前回のメルマガでは「安倍『器』論」の背景である平成の政治改革の歴史について簡単に触れておきましたが、その流れを一言で要約すれば、「55年体制」(政官財が癒着)に対する政治不信から「構造改革」によるトップダウン型政治へ、ということになるでしょうか。その果てに現れたのが、リーダーシップがあるように見えながら、その実、中身が「空っぽ」であるがゆえに、政策が支離滅裂になってしまう安倍政権だったわけです。
が、「リーダーシップがあるように見えながら、その実、中身が『空っぽ』」であるがゆえに日本を破滅へと導いていった政権は他にもあります。戦前の話になりますが、近衛文麿政権(1937・6~39・1/1940・7~41・10)が、まさにそれでした。日本人の「反復性」を自覚しておくためにも、今回は、主に筒井清忠氏の日本近現代史研究を参照しながら(※)、近衛政権が現れるまでの経緯を、簡単に振り返っておきたいと思います。
近衛文麿政権が出現してくるまでの経緯に目を向けると、それが「民主党政権」や「安倍一強」が現れてくるまでの平成政治史のムードとあまりに似ていることに驚くはずです。
たとえば、戦前においては、まず「党利党略」に憂き身をやつしているように見えた「政党政治」への幻滅(戦後風に言えば、政官財の密室政治への失望)が、逆に、党から「中立的」であると考えられた天皇・革新官僚・警察・軍部などに期待するムードを醸成することになります。そして、そのムードのなかに登場してくるものこそ、議論ばかりして全く前に進まない「政党政治」を、「天皇親政」によって一気に乗り越えようする青年将校たちの「超国家主義」(5・15事件2・26事件)であり、また、その皇道派に人脈を持ちながらも、清新で革新的なイメージを備えた近衛文麿(と松岡洋右)のポピュリズム政権であり、さらに、既成政党批判を介して政治の無極化を成し遂げていく「大政翼賛会」への道だったのです。
が、似ているのは、単に時代の「ムード」だけではありません。
というのも、「近衛人気」そのものが、安倍政権とも似た「矛盾」によって成り立っていたからです。たとえば安倍政権の「人気」は、その「改革者の顔」(大胆な禁輸緩和・構造改革による成長戦略)と「保守の顔」(その歴史認識・対韓姿勢など)によって支えられています。が、近衛文麿の「人気」もまた、その「『モダン性』と『復古性』の両者が巧みに融合されているところ」にあったと言われるのです(筒井清忠『近衛文麿』)。
まず近衛の「モダン性」ですが、そのイメージは、近衛が「親子というより兄弟みたいな」(読売新聞、1934・4・21)関係にあった長男の文隆を、ヨーロッパではなくアメリカに留学させていたことにくわえ、自分と同じ趣味のゴルフを夫人に許していたこと、さらに、自らの教養主義的な人脈(後藤隆之助)を駆使して日本最初の本格的知識人ブレーン集団である「昭和研究会」を立ち上げたことなどによって醸成されていました(しかも、そのブレーンの中には京都学派の三木清、戦後に活躍する清水幾太郎や林達夫、また、ゾルゲ事件で逮捕される社会主義者の尾崎秀実まで、実に幅広い人材が集まっていました)。つまり、近衛の「モダン性」とは、彼がメディアに振りまく〈アメリカ型のライフスタイル〉のイメージと、その〈インテリ性〉との組み合わせによって支えられていたのだということです。
対して、近衛の「復古性」のイメージは分かりやすい。五摂家の出身である近衛は、しばしば家に伝わる古美術を展示会に出していましたが、さらに、自らの「伝統」理解を示すように、「国史に現れたる日本精神」などという文章を草したり、右寄りのイベントや政治団体に名を連ねたり(東亜同文書院院長、白虎隊遺記念碑建設委員会会長、「爆弾三勇士表勲碑」発起人、伝教大師奉讃会会長、国維会理事)、志賀直方らの人脈を通じて陸軍皇道派と親しい関係を結んだりと、その行動において常に「日本的なるもの」を匂わせていたのです。
つまり、近衛文麿は、その〈アメリカ型ライフスタイル〉を貫きながら、社会主義にも理解を示す〈インテリ〉であり、また、日本の伝統やアジア主義をも理解する〈ナショナリスト〉だということですが、しかし、この相矛盾する支離滅裂なイメージが、当時のメディアによって、まさしく「近衛文麿の清新さ」として喧伝されていく。そして、それがまた、近衛政権のポピュリズムを可能にしていったというわけです。筒井清忠氏は言います。
「(近衛文麿の)『モダン性』は都会の大衆をつかむ要素であるし、都会への憧れを抱いた農村部若年層をつかむ要素でもあるが、これだけではとくに農村部の中高年層を獲得することはできず、むしろ反撥さえ買う危険性が高いのである。『復古性』はその点で農村部を中心とした保守層を確実につなぎとめることができる要素である上に、何よりも強い政治勢力となっていた陸軍・軍国主義陣営の支持を得るのに欠かせぬアイテムなのであった。
この時期のスター政治家になるにはこの両者を併せ持つ必要があったが、その点で近衛ほどの適任者はいなかったと言えよう。」『近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇』
こうして近衛政権は、女性から知識人まで、農民から都会人まで、幅広い層に受け入れられながら、その大衆的「人気」を博していくことになります。が、それは裏を返せば、近衛政権の「人気」が、〈自らの欲望を整理しないこと〉によって保たれていたことをも意味しています。ただ、ここで忘れるべきでないのは、この「欲望の整理」ができない政権によってこそ、日本は、その後に「破滅の道」を歩んでいくことになるのだという歴史的事実です。
組閣直後に盧溝橋事件が起こると、現地で和平工作が進んでいたにもかかわらず、「政府の態度強硬なりとの印象を内外に示す」ために中国側の非を言い立て事態を混乱させ、南京占領後には、これまた「国民政府を対手にせず」と一方的に宣言して、自ら平和交渉の道を閉ざしてしまう。その後、対中戦争に行き詰って一旦政権を離れるものの、第二次世界大戦がはじまると、ドイツ大勝に煽られて「新体制」の旗手として振舞いはじめ、ついには日独伊三国同盟を締結し、宣言も綱領もない「空っぽ」の大政翼賛会――目的も理念もないくせに「議論」だけは抑圧するトップダウン型の統制組織――を創設することになる。つまり、世論受けする攻撃的な姿勢によって、大衆的「人気」を博しながら、その実、日本の将来に対する一切の責任を放棄した政権、それこそが近衛文麿政権だったということです。
しかし、最後に強調しておきたいのは、そんな「空っぽの近衛政権」を支え続けたのが、軍部でも、革新官僚でも、一部の財閥でもなく、ほかならぬ日本国民だったという事実です。近衛政権は「国民の人気」によって成り立ち、「国民の人気」によって戦線を拡大し、気づいたときには、もはや後戻りできない泥沼の中に足を踏み入れていたのでした。
が、もちろん私は、それを他人事のように非難するつもりはありません。いや、他人事にできないからこそ、そして、その歴史の宿命を身に引き受けざるを得ないからこそ、日本の近現代史の中で反復される「近衛文麿的なるもの」に注意を払うべきだと考えているのです。
かつて、文芸批評家の福田和也氏は、近衛文麿の肖像を次のように書いていました。
「性格が非常に弱く、というよりも自分なりの定見というものがほとんどなく、直接話を聞くと、すぐに影響を受けた。そのため友人の原田熊雄(西園寺公望の政治秘書)は、内閣書記官長風見章に、なるべく人に会わせるなと忠告している。敗戦後、マッカーサーから新憲法起草の任に当たらないかともちかけられその気になるが、一転してA級戦犯に指定されたため自殺した。」『総理の値打ち』
ちなみに、日本会議メンバーの伊藤哲夫氏(日本政策研究センター代表)の口から「加憲論」が言われ、その直後に安倍総理が「加憲論」を言い出したのを見たとき――つまり、一つの政策が将来にわたり、どのような矛盾=破壊的インパクトを日本にもたらすのかについて安倍総理が全く真剣に考えていないことが明らかになったとき――私の脳裏をよぎったものが「安倍『器』論」でした。そして、そのとき、同時に私が思い起こしていたものこそ、実は、近衛文麿の肖像だったのです。すなわち、「性格が非常に弱く、というよりも自分なりの定見というものがほとんどなく、直接話を聞くと、すぐに影響を受けた」と。
※今回の近衛文麿政権についての記述については、筒井清忠氏の『近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波現代文庫)と『戦前日本のポピュリズム―日米戦争への道』(中公新書)を中心として、その他に、井上寿一氏『昭和史の逆説』(新潮新書)や、福田和也氏『地ひらく―石原莞爾と昭和の夢』(文芸春秋)、『総理の値打ち』(文春文庫)なども参照させていただきました。著者の方々には感謝申し上げます。
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