本日は10/16発売の最新号『表現者クライテリオン 11月号 この国は「移民」に耐えられるのか?』より、特集論考お送りいたします。
政府の無策もあり、日本も今や「移民問題」を避けて通れない。
その全容を構造的に明らかにし、解決に向けた基本方針を示す。
日本における移民は年々増加の一途を辿り、現在では約三七七万人に達している (中長期在留者約三四九万人、特別永住者約二七万人の計) 。その総人口に対する割合は三%を超えた。ちなみに二〇二二年時点での世界全体の総人口に対する移民率は三・四%だから、今やもう日本は決して移民なぞほとんどいない例外的な単一民族国家ではなくなったわけだ。
そもそも日本の移民率は諸外国と同様、過去数十年にわたって徐々に増加してきたのだが、二〇一五年以降は特にその「増加率」それ自体が跳ね上がり、移民が急速に拡大する状況に突入している 。このペースなら移民率は五%を瞬く間に超え、激しい移民問題が生じているヨーロッパ各国の一〇%程度の水準に到達するのも時間の問題だ。
こうなったのはもちろん、政府が移民を拡大していくための仕組みをわざわざ作り続けてきたからだ。
まず、かねてより事実上の「移民労働者の受け入れ」のための制度として運用されていた「技能実習制度」の適用範囲が、二〇一五年から二〇一七年にかけて大幅に拡大され、建設・農業や介護で実習生という名の「移民」を受け入れることが可能となった。
二〇一九年には、それまでの「途上国への技術移転のために実習生を受け入れるのであって、労働力不足を補うための移民制度ではない」というタテマエの技能実習制度とは別に、「労働力」としての移民を受け入れることを正当化する「特定技能」制度を政府は作り上げた。これによって、さらに幅広い分野・職種で、より多くの国々からたくさんの労働移民を受け入れることとなった。
その結果、移民の増加ペースが、それまでは年率〇・〇四%程度であったものが、それ以降はその三倍以上の〇・一三%以上ものペースとなってしまったのである。この勢いならば後二、三年で、日本が世界の標準的な移民率を上回ることとなろう。
政府がここまで「過激」に移民増大政策を推進している最大の理由は、産業界から強烈な要請を受けているところにある。
産業界は今、少子高齢化による労働生産人口の減少によって、あらゆる分野において激しい人手不足状態に陥っている。その結果、各企業が適正な利益を得るための生産力の確保が難しくなっている。一例を挙げるなら、地方のバス会社では、十分需要がありビジネスとして十分に黒字経営が可能なバス路線であっても運転手不足のせいで維持できず、廃線を余儀なくされるという事例が相次いでいる。
この人手不足対策のために、先進諸外国が軒並み手を染めてきた「移民拡大」という方向に、我が国政府も舵を切ったのである。
例えば今や外国人労働者は製造業で約二五~三〇%、サービス業で一五%前後を占めている。建設業、農業もまた外国人労働者がいなければ今や成立しなくなっている現場が拡大しており、介護においても同様だ。現下の状況でもしも移民を全面的に禁止し、外国人労働者を強制送還でもするようなこととなれば、廃業せざるを得なくなる製造業者、サービス業者は夥しい数に上ることとなるであろうし、建設や農業も動かなくなってしまう現場が拡大することは必至なのだ。
もちろん、人手不足の業界では、抜本的な「賃上げ」が実現できるならそうした人手不足を緩和、解消することも可能となるだろうが、長期間の経済低迷が継続している今、そんな抜本的賃上げも不可能だ。
というよりむしろ、経済低迷が続く今、人件費をさらに削るために、日本人よりも安い賃金で働く外国人労働者は経営層から「喜ばれて」いるのが実態だ。つまり、産業界の外国人労働者の要望は、単に少子高齢化だけが原因なのではなく、経済低迷、経済不況もまた重大な原因となっているのだ。
以上は純然たる「経営ビジネス論理」上の動機であり、必ずしも「べき論」に基づく道徳的、倫理的な動機ではない。いわば単なる財界のエゴイズム、利己主義に基づく動機だが、移民問題をややこしくさせているのはそこに「経済学的正義」や「リベラリズム的正義」が移民を推奨しているという側面がある点だ。
現在の主流派経済学では、GDPは生産者(あるいは民間企業)の生産量で決定され、その生産量は、「資本」 (設備や建物等) や「技術」の水準に依存するのみならず、その生産に投入される「労働量」に依存していると考えられている(いわゆる、コブダグラス型の生産関数というものがそういう数式になっている) 。だから彼らの理屈に従えば、今日のように少子高齢化が進んで日本人の労働量が縮小してくれば自ずとGDPが減り、日本人が貧困化していくことが「理論的」に予想される。だから、日本人の貧困化を食い止め、日本人を豊かにしていくには、労働移民を入れざるを得ないのだと彼らは主張するわけだ。つまり、外国人移民の受け入れは、日本人を豊かにするためには必要な「正義」だと語るわけである。
一方、リベラリズム(自由主義)思想では、国境に拘ること自体が、人々の「自由」を抑圧する不条理で不当な規制であり、そんな抑圧的な国境をなくすことこそが「正義」に叶うのだと主張する。
ただし、以上の主流派経済学やリベラリズム思想における「移民推進こそが正義」という議論はもちろん極めて一面的なものに過ぎない。
まず第一に、…続きは本誌にて
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コメント
竹中平蔵氏に旭日大綬章。
大問題でしょう。
なぜ是々非々で高市政権を批判しないのでしょうか。