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一匹のアリの旅

小町(19歳・家事見習い・関西支部)

 

 表現者クライテリオンは保守の雑誌ということですが、洋の東西、翼の左右を問わず、人には各々「保守」的な想いがあると思います。

 「保守」という言葉に限らず、「文化」「伝統」「人生」、エトセトラ。一人として同じ人間が存在しないのと同様に、ある言葉が持つ意味は人によって様々です。未熟な私は、まだ保守とは何かを語ることもままなりません。ですから、ここでは、私なりに思うことを、私なりに書いてみようと思います。

 インディアンの詩にこんなものがあります。

私は世界の進歩より

一匹のアリの旅に

もっと深い意味を見る

世界の進歩なんてもの

今や始まったところより

はるか後ろへ落伍してしまった

 世界の動きや、日本国家の動き、難しい哲学書、歴史書、偉大な人物の意見など、私たちはつい自分より大きなものを見て、何か知識を得ることに気をとられがちです。

 しかし、得た知識は私たちの暮らしにおいて何になっているのでしょう。勉強方法と知識を身につけた人は、一昔前に比べれば格段多いはずです。が、私は写真や映像を通してみる、数十年前の農村の暮らし、お百姓さんの暮らしに賢さと、温もりと、謙虚さを見ます。人間の智慧を見ます。幾年もの歴史の流れを見ます。

 都会を批判して、田舎を擁護したいのではありません。

 私が思うこと、それは、現代人が数多の情報に埋もれ、自分の手に届かぬ、自分一人ではどうしようもない大きな問題「ばかり」を勉強するだけで、「生活」という人間の営みを忘れ始めたのではないかということです。溢れんばかりの情報を両腕に抱え、足元を見ることはおろか、自分がどこに立っているのか分からない人も少なくないと思います。

 人里離れた村で畑を耕す農夫に比べれば、私が机に向かってこの記事を書くことはほんの僅かな、取るに足らないことです。土を耕す鍬の一振りにこそ意味があるのです。

 今や「文化」は鑑賞し、勉強する「もの」と化してきました。私たちは、文化を保護(保守)するより前に、文化に保護(保守)されて生まれてきたことを、忘れ始めています。

 大きな問題が解決すれば、世の中が良くなれば、首相が変われば、わたしたちが文化的に生きて行けるのではありません。与えられたものを享受し、さらに与えられたものについて考えてみたいのです。そして、考えたことを、何か一つでも自分の生活に反映する、生き方に反映する、その営みが文化になってゆくのだと思います。

 私は今、いわゆる独学をし、芸術に触れ、暮らしています。大学生になった多くの友達のように、専門の範囲や分野などは持っていません。心惹かれるままに、学んでいます。そして最近、独学について思うことがあります。「独学」は、一人ぼっちではないということです。例えば本を読んでいるとき、その本の著者に私は学んでいます。私が生まれるずっと前に死んだ人物から学びます。小さい子供の素直な感性から学びます。家事の最中にも新たな発見があります。

 そうして学ぶうちに、私は、文化という大きな流れなかの一人である安心感と、未来への責任を感じるようになりました。人生経験が少ない私は、まずは身の回りの小さなことを大切にし、そこから学び、さらには実践してゆくことに努めようと思います。一匹のアリの旅が持つ意味を、忘れることのないように。