個人の尊厳を冒している葬送のかたち―コロナ騒動の中で

くらみっちゃん(滋賀県、64歳、高校時間講師)

 

 先日、女優の岡江久美子さんが亡くなった。新型コロナウィルスへの感染を予防するため、病院に入院中だけでなく、亡くなったあとも最期のお見送りも出来ず、火葬されて骨となっての帰宅だとのこと。これは芸人志村けんさんの場合もだと聞いていたが、改めて強い疑念を抱いた。

「こんな馬鹿なことがあるものか」

 というのが、わたしを含め一般の感覚ではないだろうか。
 よく調べれば、このコロナウィルスは弱毒性で、感染力は強いものの、若年者にとって重症化率は大袈裟に騒ぎ怖れるには及ばないとのことである。一方で高齢者においても、重症化率が高いとはいうものの、必ず死に至るというものではない。対策の仕方はいくらでもある。
 今回のコロナ騒動において、いのち、いのちと声高に叫び、まるでコロナによる「死」だけが唯一の死であるかのような空気を意図的に作り、強い恐怖感を煽り、管理社会の合理・合法化を進めている国や一部の行政機関、そしてそれに乗じるように、苛めや告発を諫めるどころか、積極的に助長している報道機関に、コロナよりも怖い全体主義を感じる。
 かつて日本において、猛威を振るい非常に怖れられた感染病である肺結核による死者に対しても、こんなに酷い対応が取られたということは聞いたことがない。
 個人の尊厳とか、一人の命は地球より重いとか声高に叫ぶのなら、故人の葬送のあり方も、亡くなった故人の個人の尊厳、残された者たちの見送りの権利に対して、もっと敏感になってもいいのではないかと思う。