ついに自民党=安倍晋三内閣の下で、「外国人労働者の受け入れ拡大」のための出入国管理法改正案が衆院法務委員会で自民・公明両党と日本維新の会の賛成多数で可決しました。
政府は、平成31年度からの5年間で最大34万5千人、初年度は4万8千人の外国人労働者の受け入れを考えていると言います(受け入れ見込みを業種別で見ると、5~6万人の介護事業をトップに、4~5万人の外食産業、3~4万人の建設・清掃業などとなっています)。
この度の法案について、政府は、在留期限が5年で、家族帯同を認めない外国人(特定技能一号)から受け入れを開始すること、また、そのうちの45%は外国人技能実習生からの移行を考えていることなどを材料に、「入管法改正案は、移民法案ではない」と言っています。が、それは「ウソ」でなければ、タチの悪い「言い抜け」でしかありません。
まず、「特定技能一号」の受け入れが、その後の、永住資格の取得と家族帯同の可能な「特定技能2号」受け入れへの道を開くための助走であること、また、そもそも〈外国に一年以上暮らしている人間〉を「移民」とする国際的定義(国連)からして、この度の入管法改正が「移民法」の実質を持っていることは誰の目にも明らかでしょう(実際、移民問題で苦しむドイツなども、同じような入り口から外国人労働者を受け入れて行ったのでした)。
ちなみに、この度の外国人受け入れの理由としては、少子高齢化に伴った「人口減少」と、市場における「人手不足」などが言われていますが――しかし、これらの問題はずっと以前から分かっていたことでもあります――、ただ、それだけの理由で「移民政策」に舵を切ってしまうのは、あまりに拙速な対応だと言わざるを得ません。
もし、本当に「人口減少」が心配なら、「消費増税」などもってのほかで、まず、ハッキリとした財政政策によってデフレ脱却を果たし、その上で徹底的な若年層の支援策を打つべきでしょう。こういう言い方は好きではありませんが、それで、「雇用や給与の問題で結婚しない、できない若者」の割合は下がりますし、既婚者においても「経済的理由で子供を産まない、産めない世帯」の割合も減っていくはずです(統計でも、二人以上の子供を望む夫婦は8割~9割いると言われますが、それは私の肌感覚ともズレていません)。
また、もし、本当に「人材」が不足していると言うのなら、「移民政策」を唱える前に、まず、給与賃金を上げて人材確保の努力をするのが先決でしょう(特に、介護、建設業界であれば政府の梃入れも相対的に容易であるはずです)。実際、この国では完全雇用が実現しているわけではありませんし、また、労働参加率(働ける年齢の全人口に対する、実際に働いている人間の割合)も世界最高というわけではないのです。つまり、「移民政策」を考えるより前に、政府が打つべき手は、まだ多く残されているのだということです。
しかし、それなら、このあまりに拙速な「移民政策」の裏にあるものとは何なのか。それは、「賃上げをしないまま、安い労働力を確保したい」という市場(財界)の論理にほかなりません。つまり、ここにも、「資本の自由」のために、「国民の自由」を犠牲にするという、あの「ネオ・リベラリズム(新自由主義)」の論理が横たわっているということです。
ただ、「国のかたち」(文化)より、「目先の資本」(カネ)を優先するというこの態度は、長い目で見た場合、間違いなく「日本社会」を破壊してしまうことになるでしょう。
実際、「市場原理」だけで、外国人労働者(=ヒト)をコントロールすることはできません。人材の「需要」は、景気変動でコロコロ変わりますし、人口構成の変化でも変わってきます。また、外国人に「移動の自由」を担保する限り、外国人労働者が、人材不足が深刻な地方(の介護現場など)に行く保証はありませんし(むしろ、海外の例を見れば、ますます東京一極集中が進むことが予想されまます)、地方に行った場合でも、外国人の生活支援に取り組む自治体への財政支援の必要など、新たな負担が生じてくることが予想されます。
また、そこで無理にでも「移民」を統制(同化)しようとすれば、ヨーロッパの例を見るまでもなく、どうしても葛藤や摩擦が生じてこざるを得ません。日本人労働者の賃金低下(デフレの更なる深刻化)、仕事の奪い合いと、そのストレスから来る排外主義。また、外国人の社会孤立(ゲットーの出現)と、それによる犯罪とテロ。そして、外国人をめぐる右と左による罵り合い(日本人の分断)などなど。つまり「移民政策」が進めば進むほど、「同胞愛」を基盤とした「ナショナリズム」の凝集力は弱まっていき、それが引いては、国家の福祉政策、安全保障政策、防災政策を機能不全に陥らせていくのだということです。
ちなみに言えば、これは「外国人差別」の議論ではありません。逆に、「外国人差別」をしないで済むための議論をしているのです。私たち一人一人が他者とのあいだに適切な距離を必要としているように――いくら親友とはいえ、毎晩のように自宅に泊まりに来られたら嫌な気持ちがするでしょう――、生き方と生き方とのあいだ、文化と文化のあいだ、国民と国民とのあいだにも適切な距離が必要なのです。この「人間の条件」は、「多文化共生」などという〝お為ごかしの理想主義″で乗り越えることは決してできません。
最後に、これまでも何度か引用してきた福田恆存の言葉を、改めて引用しておきましょう。「近代」に対する疑念そのものとして読んでいただければと思います。
「文明とは、自然や物や他人を自分のために利用する機構の完成を目ざすもので、決してそれと丹念に附合ふことを教へるものではない。それは当然「インスタント文明」を招来する。人々は忙しさと貧しさとから逃げようとして、人手を煩さず、自分の手も煩すまいとし、さうするために懸命に忙しくなり、貧しくなつてゐる。もちろん、今さら昔に戻れない。出来ることは、ただ心掛けを変へることだ。人はパンのみにて生きるものではないと悟ればよいのである。さうしないと、パンさへ手に入らなくなる。」(「消費ブームを論ず」昭和36年)
福田恆存の驥尾に付して言えば、おそらく戦後日本人の多くは、「人はパンのみにて生きるもの」だと高を括っているのです。そうでなければ、人を「調整弁」にするなどというグロテスクな発想が出てくるはずもありません。しかし、その思い上がりは、いつか必ず、自分で自分の首を絞めることになるでしょう。再び、福田恆存の言葉を借りれば、「自然は文句こそ言はぬが、復讐する」(「自然の教育」)からです。
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