届いた直筆サイン〜芸能擁護論〜

七里正昭(-.-.-)

 

 家に届いた荷物を開封して驚愕した。有村架純さんと浜辺美波さん。今を時めく超人気若手実力派俳優であるおふたりの直筆サインが入っていたのだ。しかも恐れ多いことに、私の名前まで書いていただいている。

 資料請求すれば、おふたりが載ったクリアファイルがもらえるキャンペーンに応募し、ファイルをもらった時点で満足して忘却していたのだが、超高倍率と思われる自動抽選に当たったようなのだ。「子々孫々にまで伝えるべき家宝とめぐり会えた」という喜び、おふたりへの感謝があふれる一方で「一生分の運を使い果たしたのではないか」と背筋が寒くもなった。
 
 有村さんはドラマ「中学聖日記」、浜辺さんは映画「君の膵臓(すいぞう)をたべたい」など数々の優れた作品で主演され、広く絶賛されている。
 「泣くっていうことも、技術で出来るほど私は器用な人間ではなくて、そこにはちゃんと気持ちがないと涙は出ない」(有村さん)、「一つひとつのことに丁寧に向き合うことが大切」(浜辺さん)。その言葉からも浮き彫りとなるように、おふたりに共通するのは役を「演じる」というより役を「生きる」と形容できるほど情熱的で真摯な演技姿勢。だからこそ多くの視聴者が、一つの人生を追体験するような深い感動を覚え、思わず落涙するのだ。
 「仮面を脱げ、素面(すめん)を見よ、そんな事ばかり喚(わめ)き乍(なが)ら、何処(どこ)に行くのかも知らず、近代文明というものは駈(か)け出したらしい。」(小林秀雄「当麻(たえま)」)
 芸能人の方々がまともな日常生活を送れないほど、週刊誌などの報道が加熱して久しい。「仮面」を外したいという動機があるのだろうが、あまりにも幼稚だ。メディアだけでなく、社会全体に「演じる」方々への敬意が欠けているのは、「近代の果て」と言うべき現代の深刻な危機ではないだろうか。

 コロナ騒動により、観客の激減、閉鎖が相次ぐ全国の小規模映画館を支援する動画で、俳優の橋本愛さんは「私は昔、映画に命を助けてもらいました。体こそ生きてはいましたが、心の息の根は止まったまま。」と前置きし、そんな彼女がミニシアターにたどり着いて心が救われた体験に触れ、「体は1度死んでしまえば2度と生き返ることはできないけれど、死んだ心は蘇生することができる。生き返らせることができる。それができるのは、文化・芸術にほかなりません。食事も、医療も、人間も、その全てに光を見出せなかった人の、最後の砦なのだと思います。」と語った。

 有村さん、浜辺さん、橋本さんをはじめ、多様なジャンルの「芸能」に真剣に取り組まれている方々を私は尊敬している。「真善美」を、「聖」なるものを、それらと対立し、はみ出す何かを、演じ、表現してくれる存在がいなければ、社会は平板でつまらないものとなるからだ。彼ら/彼女らの「観る/聴く人を笑顔にしたい」という高い志は、人の心や時代を明るく照らす「宝」である。「私はみんなのために」という美しい祈念を抱いて、「仮面」をそっと手にする方々に、もっと拍手と敬意を。

 私たちが真に剥ぎ取るべきは、「公のため」を装って外資に国富を献上する官僚、長年の構造改革の惨憺たる破綻を糊塗するために芸能人を利用しようとする政治家、演じ、表現する方々が日々重ねている血のにじむ努力を考えもせず、平然と「ソーシャルディスタンス」を新設し、あらゆる芸能を危機に追い込む「専門家」、こうした者たちの偽りの「仮面」であろう。
 このたび、有村さんと浜辺さんの直筆サインに大喜びした私だが、今後もし、街でおふたりとばったり会ったときは、先方のプライベートを邪魔しないように、声をひそめて「ありがとうございました。応援しています。」と申し上げるにとどめたいと肝に銘じている。