2020.07.06
僕は、自粛というものは「やり過ぎ」は良くないと考えています。
だから、当方は、本誌「表現者クライテリオン」の最新号、
「コロナ」が導く大転換 感染症の文明論
https://www.amazon.co.jp/dp/B088N67NYY/
でも、過剰自粛批判を様々に展開していますし、本誌編集委員、ならびに執筆者の多く(全員ではありませんが)も、同様に過剰自粛を様々な形で批判しています。
当方が「過剰自粛批判」をするのは、もちろん、自粛によって経済が壊され、それによって、私達がこれまで散々言ってきた「デフレ脱却」が出来なくなって、日本経済が疲弊し、日本国民が不幸になるからだ、と言う理由を口にすることはできます。
ですが、こういう意見に対して、「そんなもの、財政政策を散々やれば大丈夫なんだから、自粛にやり過ぎなんてものは、理論的にはあり得ないだろう。一方で、コロナは未知のウイルスなんだから自粛した方がいいに決まってるではないか」という意見を口にする方が、少なからずおられます。
ですが当方はそういう意見には首肯できません。
なぜなら、今のあの安倍内閣が、財政政策を徹底的にやるとは思えないからです。だから少なくとも今のこの状況で、いくら自粛+財政政策を叫んだところで、成功する見込みはほとんど無いでしょう。
それよりは、コロナのリスクに対処しながら、経済を回していく方が、まだ、「国民の被害」を最小化できる可能性が高い、と僕は思っています。
ですが、当方に反対する人は、「それは違う、国民の被害は、自粛した方が低いのだ!」と言う人もいるかも知れません。
当方は全くそう思いませんが、当方に反対する人は、当方のそうした議論には賛同しないのでしょう。
・・・というような事を考えていて、ある一つの事実に思い至りました。
ちょっと待てよ、と。
「自粛せよ」という人達は、ひょっとすると、自粛による痛み、というものを、実は何にも分かって無いんじゃ無いか・・・??
と思ったのです。
はっきり言って僕は、自粛させられていることで、山ほど嫌な思いをしています。
いつも行ってる酒場には行けない。
いつも行ってる釣りにも行けない。
行こうと思ってたライブも中止になったし、
やろうと思ってたライブも中止になった。
新入生歓迎のコンパだってできないし、
今年行こうと思ってたイタリア出張もいけなくなった。
はっきり言って、僕の日常も、日常的社交も皆、コロナ自粛のおかげで、ズタボロにされているわけです。
だから僕は、自粛するのが「嫌だ」という気分を持っています。
でも、中には、そんな自粛が「嫌だ」とは思ってない人がいるんだと思います。
いつも行く酒場も釣り場もなければ、
飲みに行くこともがあっても、
付き合いで行ってるだけで楽しいとも思っていない、
ライブにもプロレスにも何の興味もない。
そんな人はきっと、自粛してても、別に痛くもかゆくもないのだと思います。
・・というところから思い立ったのですが、僕個人のことはさておくとして、
一般的に言って、
「やりたいことが一杯ある人」は自粛は嫌だと思うし、
「やりたいことが特に無い人」は自粛は嫌じゃ無い、
というのは、当然です。
更に言うと、ここまで考えが及ぶと、次のようにも思えてきます。
当方の様に、色んな事をやりたいと思っている人は、
それぞれの場所で、それぞれの人々と付き合いがある。
酒場の店長や従業員、
釣り宿の女将や料亭の女将やミュージシャン・・・
そんな人達と知り合いです。
で、僕があまり行けなく無ったそういう人達は今、皆、
死にそうになっているのです。
だから僕は、そういう人達の苦しみが、手に取るように分かる。
だから、自分のわがままを全て度外視したとしても、
そういうリアルな知り合い達が、自粛によって
首をくくらんばかりの苦しい状況に追い込まれていることが、
手に取るように分かるのです。
ところが、
「やりたいことが(家族と職場以外)特に無い、自粛は嫌じゃ無い人々」
は、そういう、コロナ自粛で苦しめられている人と、全く
個人的な付き合いを持っていない。
だから、彼等はますます、
「自粛しても良いじゃん、誰も苦しまないし、それより、自粛しないでコロナで死ぬ人がいるのが問題じゃん!!」
と思ってしまうのです。
つまり、「日常」的に「社交」をしていない人々は、自粛の痛みが全く分からないので「自粛派」になりがちなのだろうと思います。なんと言っても、自粛のつらさが何も分かんないんだったら、しょうが無いですよね。
一方で、様々な社交に満ち満ちた日常を送っている人々は、自粛の被害というものをリアルに理解することができる。だから、彼等がおいそれと「自粛派」になることは無いのだろうと思います。
より正確に言うとすれば次のように言えると思います。
社交をもたぬ人々は、自粛のデメリットが分からないから、すぐに自粛しろと言いがちになる。
一方で、社交を持つ人々は、自粛のデメリットがよく分かるから、自粛をすべきかどうかを判断するとき、そのメリットがそのデメリットを上回るかどうかを「吟味」する傾向が高くなる、つまり、自粛についての判断が「精緻化する」つまり「より賢明になる」可能性が高いのです。
だから、社会政策としての自粛を巡る議論をする場合は、社交を持つ人々だけで集まって、彼等にコロナの医学的リスクを散々伝えた上で、判断するのが一番いいのでしょう。
一方で、社交を持たない人には、どれだけ自粛のつらさを言ったって何も分かんないので、コロナの議論については、ちょっとお引き取り願っておくのがいいのでしょう。
というか、それって当たり前ですよね。
自粛というのは、そもそも、人間にとってかけがえの無い価値ある「社交」を破壊するという話なのです。その「社交」の価値を、生活者として何も理解しないバカが、そんな高尚な議論に参画して良いはずがないのです。
もちろん、自粛することによる疫学的効果がある一定水準を超えるなら、当方とて、そのかけがえのない社交を一時停止することはやぶさかではありませんし、反自粛論者を徹底的に論破して、多くの国民の命を守ろうとするかもしれません(例えば、致死率が、7割だとか8割だとか言われるペストの場合はそうしたかも知れません)。
でも、今の自粛要請はそういう話とは全然違います。今の尾身的自粛は、「効果があるか無いかよく分からんが、とりあえず、念のため自粛しときますか」的なぬる~い、超いい加減なものにしか過ぎないのです。そんなものに社交の価値を理解するまっとうな大人が賛同することなど、万に一つもあるはずがありません。
・・・ということで、(例えば我が師匠、西部邁が、生前ずっと言っていたように)、人間にとって、「社交」は何よりも大切なことなのです。そしてそんな大切な社交が分からんようなガキは、大人の社会のあり方を決定する自粛論に参画しちゃいかんのです。
でも、ホント、今の日本、そういう大人が少なくなったのは哀しい話ですね。
・・・ということで、また、次の機会に。
追申:・・と考えると、今の専門家会議は、社交の分からん方ばかりだから、議論がダメになっている、とも言えそうですね。是非、下記もご一読下さい。
『「緊縮で中小企業潰れてOK」の小林理論と「とりあえず念の為自粛」の尾身理論が織りなす新専門家会議で、日本は潰される。』
https://foomii.com/00178/2020070423463668219
執筆者 :
TAG :
CATEGORY :
NEW
2024.10.10
NEW
2024.10.08
NEW
2024.10.07
NEW
2024.10.06
NEW
2024.10.05
2024.10.04
2024.10.08
2024.10.04
2020.01.22
2024.10.03
2024.10.10
2024.07.13
2022.10.25
2018.09.06
2023.10.12
2024.10.06
コメント
藤井先生、コロナ禍のなかで勇気ある発言!
皆が自粛ムードのなかであえての発言だと
思っています。
そりゃ~人命も大事だし経済を犠牲にしてでも
守らなければならない事だってあるのは十分承知されてるでしょうし多数派になるでしょう。
しかし、藤井先生の意見も軽視できない意見ですし・・だから世の中には議論がありこうして少しでも
考えることができるのではないでしょうか?
佐藤先生初め、保守論壇の方が藤井先生のコロナ禍反自粛 に批判的な意見を展開されてる事実を知ったとき、個人的には素晴らしいと感じました。
内容の是非ではなく…正直な言論ではないでしょうか
是非を判断するのは我々自身なのですから・・
どうしても無難な言論や意見を展開しがちな知識人より余程、信頼できます。
これからも多方面での論戦を期待!
もっと高尚な文芸雑誌でウェブでも高尚な議論してるのかな?と、思ったら便所の落書き以上東スポ未満ですごくホッとしました。
右翼のヒッキー派vs右翼の遊び人派の不毛なデスマッチっという事は理解出来たんですけど、岸田文雄&財務省はカネ出せってトコでは100%一致しているわけですよね?
だったら経済ヤバいんだからコラボして岸田文雄にカネ出せだけだけまず主張すれば良いじゃん。高橋洋一教授によれば、岸田さんの家の人ってみんな東大出で、文雄ちゃんだけ早稲田。しかも家族みんな財務省みたいです。
文雄ちゃん消費税下げたり、国民にお金出すことに首タテに振っちゃったら多分DVにあうんだろうけど、文雄ちゃん一人がDVにあえば、国民が全員ちょっとだけ助かるんでしょ?文雄ちゃんの家だけ家庭崩壊すれば、多くの日本の家庭がちょっとだけ幸せになれるんでしょ?
私は世間的に言えば、人付き合いがかなり少ないボッチにあたる人間だと思います。ですが、自粛の痛みは常に感じています。
・(数少ない)友人とも今年に入ってから会えていない
・ドライブ含めた外出もままならない
・アニメグッズなども満足に買いに行けない
・カラオケができない
・外食も満足にできず、コンビニ飯を強いられている(自炊もしてるけど)
・去年から始めた婚活も満足に進まない
・何より、県外にいる家族に会えない
慣れたとはいえ、相当なストレスですよ。はっきり言って。
また、客足が遠のいたことで苦境にあえぐ飲食店、娯楽施設などの従業員の方の気持ちも、実感はできずともある程度理解しているつもりです。
それでも、自分の家族が、友達が、大切な人が、職場の人が、重症化したコロナの肺炎で苦しみながら死んでしまうことの方が耐え切れないんですよ!!私は喘息の持病があるので、呼吸困難になった時にいかに苦しいかは肌身で分かっています。
自粛の痛みは、工夫次第で緩和することができます。
・電話やスカイプで、友人・家族と話す
・自粛を契機に、今まで触れていなかった本、漫画、映画、アニメ、音楽に触れてどっぷりつかる
・現場職の方には、政府が所得を補償することで食いつないでいただく
ですが、死んでしまったら元も子もないわけです。人の命は、死んでしまったら二度と戻ることはないんですよ。
コロナによる死の痛みに比べれば、今の自粛の痛みなんて余裕で耐えられますよ!!
私は、常日頃そういう思いで自粛してきました。少なくとも、「自粛の痛みが分からない」などと言われる謂れは全くありません!!
藤井先生、あなたが自粛反対論に走った原因は、結局のところただの私心だったんじゃないですか?
「いつも行ってる酒場には行けない。
いつも行ってる釣りにも行けない。
行こうと思ってたライブも中止になったし、
やろうと思ってたライブも中止になった。
新入生歓迎のコンパだってできないし、
今年行こうと思ってたイタリア出張もいけなくなった。」(引用)
こんな思いをしているのは誰だって同じです。たとえボッチであろうが。ですが、ここで我慢しなければ、もっと取り返しのつかない痛みに襲われることが分かっているから、皆自粛に協力しているんです。
目先の欲が満たされないという本音を「もっともらしく見せる為に」、あれやこれやと理屈を並べているだけなのではありませんか?
そして、政府の財政出動が十分にあれば、自粛の痛みはある程度緩和できるにも関わらず、
「なぜなら、今のあの安倍内閣が、財政政策を徹底的にやるとは思えないからです。だから少なくとも今のこの状況で、いくら自粛+財政政策を叫んだところで、成功する見込みはほとんど無いでしょう。それよりは、コロナのリスクに対処しながら、経済を回していく方が、まだ、「国民の被害」を最小化できる可能性が高い、と僕は思っています。」(引用)
とはなっから財政出動はないと決めつけてしまっています。これで、自粛反対論を組み立てたのなら、当然ロジックが苦しくなりますよね。
7年間内閣官房参与として勤務され、官邸の内情を知った上での判断なのでしょうが、この論理がまかり通れば、
「国土強靭化といくら叫んでも政府は財政出動しない。それよりかは、インフラに頼らない災害対策を考えたほうが、「国民の被害」を最小化できる可能性が高い」
と、見事に今まで主張された国土強靭化が否定されてしまいます。「自粛反対」に使っているロジックが、これまでの自説と大きく矛盾しているという自覚を持つべきだと思います。
付け加えるなら、過激なまでの西浦先生批判にしても、本人は「データからして西浦先生はおかしい」と主張しているつもりなのでしょうが、本心は、無意識のうちの西浦先生に対する嫉妬なのではないでしょうか?そうでもなければ、「大罪」とか「空気を支配している自分に恍惚としていた」とか「人殺し同然に見えた」などといった誹謗中傷はしないでしょうし、ここまで執拗に粘着する道理がないですからね。
西浦先生が、京大に移られたようですので、せっかくなので、ご本人と直接論議されてはいかがですか?また、前述の誹謗中傷の非礼はしっかり謝罪しましょう。
この論考の問題点は、「必ずしも必要でない自粛を強硬に主張し続ける自粛派」を、「社交を持たない人」と矮小化した挙句、議論からの排除を呼び掛けているという、明らかな分断工作を仕掛けていることなのです。
国民同胞をすべて守るのが保守のはず、異なる意見にも耳を傾けるのが「まっとうな大人」のはず。
ですが、自分の意に沿わない人を「社交のない人」とレッテル張りして議論から排除しようとする。これって、新自由主義者が、規制緩和に反対する人たちを「抵抗勢力」とレッテル張りして排除する構図と何が違うんですかね?
私には、「自分は自粛でこんなに嫌な思いをしている!!もうこんな気分はヤダヤダヤダヤダヤダ~!!」と喚いているガキの我儘にしか読めませんでした。
「自粛するのは確かにイヤだ。だが、ここで我慢しないと社交も満足に取り戻せずもっとイヤな思いをすることになる」という、目先だけじゃなく長期的にものを考える考え方にも配慮するのが、「まっとうな大人」ですよ。
今回のコロナ騒動において、そんな藤井聡先生の、到底保守とは呼べない、「まっとうな大人」とは呼べない幼稚な本性が露わになってしまったのではないでしょうか?
国土強靭化の論旨には大いに賛同していただけに、今回の主張との矛盾によって、「国土強靭化なんて所詮、土建利権のための利益誘導だろ!?」なんて疑義が生じて矮小化しかねない話なんですよ。
一度、言論活動を自粛していただいて、頭を冷やして冷静に自分自身の言動を見つめ直してみてはいかがでしょうか?
言いたいことはわかるけど少しまとめてから書いたら?ダラダラしすぎて読みにくい。途中で読むのやめたわ。
これは社交性がないとか変な言い訳しないでほしいね
社交を知らないガキさん、よく言ってくださいました。これは酷い、黙ってられん、何か言ってやりたい、、と思いましたが、だいたい貴方が言ってくださっていました。社交って、こういう享楽や趣味や、薄っぺらいお付き合いだけではありません。昔みたいに隣近所のおじいさんと将棋をさしたり、などということは、いまはないかもしれない。自分が子どもの頃、家族同様にお付き合いしていたお年寄りは、もうおられません。けれども、今、家族にもろくにあえず、老人施設におられるお年寄りを思うと、あの方々をコロナなんかで寂しい最期にさせてはならない!と思います。今の日本を我々に引き継いで来られた先代への敬意。。敬意というより、もっと身近な人への愛着と心配の気持ちみたいなのががあるから、コロナをひろめたくないんです。そして、未来ある子供たち、若者たちにもひろめてはいけない。。若者は、遊んだり、出かけたり、楽しい事はいっぱいしたいだろうし、本来するものです。部活も勉強も。2021年1月現在、感染は拡大されてしまいました。勉強も受験や、部活の全国大会までも、影響がでています。
遊び歩いている人は老いも若きもいます。
与えられたものを消費するだけが、楽しみや社交ではない、人の繋がりや生きがいではない。
どう考えても、お年寄りや弱い人の命やひた向きに頑張る若者の夢を奪うことと、ひきかえにできるほど、この先生の言われる社交が大切とはおもえない。
私は、保守的でな考えを持っているつもりだったが、コロナの中、保守と呼ばれる方々にはがっかりするばかりです。戦時中と同じことをする人々と思いました。
とても年寄りの書いた文章とは思えません。本当に長い時間を生きた方が書いた文章なのでしょうか?
反自粛?半自粛?を主張しても、国土強靭化は否定されないと思いますが。時間軸をあえて除外して論理展開されていませんか?
今回のコロナ禍において、藤井教授は、
① 政府が「直ちに」財政出動を行う可能性が低い(やっても微少)ということ
② 国際データ比較から新型コロナの脅威の度合いが低いと読み取れたこと
③ 何らかの緊急対処を施さないと、経済被害(倒産/自殺等)が甚大となること
④ ロックダウンや自粛による被害(社交や文化の破壊等)も大きいこと
⑤ ロックダウンや自粛の効果に対する疑義等も踏まえ
これらを総合的に判断されて、半自粛という御主張だと受け取れます(藤井教授の話を自然に受け止めればこうなると思います)。半自粛が良い(良かった)かどうかは私にも分かりません。
ただ、国土強靭化に関しては、(もちろんすぐに実現できればいいが)長期的な言論活動や、その他の様々な活動によって、「徐々にでも」世論を変え、政治を変え、実現していくことで考えておられると思います。なので特に矛盾しないのかなと思いますが。。
犬は吠える されど キャラバンは進む
と
己のなさりたいことを なされば宜しい
かと、、
小生 藤井さまの 仰る バカでございます
が、、、
己の「嗜好」を他人様に 押し付けようなどとは
これっぽちも思いません
し
他人様の 「主義」「嗜好」を 押し付けられるのも
大嫌い
「大人」という 世論が認めないから
やりたいことを できないよぅ。。なら
それこそ アホな ガキと 一緒
ちなみに小生
飲酒 喫煙 風俗 なんでもあり
さすがに 最近は風俗嬢との
濃厚接触者は 避けております
が、、、
風俗嬢と 逢えないのは
寂しいし 彼女らが 可哀想
などとは ぜんぜん感じない
鬼で ございます ♪
あと一つ
アホな コメントを述べるために
一番下まで 落ちていくのは
つらいものが ございます
けど
それなら コメントなんぞ するな
という 主義主張なら
何も 申しません。。。
コロナが蔓延する前は世界中を旅したり仕事をしたりしていました。
人と出会うのが好きだし繋がっていく事は大事な事だと知っています。
だけど今私は自粛しています。
自粛していない人を見て羨ましい、自分も出かけたいと思いますが、高齢で闘病中の親と同居している為、やはり感染するリスクと無症状で感染を広めてしまうリスクを考えるとどうしても楽観的になれません。
リスクの高い大切な人と住んでいる人はどうしたって楽観的に考えられないし、他人事で感染を媒介している人たちを見ると悲しくなります。このまま広がれば3日に一度の買出しでも感染するかもしれません。
結局みんな自分(と自分から見える風景)の事しか考えていないのが問題だと思います。こんな時だからこそお互いを思いやる姿勢が大事だと思います。飲みに行っても対策は万全に、頻度を見直す、オンライン飲みに切り替える、単純にカンパや贈り物で知り合いを支える、いろいろ方法はあるはずです。
やらされてる感や自分ばかりが我慢している感を手放して出来ること少しづつやりましょうよ。
自粛を強制するような過激なやり方も反対ですが、そういう人の事情も知らずに社交の重要性をわかってないバカ扱いはやめてほしいです。
みんな例外なく大変なんだから。
実効再生産の高い疫病が致死率8割もあれば自粛なんて選択はなくなります。
強制です。
国によっては閉じ込めて焼いちゃうかもしれないやつなので、比較に出すなら麻疹くらいのほうがいいんじゃないですかね?
新コロナの脅威は致死率単体ではなく感染力にあります。
スペイン風邪の致死率は世界平均で見ればコロナよりいくらか下で
当時の医療水準から見るに新コロナよりも遥かに毒性は低いはずです。
実効再生産数もスペイン風邪を少し上回るので医療崩壊を避けるだけの対策は必須です。
だからといって休業しろと言うのではなく、要は感染させなければいいわけで
それが出来るかできないかというと意識さえあれば可能なはずです。
極論で言えば国民総防護服なんですが
そこからどれだけレベルを下げていけるかどこまでが安全なのか?
代替えになる画期的な方法がないのか?
頭のいい人が徹底的に考えて欲しいものです。
というか日本だったら外出時フェイスシールド義務化と少しの距離感くらいで収束しそうなんですが
自分だけやってたとするとなんか恥ずかしいですよね
はっきり言います今の無責任な自粛を訴え強要する者達は
テロリストです。
断固として戦わねばならないし社会を守らねばなりません。
命や健康を守る自粛は大切なことだと思います。
自粛してる人を非難するのはどうかなって思います。
テレビでも言ってるけど今は一人一人の行動が問われる時ですよね。自粛してる人を社交性がないと決めつけるのはどうなんだろう。
私は平凡な人間ですが会いたい人はたくさんいます。
自分が感染していたらたくさんの人に迷惑をかけてしまうんだなと考えると遊ぶことばかりは考えていられません。
なんでもかんでも自粛する必要はないけど自粛してる人を見下す言い方は良くないと思いました。
筆者はただ自分の欲が満たされずに文句を言っているだけに聞こえます。
あなただけじゃありませんよ。
皆出かけたいのです。
今までどおり遊びたいです。
しかしいざ出歩いてコロナを貰ったらどうなりますか?
うちの市町村にもコロナが出た!と大騒ぎ。
コロナを持ってきたやつは遊び歩いていたらしい、と噂になる。
毎日通っていた会社は下手すれば従業員全員休み。
子供が学校に通っていたら?また休校。
幼稚園に通っていたら?また休園。
共働きだとしたら?奥様も子供を見るために休まなければならなくなる。
これこそ社会に大きな影響を与えると言えるのですが。
一生続く訳ではない。
今ぐらい自分の欲を我慢すべきではないだろうか。
結局この論説には、社交を持てるブルジョワの傲慢さが社交を持てないプロレタリアートを見下す意識が垣間見れるものです
この問題は経済的ブルジョワVS経済的プロレタリアートだけではなくて、文化的ブルジョワVS文化的プロレタリアートの問題があるのですが、どんな時であったとしても、強者が弱者を見下すスタンスがあるならば、そこには断絶しか生まれえないでしょう
主張も感情論ならば反論も感情論だらけになることが当然で、言論の失敗の典型例がこのスレッドですね
藤井先生の社交が失敗した結果がこれでしょう
クライテリオンは読んでいますし、先生には期待しているので、議論をもっとうまくなって下さいな
右翼-保守界隈とその他の世界では言語コードが違うからこうもなってしまうのでしょうなあ
でも一番の問題は、何だかんだで過度に不安になることなのは間違いがないでしょうね
幽霊に怯えることに意味はあるのか?
それに人間は死ぬときは死ぬ
コロナくらいで死ぬほどに衰弱した年齢の人は、コロナ以外でも簡単に死ぬので、コロナ以外のことにも注意した方が良いと思いますよ
>社交をもたぬ人々は、自粛のデメリットが分からないから、すぐに自粛しろと言いがちになる。
>一方で、社交を持つ人々は、自粛のデメリットがよく分かるから、自粛をすべきかどうかを判断するとき、そのメリットがそのデメリットを上回るかどうかを「吟味」する傾向が高くなる、つまり、自粛についての判断が「精緻化する」つまり「より賢明になる」可能性が高いのです。
>だから、社会政策としての自粛を巡る議論をする場合は、社交を持つ人々だけで集まって、彼等にコロナの医学的リスクを散々伝えた上で、判断するのが一番いいのでしょう。
>一方で、社交を持たない人には、どれだけ自粛のつらさを言ったって何も分かんないので、コロナの議論については、ちょっとお引き取り願っておくのがいいのでしょう。
これの一番の問題って想像力の欠如した人間の問題でしょう?
会議に入るなってのは民主主義の否定でもあるんだけれども、そもそも実体判断もなければ想像力もない人間を学校で作りすぎて、それによって民主主義が崩壊してしまっているだけ
実体判断も想像力もない人間はそもそも社交性がないんじゃなくて、社交ができるわけがない
だって自分で何も意見を言えないことと同じですからね
群れるだけで人間付き合いができない
ナチスだってあぶれものの陰キャばっかりだったのは割と有名な話ですし
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/fafcec2f70f2aae1f175bf1f3b37c55fa3b47239?page=1
議論が飛び火してますねこれ
コロナによってコロナ以外の医療が崩壊することが大きなの問題であって、問題の本質はインフラの脆弱化であるでしょうし、結局コロナを壊滅させることは出来ないが故に対処療法をするしかない
個人的には過度に恐れることが一番の問題だと思いますが、疫学データの問題などはさておくとして、藤井先生はコロナを「適切に警戒する」ことを主張しているのであって、魔女を恐れることへの危険を述べているのだと思っていましたが、いったいどうなっているんだか
なんであれ人間の活動も守っていかなければ、コロナの被害を食い止められていないというのは問題の本質でしょうに
無欲な若者、貧乏暇なしとは言ったもので、既に若者には社交する余力も暇がないわけで、そういう社会構造と教育体制を構築した老人に責任が存在している
残念ながら、1970年以降の偏差値教育によって、世代の文化断絶が起きてしまっていて、何よりも老人と若者が別の生き物であることを見抜いていない時点でこの社会批評は間違っていると言えよう
現代の若者が社交を失う痛みには教育や労働の段階で既に慣れさせられてしまっていることを見抜けていないのは、環境に恵まれて育ったのでしょうな
もっともそうした若者が熱意があって有能な人間ではないのは事実であるが、金と時間と熱意を奪うことによって、政権党が有利になる構造を指摘してる政治学者は、世界中にそれなりに存在していたはずです
SNSが流行るのは端的に言って管理教育と毒親から逃げられる場所がそこにしかないからです
問題の本質は社交性がない軟弱な若者ではなくて、それを意図的に生み出した偏差値教育でしょう
安保闘争を起こせる日本人から政府が強さを奪い取った結果がこれです
自粛派はそのメリット、デメリットがわからないのではなく、トロッコ問題が出た時思考停止に陥る人々です。
また自分の身内知人の命が地球より重く、関係のない他人は羽毛のように軽く感じられる人たちです。
昔、一人の生命は地球より重い、って言った偉い人が居たような?
それに自分の楽しみのために貴方の命を脅かすけどいいよねって言われて、いいですよって言う人がどれだけ居るのかと。
まぁ自粛なんて各々の判断で最善を尽くせばいいと思います。そして感染や発症が確認されたら潔く失敗したと後ろ指を指されればいいと思います。
はじめまして、初めてコメントさせていただきます。
記事読ませていただきました。
なるほど、そういう考えもあるのですね。
わたしはコロナ後の未来の自分の活動を守るために
自粛しています。
コロナを患ってしまっては、治ったとしても、後遺症によりやりたいことが出来なくなるのは嫌だからです。勿論、理由は他にもありますが…今はやりたいことをするにあたって感染するリスクがない別の新しい表現方法がないか模索しています。
皆様程、頭もよくないし、データの数や色んな専門用語を使える訳ではないので悪しからず。
あくまでも個人的な感想なので、ご承知ください。
長文失礼致します。
自粛をしろvs自粛するな
の闘いになっていますね。
自分は[自粛をしろ]派です。
コロナ感染の疑いのある濃厚接触者と一緒暮らしていた為。
4月からの4カ月間、仕事も休業指示を受け休んでいました。
結局はどちらも感染していませんでしたが。
ちなみに自分はよく問題視されている、俗に言う「若者世代」の中の30代男性です。
なので、外出自粛を長期間した(4月から食物品購入目的の外出のみ)上で…
且つ、生活が困窮した上で(市からの支援金・貸付制度=国への借金を利用せざるを得ない状態)、それでも自粛をした方がよいのでは?と考える…
コロナ感染を拡大させているだろうと言われている若者世代の1個人の話としてお聞き下さい。
いくつか疑問があるのですが。
まず、経済を回した方がよいだろうという方々。
よく番組等で、「コロナを怖がっていたら何も出来ないよ」と。
釣り等のレジャーだったり、飲酒等行かれますよね?
そしてよく、感染した方が「やっぱり自粛をしておけばよかった。皆さんに症状をお伝えして、自粛活動を推奨します。」と後悔と提案をされるのは何故でしょう。
自分としては、
「自業自得なんじゃないの?」
「今さら自粛しましょうって提案するのおかしくない?」
「辛い、辛いと同情も出来ないし。」
と感じてしまいます。
経済循環を推している方が、感染された時の言い方としては、
「外出自粛をせず、経済活動を行い結果的に感染したのだから、例え症状が涙が出る程辛くて苦しくても、自分は耐えます。自粛はお薦めしません。皆さん外出しましょう!」が妥当なのでは?
と思ってしまいます。
聞いた話、感染すると痛みと共に[水中で溺れた状態が続く]とか。
次の疑問です。
何故、安倍総理はマスクを何としてでも国民に配ろうとしたのでしょう?
俗に言う「安部のマスク」
そのマスクが届くまで、届いた後もマスクが無い、買えない人達はマスクをしないか、もしくは家で自粛をしていました。
その頃には転売目的だったり、大量に購入されていた方々の買い控えによりマスク供給も落ち着いていました。
自分も自分の周りも、そのマスクを使わずある種、記念品として置いておく方が大勢いらっしゃいます。
これは[財政の無駄遣い]では無いのでしょうか?
逆にその資金を医療機関や、国民に対しての支援金に変え救済措置として国民に与える事は選択肢の1つに入っていなかったのでしょうか?
そしてそれは何故?
Go to travelキャンペーン。
東京都が除外されましたが、あれはあくまでも金額を保証するというものですよね?
保証はいらないから、東京都から遊びに行きたいと出掛ける方もいますよね?
コロナウイルスに感染された方に、感染してしまったと認識出来る証ってあるのでしょうか?
色?匂い?
誰が感染しているか分からない状態で、都内から地方へ。地方から地方へ。
感染拡大するのも目に見えているし、なんであれば小池都知事もわざわざフリップを出して何度も警鐘する必要もないと思いますが。
何故なら、経済活動重視で、コロナウイルスが蔓延している状況であっても自粛をしないで活動しろ。
感染拡大はしているものの、共存出来る訳だから自粛をするな、と。
感染して発症するのは2週間と言われていますよね。
ならばその2週間、家から出ずに過ごす。
そうすれば、感染者も感染していない者も家にいるから感染拡大もへったくりもないですよね。
たった2週間、なんなら1カ月動かなければいいだけの話。
さて…
自分の住む地域、東京都23区外ですが面白いくらい着々と感染者が増えています。
近くのスーパーや駅の売店でも出ました。
もはや、誰でも感染し得る状況です。
おそらくこのままいけば、市中感染、クラスター感染、医療崩壊も発生するかと。
自分の母親は病院の看護師です。
病院内部の現状も、母親の愚痴として聞いています。
さて、自粛をするなという方々にお聞きします。
感染してでも経済を回せ、と解釈する形でよろしいでしょうか?
自分の目から見ると、今のこの現状況。
コロナと共存、どころか侵食されているようにしか感じませんが。
コロナ感染、自分は感染しても大丈夫と仰っている様にしか感じる事が出来ません。
拙い文章で申し訳ありません。
失礼致しました。
自粛期間中は新規感染者が減少し、自粛が解除されると、新規感染者が増加し、そのスピードが加速している現状を考えると、やはり、自粛は効果があったとしか思えません。もちろん、先生がおっしゃるような半自粛という行動にもそれなりに効果はあるとは思いますが、全ての国民が優等生ではないのです。5人以上の会食の自粛を吉村知事が言っても、聞かない人は聞きません。若者は特にそうでしょう。高齢者にさえ感染させなければ大丈夫とも先生はおっしゃっていますが、高齢者施設や病院で働く若者もいるのです。彼らだけに自粛を要請すれば、感染を防ぐ効果はあるでしょうが、彼らのすべてが自粛するとは限りません。前回の緊急事態宣言までやる必要はないとは思いますが、せめて、飲食業に対して、十分な補償を伴った自粛要請はするべきだと思います。自粛を苦に思わない人は、社交的ではないという印象を持ちましたが、それはどうなのかと思います。社交的であっても、感染収束のために自粛を進んでする人も多いでしょう。国土強靭化やTPP反対、消費増税反対、MMT理論など、先生のご意見は非常に有意義なものばかりと考えています。先生の啓もう活動によって、覚醒した国民も多いと思います。残念ながら、コロナ対策については、先生のご意見には賛同しかねます。正解は、コロナが収束し数年たった後に分かるものだと思いますが、現段階では正解が分からない以上、慎重に行動をするほうがいいと、私は思います。自粛によって、経済が停滞することも、もちろん最小限に抑えるべきです。そのためのMMT理論ではないのでしょうか?
「表現者クライテリオン」誌には、オピニオン誌ではなく、思想誌であり続けて欲しいと思います。ただそれを願います
記事を読ませて非常に頂きました。
要約すると「社交的」な集団は「自粛」を容認できないが、
「非社交的」集団は「自粛」を容認できる、といった事だと思います。
一方、「適者生存」が生物の「進化」の要だと聞いたことがあります。
記事を読んでいて、この言葉を思い出しました。
「Under コロナ」と言うアップデートされた環境においては、
より感染リスクの低い「非社交的」な集団の方が、より生存の
可能性が保障されているとも言えます。
又、逆説的に「社交的」な個体や群れは、新しい環境には適応できず
淘汰されるのは必然とも言え、その犠牲がは種としての人類が次の
「進化」の段階に進む為の払うべきコストと考えると、存外リーズナブル
なのかもしれません。 そんなことを考えさせられました。
いや記事を読んでビックリしました。
安倍政権に対しもの申している、好きな藤井聡先生ではありませんか。
ただあまりに視点が見当違いと感じたので、コメントしてみました。
「社交的」と「非社交的」での分け方、明確に違うと思います。
私は持病を2つ持つハイリスク群に属する人間です。
その人間からすると、社交、非社交ってもうほぼ無関係です。
若くても持病持ちまたは高齢者は、持病の面倒さ、リスクを骨の髄から理解しています。
だから極端な話、私は日本のGDPが半減しようとコロナに感染したくないという思いです。生きてさえいれば、健康でさえいれば石にかじりついてでも何とかするという覚悟でもあります。
「具体的に命にかかわるという実感」、「これ以上持病を増やしたく無い本気」。
これです。 友達がどうとか、社交がとか、そういうものよりもっと根源的というか、生物的な感覚なのです。
自粛派がみんなこのような明確な感覚かは不明ですが、何かしら健康問題を抱える人、高齢者の多くは基本的にこの方向だと思いますよ。
ご参考に。
藤井聡さん。こんな事は書きたくありませんが、この際、佐藤健志さんと衝突する事になっても構いません。だからせめて、佐藤さんの存在を無視するような真似はしないでほしいです。無視という行為が有する残酷性を考えてくれたら幸いです。
随分とご自身の考えに自信をお持ちのようですが、結局「俺は遊びたいのに自粛で嫌な思いしている。自粛が嫌じゃないのは楽しみややりたいことのない寂しい人達」と下らないマウントとってるだけですよね。
「遊びたい」が優先してるだけの(自分ではそう思っていなくて「賢くて分かってる自分設定」の)こういう輩は、なぜかいつもきちんと自粛しようとしている人間を見下す言説を撒き散らす。ありがちな、後ろめたい人がやたらと攻撃的になるという自衛行動ですかね?
to 自粛しましょう
ほんとうに頭が悪いのか、文章が読めないのか、
なぜここまで自分にとって都合の良い部分のみを曲解してしまうのか。
しかしこれがマジョリティなのですね、悲しい国です。。
①自粛による「死者数」とその内訳
②自粛しないことによる「死者数」とその内訳
まず①②を計算した上で、どちらか一方のみを選択するのではなく、
②をベースとした③の案を根拠をもって提示されているのが
藤井聡先生がリーダーを務める
京都大学レジリエンス実践ユニット
です。
マスゴミに洗脳されているだけのくせに、自分で考えた意見かの
ようにふるまってしまうバカは、
少しは自分で調べて事実を得てから考えましょう。
>ほんとうに頭が悪いのか、文章が読めないのか、
なぜここまで自分にとって都合の良い部分のみを曲解してしまうのか。
>しかしこれがマジョリティなのですね、悲しい国です。。
貴方も例外無しにその一員であり、また人間絶対的にバイアスから逃れられない為
>自分にとって都合の良い部分のみを曲解してしまうのか。
は、悲しい事に貴方自身も当てはまります。
また人間都合の悪い話はしない特性もある為、マスコミに関わらずブログや、こう言ったコメント欄も変わりませんが政治的な活動をされている方は例外なく恣意的な要素が絡ませるので、
藤井聡先生ですら正しい情報を流しているとは限りません。
その辺も踏まえた上で、もっと頭使いましょう。お互いに
社交と教育が失われることによる損害が、なぜこれほど軽んじられるのか。悲しくてたまりません。
教育再開していいはずの6月。
1番下の子の通う幼稚園は、週1日2時間のみの登園から始まりました。3週目になって週3日、7月からようやく毎日の登園でしたが、2週目に園児の家族が発症し、3週目から再休園です。
ずっと会いたかった友達と遊べるようになり、毎日楽しそうに通っていたので、胸がしめつけられます。
園はきちんと対策していますが、保健所の主張でなぜか園児全員が濃厚接触者とされ、自宅待機。
在園児だけでなく、その兄弟である小学生や中学生も欠席させている家庭が多いです。兄弟が陽性なら、本人が陰性でも最低2週間の出席停止です。とくに中学生の場合、今休校した分の学習を一気に進めるため進度が早いので、2週間やすむ損失は計り知れません。期末テストと重なれば、本人が陰性でも受けられず、進路にかかわってきます。
陽性が1人出るたびに休校休園を繰り返して、子供がまともに教育を受けられない。ハイリスクの人のためにこんな事が許されるのでしょうか。
つまり、民主主義?そんなもんクソや!バカは引っ込んどれ!という話ですね。当否は置いといて、趣旨はそうであると理解しました。というかそうとしか読めません。
自粛解禁派と自粛派の関係は、あっさりいえば「プラグマティズムVS合理主義」であると感じています。
合理主義の最たる例は新古典派経済学ですが、彼らは、「理論は正しいのに現実が間違っている」と考えます。ですので、「理論通りに現実を修正しよう」とします。
コロナ自粛派も、政府が経済的に補償してくれないのは明らかなのに、「悪いのは理論通り補償してくれない政府だ!」と駄々をこねるばかり。もちろん政府の無策ぶりには私も腹が立ちますが、コロナ自粛派の態度も、はっきり言って子供なのです。
プラグマティックな、つまりは現実に即して感じ、考え、行う藤井先生の振る舞いが、もっと世間に認知されればよいのですが、(最初はやばいと思っていたけど、統計を見れば見るほど大したことない、と考えを修正できるのはプラグマティズムそのものだと思います!)ヒステリー(狂気)に支配されている世の中ではそれも望み薄なのかもしれません。
現下の根拠なき空気の支配は、3.11や、もっと言えば戦時中もこうだったのかな、と思えてきます。
私もマスクをしていますが、ほぼ100%、社会的リンチを逃れるためです。
「FACTFULNESS」という本が流行っていますが、一体どれだけの人が、この本の通りにコロナの統計データを虚心坦懐に見ているのでしょうか。
藤井先生の意見は、いつも、スカッとしていて、心地良いです。私個人は、非社交人間ではありますが、とにかく、政府のしとられることは、全てにおいて、及び腰で責任のがれで、国民を自分らの下僕とでも考えてるんやないかとしか思えない‼️欲しがりませんかつまでは…て、国民に言わせたいの❓何かあったら、政府がどーんとまもったるで‼️て、いえないのか⁉️このままだと、日本は、はっきり、デフレでデクレッシェンドしてまう‼️クライテリオン、面白いです。いままで、世の中がボンヤリとしか見えてなかったけと、なんや、私、ボンヤリさせられてたんや。
そもそも今頃になって新型コロナウイルスが発生したこと自体が、不自然でおかしいと思うのが当たり前の認識なのです。なぜならすでにコロナウイルスが存在しているべきと考えられるからと、国際社会の近現代史の暗黒の欺瞞と多大に関連性がありますからね。それをWHOがテキトーなプロパガンダを振りまいているから、米国がWHOから脱退しょうとしているのでしょ。そうして国際社会を対立させて双方に出資している金融屋が存在して、分断させているわけで、しかもそれがメディアも牛耳る世の中だからけしからんと言うわけ!それで日本の高学歴の知識人や政治家なんかも、それをしらばっくれてるから問題なのに、その隙をついて裏社会に忖度してグローバル化を促進している大阪のクズ政党の連中とか竹中平蔵と関連する寝ぼけた連中こそ最大の批判に値するもの。ちなみに裏社会に忖度している連中も余裕がなくなっているから、コロナの第二波でキャバクラとか風俗の関係者が右往左往している事くらい高学歴なら分かれよってはなしなんですね。だからそれをあらゆる謀略だと気づかず自己陶酔している日本の高学歴にはカスが多いわけなんです。だからクライテリオンもそれと同じでサイコパスで攻撃しているものだと思いますから、藤井先生には気にしないで信念を貫いて頂きたく思います。
藤井先生へ。佐藤健志さんと連絡を取る事はできますか。現在、佐藤さんはツイッターにて、藤井さんを猛烈に批判しております。ツイッターというオープンな場所で、保守言論人が保守言論人を攻撃する様子は、最終的には、保守言論界全体にダメージを与えていると考えます。これはクライテリオンの趣旨と理念に反する事態ではありませんか。
藤井先生も佐藤さんも、もともとは西部先生のもとで育った同門の兄弟同士ではありませんか。このまま分裂状態のまま、空中分解に至る事がないように願います。今ならまだ間に合います。異なる意見は快く認めて、和解してほしいと思います。
兎にも角にも、佐藤さんと連絡を取ってください!
藤井先生の提案には基本的に賛成派です。
半自粛は正解だと思います。
ただ一つだけ勿体ないと思うところは
内閣官房で仕事されていたのですから
発言をもっとマイルドにされたら
政府も耳をもっと貸してくれた気もします。
今や政府は初期対応を内心間違えたと
思っているんだろうと推察されるわけですが
メンツというのがあるから判断ミスを
認めることはあり得ないし
フェーズが変わったのだと言い訳しています。
フェーズは最初から何も変わっていないし
そもそもウイルスにフェーズもへちまも無いわけで
単に政治家や学者の大半が無知だったに過ぎない。
東アジアの死亡率を精査すれば
オーバーシュートが起こりえる要素は無いし
少なくとも新型コロナに関しては
日本人は強い体質が遺伝子に組み込まれている
と思われます。
ただマクロ的に見ると、たとえば
国土強靭化も含め、今起きているその他の災害も
セットで考えると
観光産業、レジャー産業、飲食業、芸能関係等の
あまり生産性のない産業はすでにピークを超え
飽和から下降線をたどっていく時代がやってきたと
思われるわけです。
災害狂想曲がバイバイゲームで襲って来るからです。
マスコミもテレビ界も基本的にバカな世界ですから
彼らにそのことは理解できないですから
芸能人と遊んでいるしか能が無い。
そして大衆の7割は大本営発表を信じ込んでいくんで
その性質も読みぬいた上で提案活動を
ぜひして欲しいし、政治学者の三浦瑠麗的
猫モードも少し参考にしたら(笑い)と思います。
藤井先生の知見は基本的に支持します。
自分は正直、『政府が初動の防疫対策を完全に怠たった以上、完全自粛に半自粛の意見が必ず出て来ると感じて居た』ので、『何れを選んだとしても、全ては安倍政権が防疫対策を完全に怠った事が元凶。若し、それで意見が分かれたとしても、双方共にそれを選んだ理由や言い分も有るだろうし、自分は決して批判や揶揄はしまい』と、思って居ましたが、今回の貴方の掲載内容は何ですか?。
貴方の今回の執筆内容は、それを完全にブチ壊すと言っても過言では無い内容です。
貴方は良く、維新を始めとするグローバリストを『国民分断を煽るレントシーカー』と批判して居ますが、今回の貴方が執筆した内容は、維新を始めとするグローバリストと一体何処が違うと言うのですか・・・?。
完全自粛を掲げる方と半自粛を掲げる方の対立。立派に国民分断を煽って居るでは無いですか?。
維新やレントシーカーと全く同じ事をやって居る今回の貴方の行動。果たしてどれだけの方が賛意を示すでしょうかね?。
只でさえ劣勢な反緊縮勢で、意見が分かれて論ずる点は有るにしても、その対立側を『社交性が無い』等と言って揶揄し、罵倒するのは止めて頂き物です。
自分自身、完全自粛派では有りますけど、引き続き、反緊縮の動きを広めて行く様に行動して行きますけど、貴方は完全自粛派の佐藤健志氏と同様、何時まで反緊縮を拡散して行く上で、益体も無い行動を続けるつもりですか?。
自分から言えるのはそれだけです。
あぁ、西部先生が言いそうだなぁ。反藤井は怒るだろうなぁ。と読んでました。あのじいさんなら、こんな御時世でもタバコ吸いながら密な場所で酒のんで社交をしてたのかなぁ。彼は福沢諭吉などを引いて社交の重要性を言ってたね。
でもオタクの私は、徹底保証があれば、徹底自粛で何ら問題ないと思ってます。ありがとうございます。引きこもりたいって。
反省です。西部先生ごめんなさい。
徹底自粛、徹底保証論者は藤井をたたくより、安倍政権に有効な一手をお願いします。
今回のコロナ禍においては「現政権が”速やかに”財政政策を徹底的にやるとは思えない」という御意見だと認識しております。長期的と言いますか、長い目では国土強靭化をはじめ、積極財政を諦めるべきではない。との認識です。
さて、自粛、反自粛の議論において、「社交」を踏まえてのお話し、大変興味深く拝見させて頂きました。これにもう一つ、「(人の)成長」という観点も加えて御意見を頂戴できると幸いです。
私は粗利さえ補償されれば自粛OK、という考え方には中々賛同しかねる部分があります(もちろん、粗利補償は必要ですが)。多くの社員が場を共有することで育まれる何か、つまり社員の社会人としての成長機会、これらも大きく損なわれる可能性があると考えています。また就学者の学び/成長に関しても同様のことが言えると思います。この辺りについて、先生の御意見を頂戴できると助かります。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。
そこまで嫌だと思うのであれば、堂々とマスクを外し、アクリル板やソーシャルディスタンスを避け
批判は承知の上で活動される様な勇気をお持ちになられては如何でしょうか
今の現状は自分に勇気が無い事を自粛論者の責任としているだけではありませんか?
ご自身の発言に本当に価値があると思われるのであれば、発言と一貫した態度を示す事が重要の様に思われますが如何でしょうか
他人の目が気になる、即ち自信が無いから純粋に自分の思う価値に酔いしれられず他人の目を変えようとしていらっしゃる様に思えますが
自分自身が本当に価値ある言論(あるべき態度)をされていると思うのであれば、他人の目は関係無い筈では?
結局マスクを着けてしまったり、アクリル板やソーシャルディスタンスを受け入れてしまうのは自信が無いからではないでしょうか
自粛によって嫌な思いをしたのは、自粛の問題ではなく、思いとは裏腹に従ってしまう勇気の無い自分なのではないでしょうか
その事実を受け入れるのが嫌だから、こんな八つ当たりの様な言論をしてしまうのではないでしょうか
生死以上の価値を訴えたいのに、実は生死以下の価値でしかないと本音では思っていらっしゃるんではないでしょうか
「そこまで嫌だと思うのであれば、堂々とマスクを外し、アクリル板やソーシャルディスタンスを避け批判は承知の上で活動されるては如何でしょうか」という意見にさんせいです。
コロナウイルスは日本では欧米にくらべて死者も1/100です。3月で日本人は集団免疫に達しています。90%感染し、免疫を持っています。だから免疫ということから考えると「マスク」も「過密」も必要なく、普通にするほうが良い。(京都大学上久保教授)人はウイルスと戦うことはできません。共存するしかありません。マスコミがコロナ脳に侵されています。科学的に冷静に、ウイルスと共存することだと思います。ご健闘を期待します
拝見しました。
先生のご意見に深く同意いたします。
…現に、私のQoLはここ数ヶ月、激しく毀損されているのです(泣) 皆、自縄自縛がお好きなんですね…。
…そもそも、保守とは、「我々の日常生活を保ち守るもの」であると(勝手に)理解しております。そうであるならば、「徹底的な自粛」は我々の「日常生活」そのものを根本から覆してしまうものでありますから(これは恐るべき!)、保守の立場をとる論者であれば、慎重過ぎるほどに慎重になるべきでしょう。
ところが!ご指摘の通り、「徹底自粛と徹底補償、この道しかない!」と仰る保守論客がおられます。私がこの論理に賛成できない理由として、その論理に「愛」や「温かみ」が全く感じられないからなのです。
その論客は「自粛緩和を唱える者は、政府に緊縮の口実を与えるぞ!」と度々発信しております。私にはそれが(その論者が意図していないとしても)、困窮している人を人質に取って財政出動を要求するべきだと言っているように聞こえ、冷たいなぁ…と感じるのです。(これに関して、浜崎先生は「過剰な政治主義、戦略主義」とクライテリオンで表現なさってましたね!)
…た・と・え、「徹底自粛、徹底補償論」が論理的整合性に優れていたとしても、「愛を欠いた論理が人々の心を掴んで世を動かす原動力となりうるか?」という命題が浮かびます。
私はその命題は、偽であると思います。言うまでもないですが、「政府から補償を引き出すために自粛しよう」などと思う機械人間はどこにもいないからです笑。
更に腹が立つのは、徹底自粛論者がデータで物事を語らないこと! …これでは財政破綻論者と同じではないですか。。(長くなりそうなのでやめます)
これからもご活躍を祈念しております。
私も、微力ながら日本を良くするために行動していきます。
ご自愛下さいませ。