日本国民の行動原理で、昔から指摘されてきたのは事大主義(権威主義)です。
上を強く信じる、下の依存心です。江戸時代に出来上がったと言われます。
「日本経済がどうなろうと、僕は国を信じます」「国を批判する人を、自分は信じません」「もし間違った政策なら、国がやるはずがないから」という感覚です。
この事大主義は、美術ではありふれています。
絵画を見てふーんで終わった人が、後で巨匠の作と知れば、一転して優れて見える変化もその一種です。
世界にその傾向がありますが、日本に顕著な違いがひとつあります。
日本の美術界の特異性といえるもの。
それは美術展覧会の方式です。
現役作家の個展は別として、乗り合いバスのように知らない同士が 出品する大規模合同展は、世界で二つに大別できます。
ひとつは公募コンテスト方式です。日本のビッグな展覧会は皆そうです。
芸能タレントの絵が入賞して話題になる展覧会。
公募コンテスト展の最大の特徴は、合否判定です。
審査員が作品を採点し、合格なら入選となり展示されます。不合格なら落選となり、展示せずに出品者へ返品。
さらに入選の中から入賞を選び、受賞札を貼ります。金賞とか総理大臣賞とか。
日本の公募コンテスト展に来るお客は、公認された作品を見るわけです。
不適切な作品は除去されており、お客は入賞札のついた作品をほめれば済みます。
しかも作品売買は禁止。「いや、そんなの当たり前だよ、東京も地方も展覧会は全てそれだし」。
ところが世界は異なるのです。
欧米の大規模展覧会はアートフェア方式です。フェアは販売会の意味。
主催者は画廊を募集し、作品は全て販売されます。数百万円の絵画も即売される市場です。
欧米の美術展覧会は作品バザーなのです。実はアジア各国もそうです。
アートフェアには落選の概念がなく、主催者は優秀作を決めもしません。作品にハクづけしない。
その多様多彩な作品を、評価するのは市民です。だから強いて言えば、審査員はお客全員です。
数百人以上の誰かが買えば特賞と言えます。民主的な展覧会です。
アートフェアのお客は、サイフを持って買い物に来ます。
絵を家のどこに飾るかも決めていて。
絵を見て心の糧にしたり、カタログを持ち帰る浅い関係ではないのです。
持ち帰るのはパンフよりも、 作品の実物。美術文化交流の目的が、見聞でなく売買なのが欧米です。
アートフェア方式のビッグネームはスイスの『アート・バーゼル』 で、欧州をはじめ世界の大中小展覧会はこのフェア方式です。
対して日本では、ほぼ全てがコンテスト方式です。日本の内と外で方式が完全に分かれています。
コンテストは上が評価を決め、下に指導的に伝える方式で、お客は受け身です。
売買禁止だから美術市場が極小なわけですが、美術がわかる人が増えにくい原因もこれです。
わからないせいで、国民は上意下達をいっそう頼ります。
今さら作品を自分の目で見てと言われても、誰もが困るわけで。
日本の人々が絵を見ると、「これの価値はどの程度ですか」と作品の評価を先に知りたがるのは、 自分の目を持たないからです。
定評を当てにするしかない。しかし皆がわからないと世評自体ができず、かくして美術の価値は上から下へ降りてきます。
評価は常に上が決めるお約束になっています。
日本では美術の価値は、上から下に降りて、国民は従う前提です。
「作品の良し悪しは僕ら下の人間が考えずに、公式発表に従おう」「上は絶対間違いなし」という前提。
だから芸術とは何かが、今もウヤムヤの状態です。「全て上にまかせていますので、僕らは考える必要もありません」。
これとそっくりなのが国内経済です。「景気の良し悪しは僕ら下の人間が考えずに、公式発表に従おう」「上は絶対間違いなし」が、 経済ニュースを見た読者コメントに多いのです。
二十八年間経済停滞する日本を皆が疑わないのは美術とそっくり。下が上をチェックする習慣がまだないからでしょう。
林文寿(岐阜支部)
2024.10.15
御子柴晃生(農家・信州支部)
2024.10.15
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2024.10.15
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奥野健三(大阪府)
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2024.07.25