狂気と対峙せよ

吉田真澄(東京都、65歳、会社員)

 

 あろうことか、この21世紀に、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発した。もちろん、国際法におけるプーチン政権の正義はない。それどころか、プーチン大統領自身の健康・精神状態や長期独裁政権内での情報統治体制の破綻が危ぶまれている。さらに旧弊としてのスラヴ民族主義やソヴィエト連邦崩壊を契機としたプーチンの被害者意識や歪んだ歴史観といった要因まで取り沙汰されている。そして、国際世論は力による現状変更を戒めるべく、ロシア非難の論調で沸き立ち、例によって我が国の世論の大半はそれに追随している。

 しかし、私はこの「どっちが正しい?」をテーマとした議論が延々と繰り広げられる状態を歓迎する気持ちにはなれない。確かに国際協調や援助、戦後賠償や経済制裁、そして国際秩序回復のために国際法に準拠した判断は不可欠であろうし、それが日本の国益に叶うことも承知している。でも、あまりにもナイーヴでCATHARTIC(カタルシスを求めるかのよう)な振る舞いに見えるからだ。
 世界に同時配信された映像を通して悲劇を目の当たりにし、怒りに震え、涙し、自らの魂を浄化する。そんなことの繰り返しは湾岸戦争時に、漏れ出したオイルで真っ黒になった海鵜の画像(後に、オイルの海洋流出は、アメリカ軍による原油貯蔵施設への誘導弾爆撃によるものと判明)や、大量破壊兵器というキーワードに触れたことによって一気に高まった、自らの反イラク感情に対する悔恨の念( 『私たちは大量破壊兵器が保有されていると考えていました。しかしそれは間違いでした。』2005年パウエル国務長官(当時)発言)を少しでも持ち合わせているなら、もういい加減にした方が良い。
 「兵は、詭道なり」(孫子)を持ち出すまでもなく、戦とは、相手を欺くことが正当化され、賞賛さえもされる、非日常の世界である。ましてや複雑化した現代の戦争では、飛び交うミサイルや砲弾だけでなく情報戦が重要なファクターとなるため、両陣営が全精力を傾けて拡散させるプロパガンダ情報に一喜一憂していてはならない。歴史が示すところでは、大半の戦争に聖戦などないし、局面によっては、双方が少なからず戦争犯罪に手を染めているものである。そしておそらく、混沌の中から真偽が明らかになるまでには数年はかかるのだろう。

 たとえば、報道されるようにプーチンが狂人であるとしよう。しかし、もしそれが国際社会の現実だとするなら、今、我々が見つめなければならないのは「狂気の実在」であり、速やかに検討すべきは狂気への対応策であるはずだ。聖人の側からの視点に立ち、勧善懲悪に酔い、合理性のみに沿って事態を予測するようなフラットな思考で、狂気は(そして尊厳も)測れるはずがない。狂気を生み出し、狂気を追い詰め、狂気を暴発させた(国際法による相互主義や予防機能が働かなかった)時間と諸関係こそを見つめ直すべきなのだ。 

 地政学上、わずかな情勢変化で沸点に達したそうな様々な狂気に取り囲まれた日本列島。この極東の国に暮らす私たちが注視し続けなければならないのは、口先だけの理性や、欺瞞に満ちた正義に窒息させられかけた野性が、皮膜の下で静かに育んでいく人間の狂気なのである。