるよう、救援・救命ルートを切り啓くことである。二〇一一年の東日本大震災では、発災翌日から「くしの歯作戦」と呼ばれる道路啓開が実行され、内陸部から沿岸部に伸びる国道上の瓦礫の撤去や土砂の処理などが行われた。この道路啓開によって、 津波で被災した三陸の沿岸地域に緊急車両の到達が可能となった。孤立した被災地にとって自動車の往来可能な道路が外部の地域と繋がることは、まさに生命線となる。
だが、孤立の発生は災害時に限らない。『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一は、明治以降の急速な近代化の過程において孤立していく地域が生じたことを書き記している。さらに宮本は、孤立解消のための処方箋として、インフラ整備の必要性を強く主張している。本稿では、宮本常一の唱えるインフラ論について見ていくこととしたい。
宮本常一著作集第二巻『日本の中央と地方』は、宮本が旅する中で目の当たりにした地方の衰退について書かれている。その冒頭部で宮本は次のように述べている。
「ここ二、三年来は時間のゆるす限り、地方の小都会を見ようとしている。それも昔は栄えたけれども、今うらぶれている町に重点を置いている。さびれた町に古い俤をもとめてなつかしかろうとするだけでなく、昔はいかに栄えていたか、それがいまなぜ衰えてしまったか ということについてみきわめたいと思っている。さびれた町の中にはもとそこが海上または陸上交通の要衝であったものが、交通機関の変遷、それにともなって交通路が変更したためさびれていったものがきわめて多い。とくに港町にこの現象がつよくあらわれている。」(宮本、一九六七)
風力を利用する帆船が海上交通において重要な位置を占めていた藩政時代までは、離島や本土の末端に位置する港町であっても、漁業や密貿易の寄港地として繁栄した。しかし、明治以降、火力を動力とする蒸気船や汽船が普及し、寄港の必要性がなくなるにしたがって、これらの港町の多くが衰退してしまったのである。陸上交通においても牛馬の利用や徒歩が中心だった時代が終わり、汽車や自動車といった近代交通が普及すると、鉄道のない地域や自動車の走行できる道路のない地域は衰退していった。かつては日本の端々のいたるところに活気に満ち溢れた町があったが、近代化による交通機関の変遷によって、特に離島や山間部といったいわゆる地方部において孤立性が強まり、後進地域と呼ばれる地域が出てきた、というのが宮本の見解である。
宮本が強調するのは、後進地域はかつて繁栄していたということである。宮本が離島振興法の成立に関係したことはよく知られるところであるが、離島の振興についてもこう記している。
「われわれが想像する以上の文化や財力を僻地が持っていたことは事実であり、その証拠を今はくずれおちている問屋の倉や港の石だたみ道に見ることができるが、そうした地方に蓄積せられていた財力や文化をつきくずして今日のいわゆる後進地域にしてしまった世の中の変化というものに私はひそかにおどろきの眼を見はるとともに、文化のあり方、政治のあり方などはたしてこれでよいものであろうかどうかという疑念をもちつづけてきている。したがって離島の後進性の除去についても、ただ後れをとり戻すというだけでなく、何よりもまずおくれないような仕組を築きあげていくことが第一義でなければならぬと考えている。」(宮本、一九六七)
では、「おくれないような仕組」とは一体何であろうか。近代化による交通機関の変遷が、地方部における後進性や僻地性をもたらしたのであるなら、「僻地性の解消の根本問題はまず交通の整理」であると宮本はいう。
山や谷の多い日本の国土の隅々まで自動車やトラックが走行できる道路を整備し、離島であれば、島内を循環する道路整備はもちろんのこと、船舶が横付けできる港の整備や、本土に近い島であれば本土との間に橋梁を建設する。交通網の確立が、地方の産業を支えると宮本は考えていた。当然、地方に繋がる高速道路の整備にも大きな期待を寄せており、中国縦貫自動車道の建設について対談の中でこう語っている。
「私はその道をつけることに大賛成なんです。要するに、日本を近代化させていく一番大きなテコになるのは道路なんだと、道路以外にないんだと、そしてその道路はすべて峰越しでなければいけないと……。(中略)地方で一戸一戸の収入源になるものは、第一次産業以外にな いでしょう。それが基盤になって、たとえば第三次産業のようなものも存在しうるんですから、ぜひとも第一次産業がもっと完全なかたちで発達してもらわなきゃ困ると思うんです。そのための道だっていう感じがいたします。」(宮本、一九六七)
このように近代化の発展から取り残され、忘れられ、経済的に孤立していく地域を救うためのインフラ論を宮本は展開した。もちろん宮本は、地方の発展のために、道路整備だけでなく生産基盤を整えるための設備投資や人材育成の必要性も唱えているが、近代社会において交通インフラのあり方がその中でも特に重要であることに気付いていたのである。
先述の宮本の発言に「道路はすべて峰越しでなければいけない」とある。峰を越えなければならない理由は、宮本が日本の山中を旅する中で得た洞察から読み取ることができる。
「峰越しの道があるということは、山の向こう側との交流をもたらすとともに、山奥を文化の行きづまりにとどめなくなる。(中略)峰越しの道をもった谷ならば、どんなに、山中であろうとも平地の文化が、いつもその谷奥までさしこんでいたのである。(中略)日本について見ると、どんな山奥であっても通り抜け文化のところには平家谷伝説はすくない。行き止まりになった山奥に平家谷が多いのである。行き止まりでは文化が停滞しやすい。」(宮本、二〇〇六)
平家谷とは、全国の山奥に点在する平家の落ち人が潜んだといわれる地域であり、山中の道路の行き止まりは、落ち人が身を隠したと伝わるぐらい外部との交流が少なく、文化の停滞が起こりやすいということである。一方で、峰を越える道路であれば、外部との交流が促進され、文化的な発展がもたらされる。だから、自動車が通れる道路を整備する際も、行き止まりを作らずに峰を越え、通り抜けていくことが肝要だと宮本は考えていた。
興味深いのは、宮本が交通インフラが経済的な発展をもたらすだけでなく、人々の交流を促すものであることにも気付いていたということである。日本の国土が通り抜けの道路で張り巡らされることで、地域間の交流が促され、国民文化が醸成されるのである。「都市と農村の区別を超えた、強烈な国民文化を生み出したい」とも述べるように、宮本が民俗学者として庶民の個々の物語に耳を傾けながらも国民や近代国家というものを明確に意識していたこと、そして、それらの成立基盤になるのが交通インフラと考えていたことは見逃してはならない。…
(続きは本誌でお読みいただけます)
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