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『息子への書簡』

金澤直哉(群馬県、31歳、地方公務員)

 

 昨春第一子を授かった。息子にはこれから幸せになってほしい。父の偽らざる願いだ。しかし、その出鼻を挫いているのがコロナ禍という人災である。息子だけではない、全若者のためにも、社会は正気を取り戻さなければならない。これは我々大人の果たすべき責任だ。これ以上の座視は許されない。

 今の小中高そして大学それぞれの3年生は、ずっと息詰まるコロナ禍の中にいる。社会人3年目の若者もそうだ。彼らはマスクという猿轡を噛まされ、同級生や先生、同僚の顔をまともに見たことがない。人間形成の重要局面にもかかわらず、人と人とのあらゆる「濃厚接触」が妨げられている。カンセンタイサクという大義の下に。しかし、そこに若い彼らの「生の充足」への配慮など微塵もない。あるのは大人たちの救いようのない無思慮と世間体に対する自己保身だけだ。

 息子も生まれてから現在まで、近しい家族以外の他人の素顔をほとんど見ていない。息子にこのマスク社会はどう見えているのだろうか。父として大変憂慮している。この異常な社会状態を当然のこととしてはならない。こんな非人間的な環境ではまともな成長など期待できない。カンセンタイサクだから仕方がないよね、とサラッと簡単に言う人間がいる。三島由紀夫の「果たし得ていない約束」の結びではないが、もはや「それでもいいと思っている人たちと、(一人の父親として)私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

 ここ最近やっと感染症の分類見直しや屋外でのマスク着用の是非などが話題にのぼるようになったが、ここに至るまで3年近く要している(まだその段階の話ですか、という話題ばかりだが)。あまりにも遅過ぎるし、「日常を取り戻す」という当たり前の結論にたどり着くまで、この国の民はあと何年かけるつもりなのか。この間にも子供たち若者たちの二度と取り戻せない大切な時間が奪われているのだ。特に中高3年生をこのまま卒業させるつもりなのか。どうなのだ。私はこんな非情な社会に息子を送り出すことは絶対にできない。

 いずれにしてもこのコロナ禍という人災は、不完全ながらも遅かれ早かれ終焉を迎えるだろう。カンセンタイサクも多少残滓はあるものの、緩慢に、そして、なあなあと、何の反省もされることなく廃れていくだろう。「新しい生活様式」などを声高に叫んでいた人間たちも何食わぬ顔でいることだろう。

 今大人だった人間の多くが将来「あの時は仕方なかった」と言うだろうが、それは大きな間違いだ。仕方なかったはずがない。なぜなら、カンセンタイサクへの異議の声は本誌をはじめ、コロナ禍一年目からすでにあがっていたのだから。転換の機会は何度でもあった。ただただ大人たちが無思慮と自己保身に無為に身を委ね、貴重な時間を浪費しただけの情けない話なのだ。

 息子が将来私の本棚から本誌を手に取り、この駄文を目にすることがあるかもしれない。もし目にしたのであれば、ニつ言い遺しておきたい。それは父が正気を保とうとし、白眼視されながらもコロナ禍において「非国民」的に行動し、息子や若者たちへの父そして大人としての責任を果たそうとしたことを。そして、父以上に声をあげ、行動した大人がいたことを。